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2020年1月 5日 (日)

Music is not for competition

これから述べることは音楽全般に言えることだけれども、でも、コンペという愚がもっとも偉そうな顔をしてまかり通っているのは西洋クラシック音楽の世界だ。長いので、Western Classical Musicの頭字語WCMを以下使うことにしよう。

WCMの市場は、なぜ低迷し停滞しているのか。それは、原曲の作曲者が本物のアーチストだった場合も、現代の演奏者のほとんどが、その根性と魂胆からしてアーチストでないからだ。

個人のユニークな表現であるアートを、アーチストを、コンペ(競争)にかけて順位をつける、なんて愚かな話は古今東西聞いたことがない。だから今のWCMのコンペ、コンテスト主催者とそれに群がるメディア等々は、すべて本当の音楽がまったく分かっていない馬鹿者の集団である。だれよりも音楽を分かっていないのがコンペ主催者であり、またそれに意味を感じてぞろぞろと参加する参加者たちだ。

演奏者が本物のアーチストであるなら、原曲は彼彼女が利用する素材以外の何物でもない。本物のアーチストによる本物のアートであるWCMの演奏は、すべて原曲の「カバー」である。極言すればそれは、演奏者アーチストの表現であり新たな作品である。

そこには、本物のアートのみが持つ、ユニークな世界観や、主張のとんがり感や、表現の深さが感じられるはずだ。その人の心から訴えたいことが、真表面に際立つはずだ。

今、演奏者が誰一人アーチストでないから、WCMはコンペという愚を軸とするもっともらしいくだらないものへと頽落しつつある。

コンペは、たまにそこに間違って闖入してきた本物のアーチストの卵を、単なる「奇」として最初の予選で排除するのが慣行だろう。そんな雰囲気を強く感じる。

では、WCMの演奏者に偉大なアーチストはいなかったのか。そんなことはない。しかし、今はほとんどいない。今はコンペの上位入賞者という一種の優等生が、ささやかな人気を獲得しているだけだ。

今の(新しい、急変した)世界が、今の人間が、イコール今の自分が、本当に必要としているアートとは何か。アートとしての訴える力を持った音を、追究してほしい。

すべてのコンペに、その無意味さ、それがアートに対する抑圧的犯罪であることを自覚させよ。彼らがやってることは、音楽のエスタブリッシュメント(体制)化だ。アートとは真逆の。

 

 

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コメント

すべてにおいて送り手も受けても臆病、保守化してるんですかね。認める自信がないというか。

そういや昔の主様のビートルズ訳詞集にもそういうこと書いてありましたね。

投稿: n,s | 2020年1月 7日 (火) 22時38分

と言うか、そもそも何がアート足りうるのか考えてない?
アートとは何かを考えていない。

投稿: n,s | 2020年1月 9日 (木) 14時39分

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