明日(4/12)は「EterNow, 今がすべて」のCD復刻版が発売される日と思いますので、以下はその宣伝のための一文です。これは、復刻版の「ライナーノーツ」として1月に書いたものです。宣伝といっても、著作権者は私ではなく松村雄策の遺族となっています。私は、というと、文章でも何でも過去の作品はこっ恥ずかしく感じてしまう方なので、あえて下働きに徹しています。
===ではでは===
夢破れし「美少年歌劇団」
岩谷 宏
1970年代半ば、私がやろうとしていたのは、「美少年歌劇団」です。ちょっと不正確な言い方をすると、“宝塚の男子バージョン”です。それは、発想した時点では、日本の芸能界に革命をもたらすビッグな構想だったのであります。タイミング的には当時のグラムロックと同時期ですが、グラムロックにインスパイアされたという記憶はありません。でも当時のディヴィッド・ボウイーやTレックスやロキシー・ミュージック/ブライアン・フェリーなどの音やパフォーマンスは大好きでした。とくにその、男的なものや男っぽいむさ苦しいものを否定するスタイルは、美少年歌劇団が志向するものと同じだったでしょう。
もう一つの動機は、私が感動した松村雄策氏のバンド「自滅回路」のメジャー化です。そもそも、これだけかっこいい名前の日本のバンドは、21世紀の今になっても存在しません。そもそもロック音楽には人間や自己、社会などの現状に対する否定的なもの、ネガティブなものがガツン!とあるべきものですが、日本のロックと称するぬるい音にはそれがない。ちゅうか、根底のコンセプトがない。だから「自滅回路」にだけは絶対、大メジャーになってもらいたかった。
人間は、自分のことを万物の霊長とか言って威張っているけど、その歴史と現状を見るかぎり相当ひどい生き物です。そのひどさを点検していくと、これまでの人間のコミュニケーション不能、いや、不能以前の、コミュニケーション無志向、手っ取り早く暴力に依存する傾向がある。人類の雄という地球上の最下等動物が、正当な根拠によってではなく暴力によって権力を握っているかぎり、この『ひどさ』はなくならない。永続する。
もうひとつ、お金、貨幣というものも、人類の歴史と社会のひどさ、そして往々にして暴力性の原因になりますが、こちらも緩和されていく傾向はまだありません。シリアとかアフガンとか、本当にひどいところを見なくとも、経済大国と言われる日本ですら、まともに食事を食べられない子どもたちがいます。それなのに政治家たち(男)は、日本の経済政策は成功、と言っている。
というわけで、男の男性(オトコセイ)を否定する、オトコにもっと柔らかく優しく美しく、感受性が繊細豊かになってもらうことを目指して、美少年歌劇団「イターナウ」を立ち上げたのです。イターナウは英語のアルファベットで書けばEternow、Eternal(永遠の)Now(今)となり、本当にあると言える唯一のものは「今」だけですから、それを大切にすることが、人類の優しさ革命、コミュニケーション最優先社会のベースである、と直感しています。どなたも気づくと思いますが、従来の人間の存在感の中には、「今」という時間軸がないですよね。今は、非常に長年、疎外されてきました。
このCD上にあるものは、そのEternowの最初の公演の音楽の一部です。最初の公演は、以下に述べる理由により、最後の公演になってしまいました。曲は単純なものばかりですから、解説は略します。
いろんな方々の参加と協力で、Eternowの形が出来上がっていく中で、しかし私の中では「やる気のなさ」が徐々に首をもたげてきました。大きな疑問があるのです。それは、「ステージvs.オーディエンスという形の関係性に未来に向けての意義や意味はあるのか?」という疑問です。
ステージの上では5本の指か10本の指で数えられるくらいの人数の、少数で、それぞれ同定可能な(名もあり顔もある)人間がその内部的関係性の中でパフォーマンスしています。ところがオーディエンスは不特定多数で、お互いの顔を見ることもなく、お互いにコミュニケーションすることもパフォーマンスすることもなく、無言の大衆塊としてステージ上の演技物を「消費」しています。多数の顔のない消費者vs.少数の演技者という、スタティックで不毛な関係がそこにあるのではないか。
そこには、対話性とか、何かを一緒に作っていくという、ダイナミックな関係性がありません。その後台頭してきたインターネットには、そんな動的関係性を構築・維持・生成・変化していく能力があります。そういうものと比べて、人の関係性が築かれないスタティックな古典的エンターテインメント産業には、将来性がないのではないか。
Eternowもまた、オーディエンスvsステージパフォーマンスという古典的エンターテインメント商品にすぎないのではないか。今や、沈黙のオーディエンスというものが、不気味で無意味な存在です。
いわゆる、インターネット革命が始まるその前夜、私は静的芸能商品というものに、メインの関心を失いつつありました。しかしそのインターネットも、今やおかしな問題をいっぱい抱えています。
松村氏と日下さんなど自滅回路の面々、それに石田くんや窪田晴男氏のような優秀な人々がたくさん集まったにもかかわらず、かんじんのプロデューサーが大きな疑問符の自縄自縛に陥ってしまいました。いまさら言うのも白々しいですが、当時はいろんな方にご迷惑をおかけしたことをお詫びします。
そして今回、奇跡のように過去のわれわれの努力の痕跡を復活してくださった赤司氏らに感謝申し上げます。「美少年歌劇団」というコンセプトそのものは、今でも、未来的に有効かもしれません。日本のいわゆる「アイドルグループ」が、あまりにもつまらないだけに。
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ウクライナの被侵攻都市の映像で高齢の女性が「三歳のとき避難をした私がこの歳になってまた避難をしている」と嘆いていた。私も2〜3歳のころ、ぼろアパートの庭に掘った防空壕の中で家族や他の住民と一緒に時間を過ごした記憶が今でも鮮明にある。子どもなので恐怖感はなく、むしろ、おもしろかった。爆撃は実際にはなかったから、状況は今のウクライナや往時の広島、東京などとは大違い。平穏なものでした。日本列島の今後の防空防災は如何?
オトコというイキモノには、世代交代による微量の進化すら皆無なのか??
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