今月の他者不在(220728): あんなやつを自分の同類と視て処理したいのか
今の福祉とやらは、高齢者等から老いてからのさまざまな楽しみを奪い、社会貢献力にも封をしている。じいさんばあさんは、日向ぼっこをしながら、そこらで遊んでいる子どもたちに説話をすることが楽しみのひとつだ。私の子どものころのそんな説話にひとつに、「悪いことをされて仕返しをすると家族が末代までたたる」という仏教説話があった。悪いことをする人間になってしまった不運な者をむしろ憐れみ、お釈迦様のご慈愛がそいつを救うことを祈れ、というのだ。
法医学の知識や理論について何も知らなくても、自分にとってまったく未知無関係な人間を多数、一挙に殺してしまえる者は、私やあなたや、被害者の家族などと同類の平凡な凡人ではない。本稿の論旨で言えば、それは釈迦の目にとっては、救うべき病人だ。病人をまともで健康な凡人の仲間に入れて、まともな人間の仲間として極刑を科すことは明らかに罰、「仕返し」の論理だ。
問題は、被害者の家族の多くが本当に、死刑という極刑を希んだのか、という点だ。
無意味な無差別殺人を犯すという、とても不運な星のもとに生まれてしまった犯人の、今後の人生をできるかぎり救う、という視点は、まったくなかったのだろうか。じじばばの説話によると、それはたぶん、害者の家族の今後の長い人生の救い、そして充実にもつながる。
仕返しがまずいのは、自分を彼らの同類地平に置いてしまうからだ。
本当なら、より高度な人為であるべき法や社会が、相手と同じこと(人殺し)して悦に入るとは、…。
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