« 後ずさりする犬 | トップページ

2020年3月26日 (木)

他者としての天候

これは、前編「後ずさりする犬」の続編でありますが、1年間人間に尽くしてくれた犬たちの拷問的惨殺という悲劇が起こってしまった最上位の原因が二つあると思われる。

1.ひとつは、決定権を持つ上部の人たち…皆オトコだ!…に犬に対する前向きの関心が皆無であったこと。犬のことなどどーでもよい※、という人びとばかり。対して現場の犬係の人たちは、いわゆる“下っ端”であり、どんなに犬たちを愛していても、決定権がない。二人のうち一人は、学生(大学院生)だ。

※: 南極経験の豊富な(1年で南極大陸を1600kmも踏破した!)犬ぞり牽引犬群は、車両(極地では能力に限界がある)など以上に貴重な資産であり、一からゼロから簡単に作れるものではない。すごい能力と労力と時間と資金が要る。優れた上司なら、絶対に死なせる(廃棄する)決断はしなかっただろう。

2.もうひとつは、南極という荒々しい、そして頻繁に激変する天候を持つ地域に対しては、通常のスケジュール感覚が無効であること。そのことを、わきまえなかったこと。なにかをやるに際して(この場合は越冬隊の一次と二次の交替引き継ぎ)、温帯の都市部でやるような限定的なスケジューリングで臨んではならない。南極の天候は、あんたらが考えるほどおとなしく従順ではない。狭い、限定的なスケジューリングを厳守しようとした結果、嵐の中、犬たちを運べなくなってしまった。にもかかわらず、限定的なスケジューリングに固執してしまった。犬は放置され、死んだ。

「スケジューリング概念の南極版」が、そもそもの最初からあって、全員に徹底しているべきだった。それは、選択肢や代替肢の多い、幅の広い、スケジューリングだ。

この結論にたどり着くまで、いろんな資料に目を通したけど、それらの具体的な紹介は別の機会にしよう。

天候が、他者として尊重されなかった。人の勝手ばかりが、通された。

 



 

|

« 後ずさりする犬 | トップページ

コメント

むかし書きましたけど
「天気に貸し借りなし」というのも
好きな言葉です。
そーいうゆとりがほしいです。

投稿: 新保誠次 | 2020年3月28日 (土) 02時04分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 後ずさりする犬 | トップページ