他者不在、テロリスト編
アルチュール・ランボーちゅう人は、そのごく若かりしころの、ごく少数の、強い光を発するかのような硬質な詩作品が、その質の中に、すぐ後に詩とか文学とかすっかり忘れて完全無関心になってしまうことまで、まさに含まれていたような作品である。文学ちゅうもんを大事にし、ありがたがる、西欧文明を、足蹴にしとるわけやから。
足(脚)の静脈瘤という、今なら治せると思う病気で早逝するまで、フランスの無名の小さな貿易商社のバイヤーをやっていたと思うのやけど、今のエチオピアあたりを中心に、アラブ世界を歩き回り、まだグローバルな貨幣制度はないから、木綿布かなんかを代価にして、主に珈琲豆をアラブの人たちから買っていく。
そのとき、彼がいちばん大事にしたことは、着るものを初めとして、風体全体、まるっきり自分もアラブ人のようになってアラブの集落を経巡っていくことだ。それが、円滑な商談のベースだ。アラブ人の方が、ヨーロッパ人より人間としてましや、と言うておる。
ほんで、今のヨーロッパ人は、いつまでもいつまでも、いちばん浅いレベルから成長進化せずにおる。「テロは悪い、テロリストは極悪人である、根絶やしにせんとあかん」、というレベル。その根性が、根絶やしを不可能にしている。
あんなひどいもんが発生し持続している原因を、全然、考えてみようともしない。その主犯、発生原因は、もしかして、あんたらの過去の行為かもしれないではないか。
もう一段も二段も、あんたたちがもっと偉大にならないと、話は解決に向けて進まない。
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T・E・ロレンスの「知恵の七柱」なども読むべきと思うけど、今の私の日常では無理か…。「砂漠の反乱」のAmazonレビューに、ロレンスからの引用と思われる部分があるので、ちょっとした匂いとして挙げておこう: 「あからさまに矛盾するものを混在させることによって、すべてを打ち消し合わせ互いに他を無意味にし、それによって自らが主導権を握るという、アングロ・サクソンに特有の行動様式」 。
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