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2022年5月18日 (水)

今月のポジティブ(2205-1): 市民と政府の両方に説明責任がある台湾のデジタル化

この記事は台湾のデジタル相オードリー・タン氏とジャーナリストの堤未果氏の対談ですが、台湾における社会的デジタル化の進め方の部分が興味深いので、このリンクが壊れていてもどこかで探し出して読む価値はあると思う。

私の昔々の訳書に「IBMコンパチ機の作り方」というのがありまして、今なら‘コンパチ機’のところは‘互換機’になるでしょうが、なにしろこれは、IBM PCと同等のPCを自作手作りしよう、というアメリカで出版された一般大衆向けPC本の訳書です。手作りパソコンのベースとなる部品はすべて、台湾製です。

かんじんなのは、こんな本が日本やアメリカで出版され、多少売れるのは良いとしても、手作りPCを作るためのパーツやコンポーネントはこの日米二国ではまったく作られ売られていないことだ。当時からすべて、台湾製だ。(メモリやプロセッサーなど汎用・多(他)用途の半導体は日米の大手が作っていたが。)

そして今や、半導体でも最終製品(PC、スマホ等)でも世界のトップは台湾勢ないし、中核の部分に彼らがいる中国勢だ。

私が言いたいのは、「草の根の威力」ということ。

そしてここで取り上げる台湾の社会的デジタル化も、草の根的であること。そのため、個人が社会に対して責任があると同時に、社会(〜政府)は個人に対して責任がある。そんな構造の実装として、デジタル化を進める。

非常に単純化して言うと、既存の分厚い産業構造があって、そこに潜り込むための競争に勝つこと(==競争社会)が人生の目標とされる日米と、何もないから自分で何かを作り出さなければならない台湾の違いが大きい。(ただしアメリカでは移民やその子孫という、非体制的な部分がある。そこが移民排除国ニッポンと大きく違う。)

新しいものが生まれ育つのは、当然、既存部分が希薄な後者からだ。そこでは政府など上部構造が強いだけでなく、平等に民間部門も強い。両者同格になり、同格をベースにシステムが構想され実装される。

そして、日本のデジタル庁という、わけのわかんないお役所は、「国民総参加」という匂いがゼロで、従来のお役所仕事を、論理構造は既存のそのまま、機械化合理化効率化する、程度の匂いしかない。新しさや、それに対する期待がない。

情報化、コミュニケーションの全面的円滑化を、狭い牢屋に拘置したままで推進されるお役所仕事のデジタル化。夢がない。とくに国民の側の。

(競争社会で勝ち抜いてきた連中ってのは、それが社会の揺るぎなき骨格である、という視野しか持ち合わせていない、と思われる。)

というわけで、これからの日本の子どもは、今のこの国の狭域的競争社会にバイバイ別れの手を振って、広域的参加社会を目指した方がええんとちゃうかな。草の根が、まず徐々に、グローバルに散在的に作られていけばよい。

 

 

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コメント

無責任な傍観者であるよりも、痛みも負う参加者であるほうが人生充実して楽しいという考えがトレンドになるかも。

投稿: 南 | 2022年5月20日 (金) 06時24分

 傍観者は無責任という短絡はどうなんでしょうね

投稿: | 2022年5月21日 (土) 02時53分

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