なんか消えない気持ち悪さ
土地の私権も、さかのぼれば相当いかがわしい部分があるんだろうと思うけど、今日はそれは措いといて、オープンでパブリックで自由多方向なコミュニケーションネットワークというものがありえて、それ、ないしそれに近いものが、今インターネットと呼ばれているものだとすれば、それに対しては万人に平等に私権があるんとちゃうんか。
そうすると今の巨大インターネット企業というやつ、たとえばFacebookというやつは(ひとつの例にすぎないが)、万人のその私権を勝手に私用し、それでもって巨額の広告収入等を得ているんとちゃうか。
わかりやすすぎてちょっとあれな例を挙げると、民家の庭先で屋台のラーメン屋勝手にやって、断りなくだけでなく、そのスペースの使用料を払わんとか。
そのへんがどうも、今のインターネット企業というやつの、膨大なる他者不在態度の、気持ち悪さなんじゃ。
コミュニケーションネットワークじゃなくコンピューターに関しては、誰もが作れてオープンで共通規格の(元)IBM PCに対して某林檎社のやることすべてが気持ち悪いことと、似ている。
主流的なアプリケーションのアーキテクチャも悪い(クライアント/サーバ主義の専横)から、この気持ち悪さが大手をふってのさばっている。
公共的なコミュニケーションネットワークは、それへの権利に関して、抜本的に明らかにする必要がある。
そうならないと、いつまでもすっきりしない。朝夕、気持ち悪い。
今のインターネット企業やサービスの、ユーザー側のひどさも、明確な私権==明確な個人責任、というものが明示的に確立していないせいでもある。無責任な、薄汚い使い方の氾濫。
Facebook(で例示されるようなもの)を破壊していったん更地にしたい、という衝動がある。A****やF*******(など)がここ長年一貫して気持ち悪いのは、一方的な提供物に大量に群がる、消費者という人種の気持ち悪さかもしれない。ヒトとしての主体、創造主体、権利、そして責任がない。
並行して、未来も含めさまざまなネットワーキングプロトコルがありうる中で、HTTPというきわめて偏頗なプロトコルだけがのさばり、もてはやされるのも気持ち悪いな。
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