2019年3月18日 (月)

超えられない異次元の扉

「世界一平和な国」でかつ「世界一銃保有率の高い国」と聞けば、銃で平和が担保されている国とイメージしたくなるが、“平和目的にしか使えない銃”は、ありえない。銃を自由に保有できる国では、いずれこうなることは当然だ。crime-freeな理想郷は、存在しないから。
宗教はよく大量人殺しの動機になる、と前に書いたけけど、しかしまだ人類の大勢は宗教の禁止へは動いていない。
『他者不在』という概念。宗教が、神(絶対者、超越者)という他者の不在であること。宗教が、神という他者への許しがたい不敬であり失礼であること。
残念ながらこのことを、説明によって分かってもらうことは非常に困難、または不可能だ。各宗教の神は単純に、自己肯定の道具、そして他者排斥の口実としてまつり上げられ、搾取されている。
もうひとつ分かってもらえないのが、『貨幣がコミュニケーションのイシューである』という観点。ふつうの観点は“貨幣をめぐるさまざまなコミュニケーションがある”、となるが、本当にラディカルな(問題の根っこまで掘り下げた)コミュニケーション論では、
貨幣トランザクション、貨幣のやりとりは、人間(じんかん)のコミュニケーション現象の一種であり、コミュニケーションの忌避と不能の普遍的な現れである、となる。こちらは、神ではなく人の他者不在の普遍形だ。
それは、他者に希少財(“貨幣の価値の本質は差異である”)を…神ではなく人に…お供えして前もって懐柔ないし鎮静化する、これまた一種の他者不在である。
それを前もって説明し、分かってもらい、宗教が違うからといって大量銃殺などしない人間になってもらう方法がない。このことが、このコミュニケーション学コミュニケーション理論のどーしょーもなく無能な限界である。
この異次元の扉を、なんとかして開かなければならない。
ところで、イスラム教を悪と見立てた彼の側の宗教が何か、それはおそらく永遠に対象化されない。彼自身にとっては単純にそれは、「正義」でしかない。反イスラム教教、とでも名付けるか。


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2019年3月15日 (金)

やっぱ女性の時代になるべきや、できるだけ早く

だいたい私の言うことや書くことはまともに相手にされないんやけど、私とは全然無関係なところで、人間は全員が有賃労働をせんかてええと主張する人が一般メディアレベルで現れた。

この記事に登場する29歳の女性のアメリカ下院議員だ。

まあ、ヒスパニック系のアメリカ人の子やから、超貧乏に喘ぎながら生きていく人びとを、子どものころから毎日、身近にたくさん見ている。だから、雇用を増やす==幸福、という手垢のついた説はまったく信じない。

ところで、なんで当時、洗濯機や掃除機などのおかげで主婦が家事労働から解放されたかというと、ダンナの稼ぎがあったからや。自分の稼ぎやない。ロボット化と人間の自由との関係も、そこらの構造に着目して考えるべきではないか。

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2019年3月11日 (月)

まわりの人間が見えず既定がゴリ押しされる愚

原爆投下の真の責任者の稿でも言ったように、日本のオトコの意思決定者層には、そこらにリアルに生きてる民(たみ)のことがまったく眼中になく、既定のことをひたすらゴリ押ししていく愚癖がある。沖縄の場合のように、同質の愚をまた平気で繰り返すという、マグニチュードの大きい愚も残念ながらある。

人びとの現状を見て、迅速に方向転換する、という賢がない。それが、繰り返し々々々々大量の犠牲者を生む。

ものごとの構造を論理的客観的に見る習性がゼロだから、コンピューター科学とその教育も広まらない、浸透しない。

論理的客観的に見れば、地震津波常襲地帯においては、とっくの昔に、その他の地帯とは別の土地利用計画と土地開発計画が必要である。それがない、なかっただけでなく、今となってもまだない。こうして民は、未来においても、二度三度と蹴散らされていく。海の藻屑と消えていく。プラス、その海は汚染されていく。

たった一日で、特定地域で、一挙に二万名も亡くなってしまった真の原因、真の責任者は誰なのか。その愚は、前世紀前半における、やはり当の国そのものが後日責任を問うことを欠いた巨愚ぶりと、見事に重なる。

今でもまだまだ、いろんな巨愚が、単に既定事項だからという理由で、盲目的にゴリ押しされつつある。そのベースにはさまざまな、地縁、人縁、金縁、来歴縁があり、論理だけがない。

--泥酔していたので記憶がない、の次の言葉が、そのときセックス強要の意図はなかった、となる非論理(記憶があるんじゃん!)。この種の発言が今だに日本人には多すぎる。安倍川餅たちばかりではなく--

※: ゴリ押しには大別して二種類ある。ひとつはアクション…「中国北東部をニッポンの植民地にするんじゃあ!!」。もうひとつはノーアクション、現状肯定、検証と根拠を欠いた現状維持。問題があっても、それが見えない。最近は後者による犠牲者がとても多いように思える。


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2019年2月11日 (月)

本当のメディアにやや近いところにいるTX

夕食のときとか、テレビ見ながらということが多いけど、そんなとき、チャンネルを一瞬ずつ切り替えながら消去法で7チャン(昔の12チャン)に落ち着くことが多い。

いちばんつまんねのは、無理やり料金を払わされている犬あっち行け放送で、その差は:

7チャン==リアルな人間がリアルにやってることやリアルに言ってることが映ることが多い。
犬あっちにとってこれらリアル==すべて、「あっち行け」の禁忌物である。

今宵犬あは、江戸時代の人気歌舞伎役者のあれこれを専門の学者のような人たちが紹介している。
同じ時間に7チャンは、空港で到着した外国人をランダムにつかまえて、彼らの来日目的を密着取材している。
メディアとして「生きて」いるのは、断然後者だ。

犬あは、24時間365日番組を大量に作りすぎるという惰性に、全神経が麻痺しているようだ。どれもこれも、くだらなすぎる。

まあ、民放も、タレント依存、タレント丸投げの無努力番組が多すぎて吐き気がするけど。

TXがもう一皮も二皮も剥けていくことを期待したい。

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児童虐待という非常に重要な警告

児童虐待は日本だけでなく、いわゆる‘先進国’共通の問題であるだけでなく、“現代特有”である点が注目に値する。

現代特有というのは、日本でも世界でも、これまでの芸能や文学、宗教の文献、歴史上のエピソード等の中に、私の知るかぎり児童虐待は登場しない。(たぶん、‘いじめ’も登場しない。)

大雑把な言い方をすると、これまでの子どもたちは、家族(血族)共同体+地域共同体(とくにその女子部+老人部)という毛布にくるまれてぬくぬくと育った。ところが20世紀後半以降急に、「子どもはそれを産んだ核家族の責任で育てる」という、とんでもない事態が訪れてしまった。寒風吹きすさぶ荒野の中で子どもは、無知無能無経験な若い男女の手にゆだねられた。その中には、子どもが無事に育つことができない、一定の限界を超えた劣悪な環境ももちろんありえるし、現に多々ある。

旧共同体の崩壊、空洞化。

それを補って、子どもが育つための、ぬくとい環境を提供する役割であるはずの児童相談所等の人びとの持つ雰囲気表情の中に、それを自覚した者らしさはない。孤独死を防ぐための老人福祉もそうだけど、「実動部隊」は女子と、一部、まだまだ元気な老人を主力とする非正規職員チーム(に権限を持たせ)で構成し、正規の(背広ネクタイ姿の無能な)事務職は最少に抑えるべきだ。

各自治体の非正規職員の急増が問題になっているが、むしろその現状を、前向きに、ポジティブに捉えるべきだ。もちろん、待遇改善も重要。そうすると、「コミュニティ・メンテナンスのクラウドソーシング化」という、新しいトレンドが育つ。

彼らの無惨な死を無駄にしてはならない。

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2019年1月 2日 (水)

明仁さんご苦労様

今の天皇制については、それは一種の人格虐待なので廃するべき、と強く感じているが、明仁天皇という特定個人に関しては、裕仁天皇を継いだ初めての“象徴天皇”として着位以降、その歴史的立場として、自分にできるベストと信ずるものをひたすら、自らのアクティビティとして奉じてこられた、とても立派な方だと思う。

20世紀後半以降の日本の著名人の中で、唯一、“立派な人”と呼べる人、唯一、“偉人”と呼べる人が、明仁天皇だろう。

そこで、自然な流れとして、近々のノーベル平和賞は、日本の不戦憲法と、明仁天皇の二者が、同時に受賞すべきだろう。

私は世代的に、マスメディア上などで明仁さんの子ども時代の写真をよく見ながら自分の子ども時代を過ごした者でありますが、たった一言で言うならばそのお顔は、「いわゆるオトコオトコしさとは無縁な、まるい、やわらかい、聡明で優しいお顔立ち」だった、という印象が今も心に残っている。

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ついでながら、戦争はあかんが、治安行為の国際バージョンは必要なときは必要である。今後ますますのグローバル化の進展を熟視しながらも、自衛隊を警視庁国際治安部とでも改名改組するのが良かろう。もちろん、堅固な法整備も並行して必要である。

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2018年12月 9日 (日)

犬が寝ていても他者不在だらけ: 改正入管法

これはあまりにひどい。
ものすごく苛烈な(そして多様な)「他者からの復讐」は必至である。

すでにR*****nなんか、プログラマーの過半数が外国人じゃん。
今からでも遅くはない。わしの本を一冊でも読め。
わしの生活を、すこしは楽にしてくれ。
…とは、もちろん、あくまでも暗喩的な言い方にすぎない。

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2018年12月 7日 (金)

犬が寝ていても他者不在だらけ

ここでの他者性を、全部ひっくるめて、「土地と人の霊」と呼ぼう。

「高輪ゲートウェイ」を、土地と人の霊は承認したのか?

いくらビジネス指向と言っても、他者性に根差さない名前、心のない名前は、なによりもまず、今後の長期的短期的ビジネスにとってネガティブである。

目先の浅い欲で、ますます無能な、どセンスの泥沼に落ち込んでいく、にっぽんのおっさん文化。救いようがない。

間に合えば、もっと美しい、日本語の名前にしてほしい。

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2018年12月 3日 (月)

社会病理学の研究方法

このところ出てくるのは、将来の課題ばっかしで忸怩々々だけれども(世界司法世界福祉もその一つ!)、小林久隆博士の、ノーベル賞を100あげてもおかしくないぐらい※のすごい発明は、ご本人が11年あまりも臨床経験(現場の医者としての経験)をされたことが生成の基盤として大きい、という気がする(化学療法や放射線療法で苦しむ患者を数多く見ている)。だいたい、多くの分野で、優れた基礎研究のためには研究者の少なくとも5年以上の、現場体験が必要ではないだろうか。〔※: ご本人は、大事なことはノーベル賞受賞者にならないこと、と仰ってるらしい。〕

しかし、フィジカルな病気というものには、いろんな意味でも「わかりやすさ」という利点がある。患者自身の苦痛や苦悩はもちろん、まわりの人間、まわりの社会全体としての大きくて明瞭な既知性がある。

ひるがえって、人類のコミュニケーション不能という社会的病理、そのものすごい量と質の悲惨残酷の積み重ねに関しては、その既知性はどうだろうか? 世界中のほとんどの人に、それが重大な病理であるという自覚はなく、戦争などの現場体験者においてすら、真の問題の認識はない。貨幣に関しても、貨幣自身を問題視するのではなく、自分(等)に貨幣(お金)がないことが問題だ(正しくない問題把握)。悲惨残酷は今なお、大小さまざまな規模で繰り返されているし、近未来遠未来においても繰り返されるだろう。

コミュニケーション不能は、ほとんどの人間がそれをまだ病理として自覚していない病理だ。一歩その深部へ突っ込んだ「他者不在」という伝統的脳不全現象においておや。

そういう、現状、どうしようもない分野における、有効な研究開発の方法は、なんだろうか?

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2018年11月30日 (金)

「測定」と「観測」

コミュニケーション研究の今後の重要な課題のひとつが、「他者不在が克服されたときの科学の形はどうなるのか」、その探究だ。数学、物理学、生物学等々は、どう変らなければならないのか。

これまでの科学は、自然を「対象」として把握し、それに対し操作的加工的にアプローチする立場が前提になっている。その姿勢を表すもっとも典型的な例として、自然の中に数はなく、数は100%、人間の脳内の観念であるにすぎないのに、科学は自然を数や数式によって表現し、把握しようとする。かくして、自然は人間の支配下におかれる(その結果、そのちゃちい傲岸な態度は、頻繁に他者からの復讐に遭う)。

自然は数や数式で表現把握できるようなちゃちいものではなく、それらは人間が作った勝手な像にすぎない。言い換えるとそれは、鏡の中に見る自分、「測定」と「観測」(という特殊ローカル態度、観念)が作り出している偏頗な像だ。

このブログや、その前身となるエッセイ集「コミュニケーション有能への進化」において、伝統的数学の立場を批判する試みを多少はしたけど、本格的な展開は今後のみなさまにお願いしたい。

自然と対立する、自然を疎外する、人間の旧来の生き方。その基盤となっている、旧来の科学。

地震や洪水など、大災害があるたびに思うのだが、自然がときに大乱動することがあっても、それらに悠然と揺られるがままに過ごし、乱動が収まるのを待つ、という生き方が、自然をきちんと他者として待遇する未来の科学、科学version 2.0によって可能になるだろう。

対立的構造の建物や都市や技術集積ばかり作るから、巨大で悲惨な被害ばかりが生ずる。むしろ、人間が自然の一部になりえる、地震では地球とダンスする、家造りなどがありえるはずだ。

旧科学はそろそろ、それが自然とするもの(object, 対象物)が、自らの観念が作り出している対立的「測定」と「観測」の像にすぎないことを自覚し、早々にv.2.0へと脱皮すべきである。

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