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2021年6月 6日 (日)

スポーツがまるで免罪符であるかのように

この場合の「罪」とは、何のことだろう。それは、相当大きな広範囲的な総称的名詞であるところの「lie」だ。これを日本語の「うそ、嘘」と訳してしまうと、元の「lie」に込められている意味は全然失せてしまうから、「lie」を使うしかない。

「欺瞞」なら、ややましかもしれない。

lieから意識を逸らすという意味でのガス抜きというかカタルシスの役をスポーツに負わせるためには、スポーツが定常化していなければならない。

古代ローマにはある種の残酷なスポーツが定常化していたようだが、それも含めて、今ほど大々的にスポーツが定常化している時代が、今の現代のほかにもあったのだろうか?

それは、ある普遍的で強力ななlieの広域的な定常化と重なる時代でもある。

これ以上しんどい話をしてもしょうがないけど、スポーツが良い意味を持つのは、それを真剣に、あるいはスポーツの原義である遊びとして、やってる当人においてのみだ。

ひまな人には、いじめと難病の両方を克服したこのお話 をおすすめしたい。

※: スポーツ番組がやたら重厚なNHKの’罪’は、放送権の半独占か。

 

 

 

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コメント

スポーツを熱狂的に応援してる人達って
どんだけお人好しなんかなー、と思ってしまう。
他人のすることにどんだけ熱あげてんねん。

投稿: 新保誠次 | 2021年6月 7日 (月) 23時54分

スポーツを熱狂的に応援してる人達って
どんだけお人好しなんかなー、と思ってしまう。
他人のすることにどんだけ熱あげてんねん、という。

投稿: 新保誠次 | 2021年6月 8日 (火) 00時14分

スポーツの元々の意味は「外れたふるまい」だと聞いたことがあります。でもこの事は決してネガティブワードではなくて、ある意味人が生きていく上で必要なこと。言い換えれば「遊び」ですね。人生は真面目な日常(時にはイジメに耐えなきゃならない)と遊びの両方があって成り立つものだと思う。たかだか遊び(でも大切)なのに、大量の人間が集まって大袈裟に批評や批判したり、あまりにも日常化させてしまっている。非日常であることが良いのになぁ。テニスの大坂なおみさんを見ていると、身体は正にアスリートとしての強靭さが際立っていて美しく感じますが、話すと本当に純粋無垢な子供っぽさを感じ取れます。それを寄ってたかって批判したり絶賛したり、、、そりゃウツ病にもなりますよ。

投稿: musataro | 2021年6月 8日 (火) 06時21分

スポーツは見るものではなくやるもの。
(やらなくてもいい)

「自分の生涯収入を一年で超える人を応援するという異常」日垣隆

投稿: 南 | 2021年6月 8日 (火) 06時31分

「スポーツとか色々な楽しみごととかを/つまりあなたの気持ちを外に向けるもののすべてを/わたしはいつも完全に否定している
ウン十年前に読んで(飲んで)、今も私の中心で放射線を発し続ける詩の一節です。

投稿: むらせよしひろ | 2021年6月15日 (火) 20時49分

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