ここでは、豊かさというものを、金銭的なそれとか、コミュニティやココロの豊かさなども含めて最広義の意味で指すものとする。
日本でもウン千年ウン百年まえから、社会の混乱期には野盗が跋扈した。
コミュニケーションについて考える本ブログでは過去に何回も、「宗教は神の名を騙る野盗である」という意味の言葉で、宗教の無化を主張してきた。
一方、コンピューターとネットワーキングの技術は、ソフトウェアもハードウェアも生産の自動化が進んでいるとはいえ、この自動化自身も工作物であるがゆえに、それらは人の能力を動員する産業である。今も未来も。必要とされる人の数は、ごく近未来的には今の数百倍、半世紀スケールでは数千倍、もっと長期的には数万倍よりも大きいと言われている。いや、今すでにたいへんな人材不足だ。産業の産はとりあえず金を産むの産だが、さまざまな新しい文化的社会的副産物も多い。
ほかにも もちろん、カジノの従業員よりましな若者の活路はいろいろある。注入が必要なのは、軍ではなく、資本だったのだ。
かの地で20年もの長期、何をしていたのかよく分からない米欧だが、はっきりしているのは全然、かの地における豊かさを育み定着、自己再生産化の風土をまったく作らなかったことだ。単純化して言うと、その大金は当地のローカルボスたちが私腹して終わりだ。そのローカルボスたちは今回、国外へ蜘蛛の子のように逃散しちゃったらしい。
※: 子ども二人をアメリカに留学させて、各人に、日本円換算で数億円の家をアメリカでの生活用に買い与えた、なんて話は、この20年が米欧の完全な大失敗以外の何物でもなかったことを、露骨に象徴している。
各地で、宗教で武装した野盗が権力と勢力を育ててきた。米欧は20年間も、ずっと全面的に、愚か&無能だった。宗教という貧しさに自然にそして徐々に勝てるのは、本当の豊かさだけだ。
今、宗教色がとても希薄になっている各地のコミュニティは、宗教廃絶運動のせいでそうなったのではない。豊かさが、宗教という細い硬い鋭いトンガリを、徐々に自然に消しゴムのように希薄化しているのだ。豊かさは、人と神を仲良くするから、人と人を仲良くするへ変えていく。
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