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2019年9月16日 (月)

災害地になってみて、あらためての感想

気候変動による日本などの災害の増と、経済変動による同じく日本などにおける経済格差の増は、「新しい現象なので抜本的かつ広範な対策がまだない」という点で共通している。

メジャーな、あるいはメジャーになりそうな政治家たちに、今の所、この問題に気づいているような人も見当たらない。でもせめて次世代には、政治家の意識も必ず変わらないと困る。

私が今住むC県は、今もまだ災害による異変の渦中なので、ごたごた書くことは措きたいが、象徴的で比喩的な話をひとつ: 屋根の瓦って、あんなに簡単に一気に大量に飛んでしまうものなのか?!

建築基準法というと、しろうとは今だに、「昭和30年代の法律」というイメージを持ってしまうが、災害の増加と激甚化という今の現象に対しては、たとえば「屋根の素材/構造/強度の基準」も新しくなるべきだ。自然への態度、姿勢を変えることも含めて。

日本も世界も、新しい課題がたくさんある、という時代に入りつつある。困難なやるべきことがたくさんあるのは、たいへんであると同時に、次世代の大きな生きがいになると思う。

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うちはラッキーにも、瓦が飛び去るような大異変はなかった。でもこれぐらいのタイフーンがC県の隣のT都を襲うことも十分ありえる。

 

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2019年9月 3日 (火)

他者をその他者として認識する良書

この本(ケーキの切れない非行少年たち/宮口幸治)、たぶん本書そのものよりもAmazon上の読者コメントの方が参考になると思う。

これ(家族という呪い (加害者と暮らし続けるということ) /阿部恭子)やこれ(反省させると犯罪者になります/岡本茂樹)も 、そういう意味での良書のひとつ、と言えるかもしれない。

まだ、本当の意味での防犯の取り組みは、始まってすらいない。平均的常人とは違う他者が、認識のゴミ捨てに棄てられたままになっている。それでは、防犯にならない。

警察がひまでひまで、毎日麻雀ばかりしてる時代は、来ないのか。毎日、警察が忙しすぎるよ。

 

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2019年9月 2日 (月)

語尾上げの無意識的な含意

語尾上げは、このブログまたは前身であるエッセイ集「コミュニケーション有能への進化」で取り上げた記憶もあるけど、今日たまたまググってみたら圧倒的に否定的意見が多いのに驚いた。とくにオトコどもは全員、強烈に語尾上げを悪者扱いしている。というか、検索結果ページを数ページ見ただけでは、そこに肯定的な意見はゼロだ。

現代特有の語尾上げ現象は、英語など他の国にもあるし、私はそこに勝手に、肯定的なものを感じている。

つまりそれは、一方的に喋るのではなく、「他者を意識している」ということだ。つまり、軽い問いかけである。「じゃない?違う?」という。

なにしろ人類は今後ますます、他者不在を卒業して他者をきりっとした他者として屹立した存在として認めなあかんくなっていくのである。

宗教の伝道なども、語尾上げの「じゃない?違う?」でやれば、会話性対話性を持ち、もうちょいおだやかになるだろう。

 

 

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