2017年4月25日 (火)

オリンピック考

オリンピックという(建前上)グローバルなお祭りは、しばらく、無期停止にしてはどうか?

なんとなくその前提となっているような“世界はひとつ”というコンセプトが、今や、非常に露骨に欺瞞だからだ。

彼ら自身自分が何を信じ何を言っているのか分からないようなテロリズムや、むちゃくちゃひどい女性虐待小児虐待や、むちゃくちゃひどい貧困や飢餓などが、もうちょい、ゆるやかな、おだやかな状態にまで治癒するまで、停止した方がよい。

そして、今あえて敢行するオリンピックのような欺瞞に向けてではなく、上記のような目標に向けてグローバルに努力していく。オリンピックに向けてではなく、そっちに多くの人の意思が向かうようなグローバルコンセンサスを広げ、浸透させていく。

そして、もう欺瞞ではないだろう、と言える世界状態になったら、再開するのはどうか?

それをやんないと、ますますオリンピック自身が、それら負の世界状態に侵食されていく危険性を感じてしまう。

そんな、オリンピックの白々しさは、すでにリオあたりからあったのではないか。確実に、顕在的に。

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2017年4月17日 (月)

スマホのない空間

さっき7chan(昔の12chan)で、高円寺で一人きりのはしご酒で徹底的に飲むことが癒やしであり息抜きである、というアメリカ人が出ていた。昔はAppleの社員だったが、週の労働時間80〜100時間では自分の時間がまったくない、と言っていた。(日本に住んでるのではなく、はるばるアメリカから高円寺に浸るために来日する人だ。)

私は昔、中央線沿線に住んでたし、高円寺では買い物や飲み食いのほかに仕事もしたから、中央線でベストの場所は高円寺だ、と明言できる。町も人間もわりと自然体なところ、緊張や無理のないところが良い。吉祥寺なんて、最悪である(さつま揚げ屋さんと味噌屋さん以外は)。

その元Apple社員のアメリカ人のはしごぶりを見ていて気がついたのは、どの店のどのカウンターやテーブル席にいても、スマホを取り出す、いじる、光景がゼロのこと。

「今」「ここ」そして「ここの人びと」に、完全に浸るためには、スマホは、「今ここ」に対する失礼に相当する。これまた、他者不在の典型である。今のスマートフォン等は、コミュニケーションのためにあるのではなく、見ていると明らかに、『コミュニケーションから逃げるため』にある。昔のウォークマンがそうであったように。

ダメ人間、バカ人間、コミュニケーション忌避人間を量産している。

Appleを逃げ出したその人の将来はどうなるか。でも、そんな「リセット」が、今実は、全員に必要なのではないか。

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2017年4月 9日 (日)

いじめで自殺しないために

未来のコミュニケーション理論/コミュニケーション学のラフスケッチをやっているこのブログ(と前身のエッセイ集)で、もっとも重要な概念のひとつが「他者不在」だ。

他者不在とは、心が(脳が)、他者を他者として存在せしめていない、ということ。他者を、自分という毛布の中へくるんじゃっていること。そこから、いじめ自殺もそうだけど、ありとあらゆるコミュニケーション不能の悲惨が生ずる。

他者を他者として存在せしめるとは、他者をはっきり、くっきり、discreteに、自分と完全に切り離して、自空間でなく別空間に置くことだ。

いじめをする他者を、ちゃんと他者たらしめるとは、そいつを、「なに?この人?」といった、醒めた目、けげんな目、冷たい目で見ること。そうやって他者を自空間に置かず別空間に置けば、こっちの心も脳もいじめに対して反応しなくなる。ちょっと、蠅のようにうるさいだけだ。うるさいから、その場を去ればよい。あんまりうるさければ、究極の「去る」として登校拒否をすればよい(親や教師にちゃんと説明してから)。登校拒否には、親といえども、他人がとやかく言う権利はない。本人の自己防衛策だから。

自分にとって有益な他人(楽しい、おもしろい、ためになる、趣味が合う、やさしい、等々)だけと、つきあえばよい。あとは、無視、無反応が、心の健康の鍵であり、自殺へのドアのシャットダウンだ。そうやって閉じてしまえば、二度と開かない。

いわゆる人付き合いのヘタな人なら、自分のやりたいことに毎日没頭すればよい。そうすれば、それを通じて、いずれ、本当の友だちができたりする。

他者不在の逆の、他者が他者として存在するとは、他者を他者として“つっぱねる”ことである。いじめっ子のそいつが何を言おうと、完全に不感症、そして、無関心になることだ。完全に他人視、他者視する。そして、関心を持つ価値のあることだけに、関心を持とう!

いじめには、あなたが関心を持つべき価値がゼロである。だからさっさと無視、去る、逃げるが勝ち。

いじめをやる連中を、完全な他者として、別空間へつっぱねておこう。自殺しない、健康者であるために。

反応しておもしろいことだけに、反応しよう。くだらんことに、いちいち反応する、「心の無駄遣い」をやめましょう。

無価値なものへの反応は、泥沼の道だ。足を取られてしまって、人生を前進できなくなる。自殺へのドアが、あなたを招く。

自分にとって本当に価値のあるものにのみ、反応しよう。

そして、

他者は、別空間に置く。

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badさんも、えーかげんにして、もっとしゃんとしなさいよ! 

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2017年4月 3日 (月)

自然は人間の、むしのいい期待を、受け入れてはくれない

このたびの高校生雪崩事故と、先年の大地震大津波原発事故に共通しているルーツは、自然という強力巨大な他者を他者としてリスペクトせず、“自然をあまく見る”であります。

“自然をあまく見る”が強行されてしまう理由は、“欲強迫”であり、その欲の大きな割合が貨幣欲である。自己保全欲、というのもある。

なんで、「絶対的に自然の方を立てる」という方向へ自然に心が流れないかというと、欲への社会強迫が強いからだ。そこで、自然が地雷原になってしまう。

鉄則は、自然は人間の無理を聞き入れてはくれないから、絶対に無理をしない、であります。この鉄則を忘れてはいけないし、忘れたふりをしてもいけない。

無理をしない、が自然な生き方になるためには、人類が新しい常識を、ぜひとも持つ必要がある。

欲は、他者不在の厚い壁を作り、コミュニケーション不能を定着させる。そして他者を、本当はそうせずにすんだはずなのに、強大な凶器にしてしまう。

「欲の方を優先しない」という、教育のベースが絶対必要やね。平和と優しさの教育や、それは。


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2017年3月27日 (月)

「他者不在」をどうやって理解させるか

旧人類(==現人類)の本質的な特性である他者不在(==コミュニケーション不能)を、多くの人に理解・自覚させるための効果的なやり方はあるだろうか?

たとえば、宗教は神(絶対者、超越者)をきっちりと、きりっと、他者化しない、神に対するたいへんな失礼であることを、xxx教の熱心な信者にどうやって分かっていただくか。難しい。

他者不在において他者はきっちり・きりっと、discreteに他者として措定されず、自己の視野中の自由可処分財(材)でしかない。処分のメニューの中に、殺害や虐待がある者も、多くはないが珍しくはない。

とくにオトコでは、性的オブジェクト化、という処分メニューもある。自分より弱い者(幼女など)は、処分作業がやりやすい(殺害処分を多くの場合伴う)。そういう、ものすごくひどい犯罪事件も、残念ながら、よくある。人間が日々を生きていく環境として、あまりにひどすぎる。

他者を、かきっと、他者として見る。リスペクトする。そういう心的態度を教えるのは非常に難しい。不可能、な人も少なくないだろう。

また一方では、ひどい(ときには長期間)他者不在扱いされたことに対する、会話的反応ではなく暴力的な反応も、今日まで連綿とよくある。会話が通じない、会話を受け入れない相手だからしょうがない、という絶望的な状況もよくある。

コミュニケーションのための理論は、その普及、教育がいちばん難しい。
幼女たちを危険にさらさないためには、いちばんの急務でもある。
しかし、名案はまだない。


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2017年3月19日 (日)

犬や猫が噛むこと

先日、赤ちゃんが犬(ゴールデンレトリバー)に噛まれて死亡する事故があった。今さら何を書いても遅いが、今後のための一般論として書いてみよう。

捨て犬や捨て猫を保護するようになって、今年で25年目を迎えるが、これまで犬や猫に噛まれたことは数えきれないほどある。5針縫った傷が最大だから、たいしたことないと言えばたいしたことない。でも猫の口の中はバイキンだらけで、一本の牙がささっただけでも必ず化膿し、全治までに病院通い10日ぐらいは必須だ。

なぜ彼らは噛むのかというと:

(1)加害錯覚
ちょっと手などを近づけただけで、それを、反射神経的に攻撃加害と解釈し、‘加害者’撃退のために噛むことがある。猫同士喧嘩しているときは興奮しているので、人間は手を出さない方が良い、噛まれたくなければ。上記の赤ちゃんのケースでは、私の勝手な想像にすぎないが、這い這いしながら手を前へ出し、犬の顔近くに自分の手を近づけたのではないか。そうでなくても、赤ちゃんと犬が一緒にいて、大人が至近にいないのは、絶対にまずい。

(2)あま噛み(甘え噛み)
猫に多いが、人間への愛情表現とした、負傷しない程度に噛むことはよくある。また、前足を前に伸ばして人間にじゃれつくとき、爪を収納しない猫がいる。どちらも、たまたま加える力の‘程度’の判断を猫が誤って、実際に怪我をしてしまうことが、ごくまれにある。可能性はきわめて低いが、その犬は人間の大人に対するときの力で、その赤ちゃんをあま噛みしたのかもしれない。

(3)生活史不良
前の飼い主の連日の常習的虐待で、凶暴化してしまった犬にまれに出会う。こっちは犬の教育訓練の高度なスキルや知識を持っていないので、残念ながらお世話できない。猫にも、良くない過去の生活史に由来すると思われる暴力はある。たとえば元野良のコーちゃんは、食べ物やミルクなどをあげるとそれはもちろん歓迎されるが、食べ物飲み物を猫の前へ置いた直後の瞬間から、その手(人間の手)は彼にとって、自分のものを奪いにきた者、と判断される。そこで、噛みつく。私は瞬時に手を引っ込めるので、負傷するまで噛まれたことはない。


(以下、20170402追記)
(4)赤ちゃんへの嫉妬
n, sさんのコメントにある「赤ちゃんへの嫉妬」を挙げておこう。新家族である赤ちゃんがちやほやされ、自分の格が下がることへの不満があるらしい。運が良いのか悪いのか、私の過去の経験や見聞の中に、それで赤ちゃんが犬に噛まれた、という話はない。しかしこんな記事もあり、「犬 赤ちゃん 嫉妬」でググるともっといろいろ出てくる。ここでも肝心なのは、親が注視を怠らないことだろう。


でも、まあ、自分の口や手に強力な牙があることと、食肉の準備を専門家(と畜場)に任せっきりであることと、どっちがいいとも言えない。


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2017年3月14日 (火)

Quora続

これも、おもしろい。質問者は誰あろう、私(岩谷)なのだ。

この“おもしろい"の意味は、サイコロ以上に多面的だ。

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2017年3月13日 (月)

被害者ぶることばかり得意な日本衆愚

●この世のものとは思われぬ醜

ひまなときQuoraを読むことがある。今日はこんなの(あえて訳さない):

What do non Chinese / Japanese people think of the Nanjing Massacre ?

Scarlett Mitchell, Hoarder of knowledge, graphic IT student, latte slinger
Written Dec 23

I am an American. I have never been to Asia.

I have no bias to either country, other than a love of both cultures. Or I didn’t, until I learned about this.

The massacre, aptly named “The Rape of Nanjing” has been called a genocide because it was a slaughter of civilians without any reason–The city had already been captured.

And not many, but still too many, Japanese people are literally denying any such “conflict”. Everyone else just calls it an exaggeration or demands “proof”. Some of the Japanese do acknowledge it.

You know how, in the Western world, Holocaust deniers cause disgust in the regular population? This is like if the entire country of Germany continued to deny the Holocaust, or called it an exaggeration.

But like, there are also photographs of young corpses with bayonets sticking out of vaginas littered across the city. Women and little girls were systematically raped, household by household, and then murdered. Children's genitals were sliced open to make rape easier for the Japanese soldiers. A pregnant woman was resisting rape, so she was disemboweled, fetus removed, then raped after death. This is all eyewitness accounts by locals and foreigners, film, photographic, primary source evidence.

And of course the 100 heads contest, which turned into decapitating 150 Chinese civilians.

Who cares if it was 300,000 people or fewer?

The Nanjing Massacre is by far the most fucked up thing Japan has ever done, and they literally have memorialized some of the criminals responsible.

Japan needs to apologize. I read the Wikipedia article, saw some of these pictures, and I want to call into work in the morning. So I can throw up. And cry.

It was like Genocide for Fun.

ついでに、Wikipediaも読むべきだ。

口直しに:
●この世のものとは思えぬ美

Maria Tipo: Scarlatti Sonata in G major

Maria Tipo - Clementi Piano Sonata in F# minor


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2017年3月 6日 (月)

Google検索に質問をする馬鹿

この記事には、Googleの検索で質問を入力すると、とんでもないウソが結果の上位に出る、ということを、報告している。

しかし、かなり長い記事でありながら、かんじんの指摘が欠落している。

それは、「コンピューターによる検索に質問を検索キーとして入力してはいけない」、という、コンピューター使いの常識だ。

その常識がないから、多くのアホたちが、「アメリカの大統領にKKKのメンバーはいたか?」とか「女性は悪か?」などなど、“質問”を検索キーとして入力する。

コンピューターによる検索に質問を入力することは、トランプをアメリカ大統領に投票することと似ている。視野狭窄なエゴイスティックな目先の欲に駆られた間違いだ。

仮に質問を検索キーとして与えたとしよう。しかしGoogle検索は、それを「質問」であるとは理解しない。「いくつかの文字列〜言葉の集まり」としか認識しない。コンピューターがやること、できることは、文字列の比較である。それのみである。

もちろん今日の実際の検索アルゴリズムは、さまざまな工夫を盛り込んでいるから、たとえば、いくつかの“関連語”でも検索する。だから「女は悪か?」という文字列中の「悪」の関連語として「娼婦」が用意されていれば、“どの女にもある程度の娼婦性がある”、というテキストがトップに出てきたりする※。

※: この記事で、Google検索が正しい答えを取り出した“質問”の例として挙げられているのは、「予防接種をすると自閉症になるか?」や「ジェット燃料は鋼材を溶解するか?」などだが、これらももちろん、Google検索が質問に答えたのではなくて、たとえば最初の例なら、予防接種と自閉症の二語で通常どおりの語彙検索をしたのみである。
…だからつまり、「ダレソレ大統領はKKKのメンバーだったか?」という“質問”と、単なる「大統領 KKK」というキーワード検索は、たぶん同じ検索結果になるはずだ。

車の免許に構造・法規の勉強が必要なように、みんな、コンピューターの基礎を勉強しなけりゃコンピューターを使うべからず、という厳しい法律が必要だね。Google検索に質問をする、というアホがいなくなるためには。

Appleの製品なら、不勉強の人でも十分使えるかも知れないが、それと同じ根性でGoogle(などなど)に接するのは、完全な間違い。コンピューターを根底から勉強しなくちゃ、だめ!!

AI、人工知能がもてはやされている今ですら、コンピューターにできることは、比較のみである。猫の画像をいっぱい憶えさせられたから、写真の中の猫を見事に当てられる、というだけのこと。ややこしい論理ストーリーを大量に憶えさせられたから、囲碁で人間の世界チャンピオンにも勝てるのだ。

今日は本当は、「就活は日本をダメにする」という文を書こうと思っていたのだけれど、でも、“コンピューターは質問に答えられる”という大誤解は、“既存大企業(or大役所)の正社員(正職員)になれば一生安泰である”という大誤解と同質かもしれない。視野狭窄の目先の欲、その根性が、日本を滅ぼす。

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2017年3月 3日 (金)

例によってオトコの光景

別に私は、小池都知事の味方をしなければならない義理も人情もないけれども、市場移転問題が現在、昏迷と迷走の渦中にどっぷりとあるのは、むしろ、現都知事になってからの大きな功績でしょうが。

それを、久々に穴蔵から出てきた浅薄男根小説家(元都知事)は、豊洲移転をさっさとやれ、しか言わない。問題の根因(==自分自身!!)を、未だに気づく能力もなく。

しかし、なんであんな乱暴オトコが、都知事になんかなってしまったのか。痛恨したって、遅い。

とにかく、途中でおかしな妥協をすることなく、すっきりとした自他ともに文句のない納得に達するまで、無限に昏迷したって迷走したってかまいませんよ。市場機能なんて、適切に徐々に分散化していったって、かまわないのだから。しかも流通マーケティング技術の進歩で、巨大な集中的centralizeな物理市場はだんだん要らなくなる。物流は、原産地→エンドポイント直行が、どんどん増えるんだからね。

centralizeな巨大物理市場は、もう、ある意味、古墳だよ。

無限に迷走してオトコの毒を洗い流すべし。

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