« 2020年7月 | トップページ | 2020年9月 »

2020年8月26日 (水)

空洞としての芯

Go Toキャンペーンが危険で矛盾を孕んだ愚策であることは、前に書いた記事 の引用にも詳述されているが、ついに私の住むイナカも、近隣の町の観光旅館がクラスターになってしまった。Go Toに乗っかって営業した旅館だ。

そこで、超長期政権の安倍川餅とは何か、と考えてみると、それは派手で賑やかで暴力沙汰も多いポジの衆愚ファシズムではなくて、ネガ(負)の衆愚ファシズムであることに気づく。その政権の中心は、堅固な何かではなく、単なる空洞である。まわりがよってたかって、Go Toでも何でも実現させられる。そして犠牲者を増やしていく。彼らのうまい汁と引き換えに。とても便利な空洞だから、超長期的にそのままにしておきたい。それが、超長寿の秘密。

ファシズムの形態として歴史的にも珍しいのではないか。いかにも、日本の、ローカル権力の構造的でもある。

この危険を、遅きに失しないうちに野党勢力等は克服できるのだろうか。

ひどい失政ばかりが続いてきたこの政権、野党の批判も弱すぎたのではないか。

子どもの飢えも、Go Toクラスターも、超劣悪な失政ではないか。それをみんな、知らん顔をして。

 

 

| | コメント (3)

2020年8月16日 (日)

今月のポジティブ(2020/08-n5): 長屋昭次さん

全国戦没者追悼式に最高齢遺族として出席した93歳の長屋さんについては、「特攻隊員だったが出撃前に終戦を迎えた」と「朝鮮半島で終戦を迎えた陸軍少年兵で1期前までが特攻隊員」という二種類の報道がある。

しかし、「戦死した仲間のことを思えば戦争は絶対にしてはならない」という言葉からは、前説が正しいと感じる。氏は続けて「だけれども最近はこの想いに反するような方向に進んでいる」と苦言を呈している。3.11もそうだが、土地の高齢者の想いを無視してつっばしると、だいたい大災害を食らう。当然だ。

特攻隊生き残りの中では、長い手記の中で「若者の犠牲の上に立つ外道の作戦の罪を問いたい」と書いている東郷勝次さんは昨年の93歳だ。

しかし昨今の日本を支配しているのは、一種の現状肯定的衆愚ファシズムだ※。一生懸命勉強しているのは、昨日までの新興国、インドや中国などだ。日本ではいわゆる第三国人が頑張る。この空洞的現状肯定的衆愚ファシズムが、崩壊するときが恐ろしい。

※: あまりに長年の、議員が一人しか選ばれない全面的小選挙区制がそのベース

野党勢力がもっと強くなって、明日のための突っ張り棒を多方向に整備しないと。たとえば、大学までの教育費無料化、とか。

| | コメント (4)

靖国神社という他者不在

ふつう、宗教という他者不在は、神(絶対者、超越者)という未知なるものを、勝手に何らかの既知なものとして解釈し囲い込み修飾する行為だが、靖国神社のようなものは、霊という未知なるものへの、同種の失礼なる囲い込みである。

私の母の兄二人は、二人とも太平洋戦争の前哨戦である支那事変の戦死者と思われるが、霊に物理的な力があれば、あれらの失礼なうやうやしき政治家等を頬骨が複雑骨折するぐらい、ぶん殴っているだろう。死んでようやく、お前らの囲い込みから逃れ得た者を、死んでなお囲い込もうとする大失礼は、あまりにも無神経すぎる。

他者不在。他者を所有する欲。広い広い明るい無名の空間へと解放されない他者。そこで、コミュニケーションはいつまで経っても始まらない。

 

| | コメント (1)

2020年8月10日 (月)

10億総消費者化の危機

これはまだ、ちゃんと書いてるだけの十分な時間がないのだけど、怖いのは温暖化など環境の劣化だけではない。

人類の99.9999%が、なんも分からない、自分ではなんもできない、単なる消費者になりつつあることだ。それを誘起した犯人として企業名を挙げることもできるけど、まあ、唯々諾々欣喜雀躍の「消費者様」として祭り上げられ、生きる側の罪も同等に重い。

わたし作る側、あんた買って楽しむ側、のこの分断は、本当に、やばい。

「やばい」を肯定形容詞にしてしまったのも、これらやばい連中のようだ。

 

| | コメント (1)

今月のポジティブ(2020/08-n3):

この記事をあえて「今月の〜」と呼ぶのは私が今月初めて見たからにすぎない。毎年の原爆記念日から終戦記念日にかけては、各メディアが大々的にこれを取り上げるべきである。ポジティブというのは、90歳を超えて亡くなる寸前の当事者が、事実を隠蔽せずに公表する勇気を持ったことだ。

女性が、これぐらい強くならないと、この、醜いおっさん国は変わらない。いや、もう遅いかもしれない。泥酔させて準強姦しておきながら、相手女性を訴えるのが日本の超醜いおっさんだ。満蒙開拓団のリーダーたちと、変わらんわ。

 

 

| | コメント (3)

2020年8月 8日 (土)

いよいよやばい日本再敗戦?

この記事にさんざん書いたけど、今だに保健所の門前払いは続いてるようだ。結果、「軽症や無症状感染者は2〜3週間隔離して様子を見る」という原則が守られずに、各地の“自宅”とその周辺が、総数からいうと巨大クラスターになってしまう。それぐらい、保健所の馬鹿は自宅待機にこだわっている。

児相がもっと積極的だったら助かっていた子どもは多い。今度は、保健所がもっと前向きだったら、となる。

日本は、アホな人の権力不適切使用で、大きな悲惨へ追い込まれていく。前世紀前半のアホ軍部とアホ政治家による原爆投下への道、前世紀後半のアホ経済政策による、子どもがご飯食えないほどの貧困格差、そして今世紀前半は、公衆衛生ド素人アホによる疫病大量死となる。

そうだ、もひとつ重要なこと。「海辺のあんなところ、津波でイチコロのところに、原発建てる決定は、どう生成したのか。収集つかない大敗戦の、まるでシミュレーションではないか」。

なんとかしなくてはいけない。次の選挙で野党に投票する、では遅すぎる。勉強=受験勉強という錯誤が、上層部に大量のアホ鈍感人間を作り出している。

奇跡的好転、を待つしかない??

-----

「昭和16年夏の敗戦」Amazon上ローデさんのレビューより:

これからも起こりうる運命を連想させる内容でした。

 

 

 

| | コメント (0)

2020年8月 2日 (日)

今月のポジティブ(2020/08-n2): Z.U.さん


「暑気日ごとに増し緑陰に感謝するみぎり、いかがお過ごしでしょうか。」

Z.U.さんは、うちの近くの村の日蓮宗のお寺の住職で、親戚なのである。檀家関係などはまったくないが、親戚として日ごろのお世話のなりっぱなしついでに、せめてお正月と節句とお盆ぐらいは供養経をお願いしている。

上はこの夏の参経案内葉書の冒頭であるが、ふつう「みぎり」(〜の時季、〜の時季に、〜の時季におかれましては、)の主題は一つである。「猛暑のみぎり」とか「厳寒のみぎり」などと書く。

今回のポジティブに取り上げたのは、「暑気」と「緑陰」、主題が二つあることだ。暑気というネガティブには、緑陰というポジティブが伴侶する。「みぎり(砌)」の、このような使い方は珍しい、新鮮だと思った。

このブログを読んでおられる方の、夏の迎え方の、参考にでもなればと思って、葉書の冒頭を引用させていただいた。

車でさっさと往来するだけでなく、歩行者や自転車、一般居住者の十分な緑陰享受ができる都市づくりや家づくりを、今後はメインにしていただきたい。「つらい猛暑」という認識は、環境の貧しさと関係があると思う。

地球温暖化とかも、もちろんあるけど、昔の夏はいろんな意味での陰影を楽しめる楽しい時季だった。暑さがつらいと感じたことはない。今と違って。

Z.U.さんはやはり僧侶だから、こういう、向こう側の他者まで目の届いた発想ができるのだろうか。

 

| | コメント (8)

« 2020年7月 | トップページ | 2020年9月 »