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2019年12月22日 (日)

知らん顔する連中の醜さ

多頭飼育に対する苦情が年間2000件を超えたとかいうけど、これまでもずっと、日本の民主主義は付け焼き刃、すぐ剥げるメッキと言われてきたように、アメリカはこのところますます問題多く見えるとはいえ、誰かが気の毒な動物の保護なんか始めると、自然に、近隣の主婦や高校生などの協力体制が育つんや。

自分は協力もなんもせんと、逆に市役所に匿名苦情を言うなんて、なんたるみっともなさ。自分の醜さに気づいてないから、みっともなさの極限やが。

そういう人たちが、長年の地方ボスたる自民党政治家たちを支え続けているのだろう。残念、こちらはネガティブの例になってしまいました。そっちを見てしまうと、日本の未来にものすごく絶望的になってしまう。

絶望的になってる場合じゃないことは、分かっているけどね。

 

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今月のポジティブ: S.I.さん

このページが検索に引っかかったりしないために、名前は挙げませんが、日本の醜悪なおじさん文化というかおっさん文化の蔓延にやられているだけでなく、堂々とた・た・か・う女性が現れたこと、また連帯表明者も多いことは、明らかに、未来をポジティブに見れる契機になります。

今の私に力になれることがあるか、よく分からないけど、とにかく迷宮入りの暗殺などにやられないよう、よーく気をつけてください。

それと、まだまだ泣き寝入りの弱い人も多いことに配慮を。

ところで、これまでは動物園を他者不在の分かりやすい例として挙げてきたけど、強姦の方がもっと分かりやすいかもしれない。他者をきちんと、犯すべからざる他者として見れない…リスペクトできない…ことは、脳の新しい部分がまだ完全に未発達なんや。それが、おっさん族の顔や態度や発言の醜さの根因だ。

小池都知事も「おじさん政治からの脱却」と言っていたけど、今採点すると、成果はどれぐらいだろう?

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2019年12月13日 (金)

他者不在、病人編

十分な書くひまもなくて、あれですが。

同じように目も鼻も胃袋もありながら、人と猫や犬は互いに完全に他者である。猫に、人と同じ律し方は通用しない。

病人は、健常人にとってかなり完全に他者である。

あの、元高級官僚のおっさん(というクソオトコ)は、自分と同格の、ふつうの人としての律し方を貫くという間違いを、まさに“致命的な”レベルにまで適用したアホである。

どんな病人も、できるだけ早めに医療の下に置くのが、唯一の正解である。

うつ病の人などをめぐっても、今だに、ふつうの人視のもとに、アホな議論が絶えない。もっともらしく、生活の細部をいろいろ挙げ連ねたりばかりして、早期医療を全然与えないアホ取り巻きども。

人類の他者不在は、まだ、どこまでもどこまでも深刻である。なんとか、常識のベースを他者常在にしなくてはならない。

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2019年12月 6日 (金)

農業基盤整備はときには地域に投じられた諸刃の剣

今週は、本ブログのための“肯定的なネタ”を探すのに、まったく苦労しなかった。

中村哲:

「平和に武器はいらない」

でも、途半ばにして殺られないためには、非常に充実した、とことん充実した、コミュニケーションはいったのではないか。

結果的にやり方に、「他者不在」の側面があったのではないか。

 

海外での活動を志す人は、何よりも重要なのがコミュニケーション、これをキモに銘じてほしい。

 

 

 

 

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