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2022年4月27日 (水)

地域の尊厳を育むことを楽しもう

real communications science、本物のコミュニケーション科学の準備をする、と謳うこのブログも、そろそろ20年近くになるので、簡単なまとめをここらで書いてみよう。

●結論: 人類社会がコミュニケーション有能をベースとするために必要なのは、これまでの、

『「他者不在」の自覚と、その克服』

である。

あらゆるものに、その、確固たる他者の尊厳を認め、リスペクトすること。他者を恣意的に扱う他者不在を、解消すること。

●いちばん包括的で悪質な他者不在は、絶対者に対するぬけぬけたる他者不在、すなわち宗教だ。絶対者を、共同体が定義した玩具にしてしまう不埒。

●一方、シンプルで分かりやすい他者不在は、動物園(とペット)や「アレ」である。今の時期、自粛して「アレ」としか書けない。

●その、地域に対する他者不在認識/行為であるアレをやめて、地域を地域としてリスペクトするやり方はいろいろある。ヒマとカネをアレのために使うのではなく、営農支援など、自然と接する活動に子どもも含めて参加する、など。そんな芽生えは、すでに随所にある。

☆代理店などは、地域リスペクトを核とする商品開発に専心すべきだ。好き勝手な消費行為であるアレではなく、前向きの地域参加を核とする。それらをいわゆる、地域再生の核にしていく。

☆もうひとつ重要なのは、自分と家族が今生きている地域〜地域社会への貢献だ。ヒマとカネを、アレのような純消費行動ではなく、地域を支えるために投ずる。たとえばうちの場合は、地域の遺棄猫や遺棄犬の保護を30年近くやっている。殺処分を、微々たる規模で防げている。今後は、犬猫でなく、人間に対して、やるべきことが地域社会にはいっぱいある。独居高齢者に夕食を届けるとか、非常にマイナーなレベルでの交通安全対策など。

自地域と他地域。地域に対する創造的主体的な取り組みの拡大普及により、あの、なさけない消費活動にすぎないアレが、代理店の商品企画としても、衰微していくだろう。アレは、徐々に、実りない、つまんないイメージのものへと、格を下げていく。

地域を完全に消費対象とするアレは、動物に対する動物園と同じく、完全に不健康不健全(両者にとって)病的であるので、早急に廃棄されるべきである。

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「他者不在」は、他者がいるべきところに他者がいないことです。動物園が説明に便利なのは、厳然とした他者であるはずの、自然の中で仲間たちと楽しく生きているべき象やゴリラたちを『拉致』してきて、人間が自分たちの楽しみの対象にしてしまう==本来の他者性が失われる、からです。他者不在が自覚解消された人類社会では、動物園のようなものは自然に廃止されているでしょう。

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2022年4月21日 (木)

今月のポジティブ(202204n4): 通知表を廃止した小学校

それは茅ケ崎市立香川小学校でありますが、本題の「教育効果」については、あちこちにいろんな報道があると思うので、ここでは副次的メリット二点に絞りたい:

(1)教師の膨大な量の事務雑務がなくなる

いまどき、がっこのセンセになりたくない理由のひとつが、労働のタイヘンさだ。通知表関連労働をなくすだけでなく、例の部活というやつも教師の重労働負担を大幅になくさないとあきまへん(例: 父兄ボランティア地域ボランティアの活用)。それによりココロとアタマが児童という「人間」により多く向くようになるでしょう。主関心が人間に向かえば、発達障害などの概念分類への関心も日常的に希薄になるでしょう。

(2)父兄との会話の中心話題が人間としてのその子自身になる

通知表というメトリクス(数値化媒体)を間に置かずに、会話の初めから終わりまで、ひとりひとりの、生きた人間をメインの話題にできる。日常的に、児童を、人間としてよく見れる感じれるようになる※。ただし教師らは、人間とその成長の多様性について認識と勉強を深める必要がある。

人間という多様な個性をベースとする生き物の教育を、単純に数値化ランク化することは、致命的な間違いである。

※: それには、いじめ防止や、受験戦争(とっくに荷のないカーゴ信仰!)無価値視化の効果もあるだろう。

以上、47NEWS→Yahoo!ニュースJAPANより https://news.yahoo.co.jp/pickup/6424400

 

 

 

 

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2022年4月11日 (月)

眠りから覚めた(?)EterNow

明日(4/12)は「EterNow, 今がすべて」のCD復刻版が発売される日と思いますので、以下はその宣伝のための一文です。これは、復刻版の「ライナーノーツ」として1月に書いたものです。宣伝といっても、著作権者は私ではなく松村雄策の遺族となっています。私は、というと、文章でも何でも過去の作品はこっ恥ずかしく感じてしまう方なので、あえて下働きに徹しています。

===ではでは===

夢破れし「美少年歌劇団」
岩谷 宏


1970年代半ば、私がやろうとしていたのは、「美少年歌劇団」です。ちょっと不正確な言い方をすると、“宝塚の男子バージョン”です。それは、発想した時点では、日本の芸能界に革命をもたらすビッグな構想だったのであります。タイミング的には当時のグラムロックと同時期ですが、グラムロックにインスパイアされたという記憶はありません。でも当時のディヴィッド・ボウイーやTレックスやロキシー・ミュージック/ブライアン・フェリーなどの音やパフォーマンスは大好きでした。とくにその、男的なものや男っぽいむさ苦しいものを否定するスタイルは、美少年歌劇団が志向するものと同じだったでしょう。

もう一つの動機は、私が感動した松村雄策氏のバンド「自滅回路」のメジャー化です。そもそも、これだけかっこいい名前の日本のバンドは、21世紀の今になっても存在しません。そもそもロック音楽には人間や自己、社会などの現状に対する否定的なもの、ネガティブなものがガツン!とあるべきものですが、日本のロックと称するぬるい音にはそれがない。ちゅうか、根底のコンセプトがない。だから「自滅回路」にだけは絶対、大メジャーになってもらいたかった。

人間は、自分のことを万物の霊長とか言って威張っているけど、その歴史と現状を見るかぎり相当ひどい生き物です。そのひどさを点検していくと、これまでの人間のコミュニケーション不能、いや、不能以前の、コミュニケーション無志向、手っ取り早く暴力に依存する傾向がある。人類の雄という地球上の最下等動物が、正当な根拠によってではなく暴力によって権力を握っているかぎり、この『ひどさ』はなくならない。永続する。

もうひとつ、お金、貨幣というものも、人類の歴史と社会のひどさ、そして往々にして暴力性の原因になりますが、こちらも緩和されていく傾向はまだありません。シリアとかアフガンとか、本当にひどいところを見なくとも、経済大国と言われる日本ですら、まともに食事を食べられない子どもたちがいます。それなのに政治家たち(男)は、日本の経済政策は成功、と言っている。

というわけで、男の男性(オトコセイ)を否定する、オトコにもっと柔らかく優しく美しく、感受性が繊細豊かになってもらうことを目指して、美少年歌劇団「イターナウ」を立ち上げたのです。イターナウは英語のアルファベットで書けばEternow、Eternal(永遠の)Now(今)となり、本当にあると言える唯一のものは「今」だけですから、それを大切にすることが、人類の優しさ革命、コミュニケーション最優先社会のベースである、と直感しています。どなたも気づくと思いますが、従来の人間の存在感の中には、「今」という時間軸がないですよね。今は、非常に長年、疎外されてきました。

このCD上にあるものは、そのEternowの最初の公演の音楽の一部です。最初の公演は、以下に述べる理由により、最後の公演になってしまいました。曲は単純なものばかりですから、解説は略します。

いろんな方々の参加と協力で、Eternowの形が出来上がっていく中で、しかし私の中では「やる気のなさ」が徐々に首をもたげてきました。大きな疑問があるのです。それは、「ステージvs.オーディエンスという形の関係性に未来に向けての意義や意味はあるのか?」という疑問です。

ステージの上では5本の指か10本の指で数えられるくらいの人数の、少数で、それぞれ同定可能な(名もあり顔もある)人間がその内部的関係性の中でパフォーマンスしています。ところがオーディエンスは不特定多数で、お互いの顔を見ることもなく、お互いにコミュニケーションすることもパフォーマンスすることもなく、無言の大衆塊としてステージ上の演技物を「消費」しています。多数の顔のない消費者vs.少数の演技者という、スタティックで不毛な関係がそこにあるのではないか。

そこには、対話性とか、何かを一緒に作っていくという、ダイナミックな関係性がありません。その後台頭してきたインターネットには、そんな動的関係性を構築・維持・生成・変化していく能力があります。そういうものと比べて、人の関係性が築かれないスタティックな古典的エンターテインメント産業には、将来性がないのではないか。

Eternowもまた、オーディエンスvsステージパフォーマンスという古典的エンターテインメント商品にすぎないのではないか。今や、沈黙のオーディエンスというものが、不気味で無意味な存在です。

いわゆる、インターネット革命が始まるその前夜、私は静的芸能商品というものに、メインの関心を失いつつありました。しかしそのインターネットも、今やおかしな問題をいっぱい抱えています。

松村氏と日下さんなど自滅回路の面々、それに石田くんや窪田晴男氏のような優秀な人々がたくさん集まったにもかかわらず、かんじんのプロデューサーが大きな疑問符の自縄自縛に陥ってしまいました。いまさら言うのも白々しいですが、当時はいろんな方にご迷惑をおかけしたことをお詫びします。

そして今回、奇跡のように過去のわれわれの努力の痕跡を復活してくださった赤司氏らに感謝申し上げます。「美少年歌劇団」というコンセプトそのものは、今でも、未来的に有効かもしれません。日本のいわゆる「アイドルグループ」が、あまりにもつまらないだけに。

--end--

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ウクライナの被侵攻都市の映像で高齢の女性が「三歳のとき避難をした私がこの歳になってまた避難をしている」と嘆いていた。私も2〜3歳のころ、ぼろアパートの庭に掘った防空壕の中で家族や他の住民と一緒に時間を過ごした記憶が今でも鮮明にある。子どもなので恐怖感はなく、むしろ、おもしろかった。爆撃は実際にはなかったから、状況は今のウクライナや往時の広島、東京などとは大違い。平穏なものでした。日本列島の今後の防空防災は如何?

オトコというイキモノには、世代交代による微量の進化すら皆無なのか??

 

 

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2022年4月 8日 (金)

大型犬対策==機敏さ+腕力

前にも取り上げた、読者のコメントができないブログの記事で、大型犬が幼児を襲うなどの事故防止として:

動物病院などに連れて行くとき--

・首輪が外れないように、家を出る前に点検する

・胴輪もつけておく

・他の動物とのトラブルを避けるために、予約する

・動物病院に連れて行くのが難しい場合は、往診にする

とかあるけど、とにかく一般的にどこにおいても、幼児など弱者がそばにいるときは「リードを短く持って」犬が無用な前進をしそうになったらリードの短さで抑えるという急ブレーキ的な「素早さ」+「前進を未然にストップする」強力な腕力、腰力、足力が必要です。万一自分が怪我しても、幼児が怪我するよりずっとましです。

 

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2022年4月 3日 (日)

今月のポジティブ(2)(2022/04/03): なりすまし犯人をつきとめた「なるさわ」さん

フィッシング(なりすまし)による名誉毀損ツイートで仕事を失ったNさんは、まずTwitterに発信者情報開示を請求。1か月で犯人のIPアドレスを入手。次はそのIPアドレスを提供しているプロバイダーに契約者情報を請求。7か月で氏名住所を入手。弁護士費用等、これで40万円を支出。

このあと、話は民事訴訟、和解と続くが、詳しくは記事を。Nさんが偉いのは、とんでもない犯人に対し、復讐をいっさいしていないこと。

このわたくしはもう、5年以上も前からTwitter、Facebookなど、メジャーなSNSに投稿アクセスをしていない。にもかかわらず、他の処も含め、なりすましがいる気配はある。まだ甚大な被害はないので、放置している。

今のインターネットはそもそも、大学〜学生間のローカルなコミュニケーションネットワークとして作られている。最初から、グローバルでパブリックでオープンな通信ネットワークとして設計されたわけではない。ひとことで言えば、欠陥ありすぎ!!! 今代表的なアプリケーションとなっているWorld Wide Webも、元々は研究者間のローカルなネットワークとして作られている。

セキュリティの問題が山ほどあり、対策はつぎ当てのようなちゃちなものばかり、しかも今や超難解。

インターネットという名前は残ってもよいが、基本アーキテクチャとプロトコルは100%一新しないと、ぜったいあきまへん。

Twitterさん、そしてプロバイダーさん、情報開示に1か月7か月は長すぎです。また、費用40万なんて高すぎです。今のインターネットは、どうにもこうにもだめです。

そして雑談: ハフポ(ハフィントンポスト)日本語版は当初あまりにもユーザー・アンフレンドリーだったのでずっと敬遠していましたが、このNさんの記事はハフポ(Japan)のオリジナル記事です。この記事もしかし、法的アクションを起こしたいと日頃思っている読者のための実用記事としては弱い。

 

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2022年4月 2日 (土)

発達障害という便利なレッテル

わたくしはチューリップという花は最後が汚(きたな)らしいので好きくありませんが、お好きな人のお庭には、今が盛と咲き誇っている。

その揃いぶりを見て感じるのは、今の学校に代表される体制的教育は、児童生徒にこのチューリップたちのような画一的そろいぶりを期待しているのではないか。

今のいわゆる先進国は、未知と多様化の世界であるので、教師たちの期待に沿わない変化形がさまざまに存在する。新しくて名付けようのない形もある。

本当に何らかの症状のある者を除いては、「〜〜障害」という分類はまずいのではないか。

多様への正しい対応は、今の義務教育やその担当者たちの認識や能力の手には負えない課題かもしれない。

でも、障害というレッテルは貼らない、どんな子かじっくり見ていく、という態度が必要ではないか。

親も、自分の子の宇宙にそれ一つしかない個性を、信じることを子育ての基盤にすべきだ。学校(集団、画一)という場が全然合わない子なら、それなりの対応も必要だろう。

いずれチューリップ畑にも、得体も知れない花々が咲き乱れるようになるだろう。

それらを、摘み捨てる必要はない。

 

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今月のポジティブ(220402): 一周遅れでもいいから日本もモダナイズできるか?

日本の評論家族の中にも、やっと前向きの正論が出てきたので、ご紹介しておきたい。加谷珪一氏の:

日本だけ給料が上がらない謎...「内部留保」でも「デフレ」でもない本当の元凶

もうひとつ:

・日本企業は「人材」に投資しなさすぎ...これでは経済成長できなくて当然だ

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さらに、今ではMMTという語が一つも登場しない

大衆化版MMT論    (幻冬舎ゴールドオンライン/藤井聡インタビュー/借金1220兆円の日本がギリシャと違って財政破綻しない理由)

が登場しています。大げさに言うと、隔世の感、でしょうか。(2022/04/05追記)

 

日本人に根強い「人脈共同体主義」==保守政権長期化の元凶※、を取っ払わないと、モダナイズどころかイジメもXXハラもなくならない。いじめられタイプの人たち、強くなれ!! (※: だから“論理”が愛されない。)

 

 

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