プログラミング「教育」のもやもや
プログラミング教育の義務教育化という話題や制度が、もやもやと沸いているようですが、そんな話を見るたびに私が思うことは:
・プログラミングは工作、すなわち物づくりなので、そこには物づくりの楽しさがないとあきまへん。設計を(多くは自分の頭の中で)やることから始まり、少しずつ部品や部材を作り、そして全体を組み立てていく。途中にも暫定的結果にも、もちろん間違いがあり、それもまた楽しみと話題の一部になる。
※: 生徒の側には達成感が必要だし、指導する側にはクリエイティビティが必要。最初のうちは、それが”あるふり”ぐらいは必要。
・プログラミングの学習、技能の成長のためには、オープンでフレンドリーで自由で双方向多方向的なコミュニケーション、というベースが必要。教わったり、自分より下級者に教えたりが、ときにはジョークや自虐も混じえたフレンドリーなやり取りで常時継続しなければならない。その常時のコミュニケーションも、楽しさの重要な一環になる。
・頭の中の基本的で単純な論理性を鍛えること。論理性に基づかず、恣意性でものごとを決めることを廃すること。すなわち、日本の伝統社会のベースである、どーしょーもない恣意性まみれのおっさん性を否定し超えること。
※: マスコミの希薄な情報から推察すると、みずほ銀の不手際も決定者のココロのオッサン性的なエーカゲンに原因があった気がする。
・その他の一般教科の内容も、プログラミング教育(というより「プログラミング学習」が良い呼び方)の導入に合わせ、それを支えるために一部改定すること。たとえば『数学』。並行してプログラミング教育の内容もup-to-dateに保つことが重要。時代遅れのことを教えたらあかん。
とにかく、ここにもまた、いじめや強圧・強迫がはびこることを、絶対的に阻止しないと、この学習に将来性はありません。自主自由な進歩でないと、日本全体が、世界の落ちこぼれになるでしょう。
最近のコメント