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2022年7月28日 (木)

今月の他者不在(220728): あんなやつを自分の同類と視て処理したいのか

今の福祉とやらは、高齢者等から老いてからのさまざまな楽しみを奪い、社会貢献力にも封をしている。じいさんばあさんは、日向ぼっこをしながら、そこらで遊んでいる子どもたちに説話をすることが楽しみのひとつだ。私の子どものころのそんな説話にひとつに、「悪いことをされて仕返しをすると家族が末代までたたる」という仏教説話があった。悪いことをする人間になってしまった不運な者をむしろ憐れみ、お釈迦様のご慈愛がそいつを救うことを祈れ、というのだ。

法医学の知識や理論について何も知らなくても、自分にとってまったく未知無関係な人間を多数、一挙に殺してしまえる者は、私やあなたや、被害者の家族などと同類の平凡な凡人ではない。本稿の論旨で言えば、それは釈迦の目にとっては、救うべき病人だ。病人をまともで健康な凡人の仲間に入れて、まともな人間の仲間として極刑を科すことは明らかに罰、「仕返し」の論理だ。

問題は、被害者の家族の多くが本当に、死刑という極刑を希んだのか、という点だ。

無意味な無差別殺人を犯すという、とても不運な星のもとに生まれてしまった犯人の、今後の人生をできるかぎり救う、という視点は、まったくなかったのだろうか。じじばばの説話によると、それはたぶん、害者の家族の今後の長い人生の救い、そして充実にもつながる。

仕返しがまずいのは、自分を彼らの同類地平に置いてしまうからだ。

本当なら、より高度な人為であるべき法や社会が、相手と同じこと(人殺し)して悦に入るとは、…。

 

 

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2022年7月24日 (日)

今月のポジティブ(220724): イサク・ディネセン「アフリカの日々」

「白人なら、耳ざわりの良いことを言いたいとき、『あなたのことを忘れられません』と書くだろう。アフリカ人はこう言うのだ。「私たちのことを忘れられるようなあなたではないと思っております」

正しいコミュニケーション理論のためには、<自己と他己の位相認識>が重要、と最近思い始めていて、あらためてロックなどブルース系の音楽から浸透してきた黒人文化〜アフリカ文化のそれが気になっている。

上の短い引用文が、実はすごく感動的であることは、「アフリカの日々」の第一部を読めばよ〜く理解できる。猛暑の中の読書として、おすすめです。

 

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2022年7月 9日 (土)

またまた行政の不作為天国

これまでも、熱海市の大量の土砂をいつまでもどけない/土留工事もしない、とか、地震津波常襲地域の海岸に原発〜宅地開発を作る、とか、もはや失敗がデフォルトと化している児童虐待の救助などなど、不作為が大好きな彼らの人生哲学について触れてきたが、今回は露骨にひどすぎる。なぜ、車道を渡ってきてターゲットの背後に回り込んだ犯人を、そのときいち早く接近し職質・持ち物検査せんのか。およそ、プロのSPの態度ではない。その時点で、無害な善人と信じられる証拠は、得られていない。なぜ見逃すのか。

 

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