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2019年3月23日 (土)

なんか消えない気持ち悪さ

土地の私権も、さかのぼれば相当いかがわしい部分があるんだろうと思うけど、今日はそれは措いといて、オープンでパブリックで自由多方向なコミュニケーションネットワークというものがありえて、それ、ないしそれに近いものが、今インターネットと呼ばれているものだとすれば、それに対しては万人に平等に私権があるんとちゃうんか。

そうすると今の巨大インターネット企業というやつ、たとえばFacebookというやつは(ひとつの例にすぎないが)、万人のその私権を勝手に私用し、それでもって巨額の広告収入等を得ているんとちゃうか。

わかりやすすぎてちょっとあれな例を挙げると、民家の庭先で屋台のラーメン屋勝手にやって、断りなくだけでなく、そのスペースの使用料を払わんとか。

そのへんがどうも、今のインターネット企業というやつの、膨大なる他者不在態度の、気持ち悪さなんじゃ。

コミュニケーションネットワークじゃなくコンピューターに関しては、誰もが作れてオープンで共通規格の(元)IBM PCに対して某林檎社のやることすべてが気持ち悪いことと、似ている。

主流的なアプリケーションのアーキテクチャも悪い(クライアント/サーバ主義の専横)から、この気持ち悪さが大手をふってのさばっている。

公共的なコミュニケーションネットワークは、それへの権利に関して、抜本的に明らかにする必要がある。

そうならないと、いつまでもすっきりしない。朝夕、気持ち悪い。

今のインターネット企業やサービスの、ユーザー側のひどさも、明確な私権==明確な個人責任、というものが明示的に確立していないせいでもある。無責任な、薄汚い使い方の氾濫。

Facebook(で例示されるようなもの)を破壊していったん更地にしたい、という衝動がある。A****やF*******(など)がここ長年一貫して気持ち悪いのは、一方的な提供物に大量に群がる、消費者という人種の気持ち悪さかもしれない。ヒトとしての主体、創造主体、権利、そして責任がない。

並行して、未来も含めさまざまなネットワーキングプロトコルがありうる中で、HTTPというきわめて偏頗なプロトコルだけがのさばり、もてはやされるのも気持ち悪いな。


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2019年3月22日 (金)

グローバル化vs宗教反宗教の「きしみ」

移民する側と受け入れ側が宗教が異なっても問題ない、とされるのは、互いの日常的な人間関係が「ただの人同士」だ、という前提があるからだ。そういう意味では、グローバル化は将来の人類のコミュニケーション有能化に向けての出発点、その萌芽でありうる。

クライストチャーチ(Christchurch)は“キリストの教会”という意味でしょう。そこに、ムハンマドの教会が複数あっても、それまでは誰も問題視しなかった。

でも最近はあちこちで、かつてヒットラー(という中身のない幻想!)に歓呼して投票したような人びとと相似形のメンタリティの持ち主たちが勢力として伸びつつある。幻想のノン・グローバル主義、グローバル化==凶悪だ主義の人びとだ。

主に経済と労働力レベルのグローバル化に対し、政治、とくに社会政策と産業政策(および教育政策)が追いついていないことが、グローバル化は殺すべき敵、という思想を生む。昔からの仕事にしがみつきたいが、それは低賃金の移民たちが奪っていく。高賃金の新しい仕事に向けて教育訓練されていないし、だからテクノロジー分野はどこへ行っても人材不足だ。政治の側も今日まで長年、ノン・グローバルの惰眠を貪ってきた。未だに、改心していない。

歴史の過渡期にありがちな騒乱と犠牲、と呼ぶにはひどすぎる。

ところで、「イスラム教は他宗教に対して許容的受容的。だからキリスト教集団を虐殺虐待(&レイプ)するテロ集団がイスラム教を自称するのは間違い。彼らはイスラム教徒ではない」という説をよく聞くが、いろんな宗派があって、他宗教を暴力でやっつけること==善、とする宗派もあるのではないか。何教を自称していようと、「ただの人」レベルではテロは悪だ。

あの超有名曲Imagineの一節は、「ただの人」教でもって、既存宗教既存国家の硬い--ときに排他的で暴力的な--多様性をすべて、ちゃらにしようという主張ではなかったか。

それが十分な規模でできないところに、今の大問題がある。

私にできたことといえば、わずかな捨て犬捨て猫を保護したこと、ぐらいだ。

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2019年3月18日 (月)

超えられない異次元の扉

「世界一平和な国」でかつ「世界一銃保有率の高い国」と聞けば、銃で平和が担保されている国とイメージしたくなるが、“平和目的にしか使えない銃”は、ありえない。銃を自由に保有できる国では、いずれこうなることは当然だ。crime-freeな理想郷は、存在しないから。
宗教はよく大量人殺しの動機になる、と前に書いたけけど、しかしまだ人類の大勢は宗教の禁止へは動いていない。
『他者不在』という概念。宗教が、神(絶対者、超越者)という他者の不在であること。宗教が、神という他者への許しがたい不敬であり失礼であること。
残念ながらこのことを、説明によって分かってもらうことは非常に困難、または不可能だ。各宗教の神は単純に、自己肯定の道具、そして他者排斥の口実としてまつり上げられ、搾取されている。
もうひとつ分かってもらえないのが、『貨幣がコミュニケーションのイシューである』という観点。ふつうの観点は“貨幣をめぐるさまざまなコミュニケーションがある”、となるが、本当にラディカルな(問題の根っこまで掘り下げた)コミュニケーション論では、
貨幣トランザクション、貨幣のやりとりは、人間(じんかん)のコミュニケーション現象の一種であり、コミュニケーションの忌避と不能の普遍的な現れである、となる。こちらは、神ではなく人の他者不在の普遍形だ。
それは、他者に希少財(“貨幣の価値の本質は差異である”)を…神ではなく人に…お供えして前もって懐柔ないし鎮静化する、これまた一種の他者不在である。
それを前もって説明し、分かってもらい、宗教が違うからといって大量銃殺などしない人間になってもらう方法がない。このことが、このコミュニケーション学コミュニケーション理論のどーしょーもなく無能な限界である。
この異次元の扉を、なんとかして開かなければならない。
ところで、イスラム教を悪と見立てた彼の側の宗教が何か、それはおそらく永遠に対象化されない。彼自身にとっては単純にそれは、「正義」でしかない。反イスラム教教、とでも名付けるか。


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2019年3月15日 (金)

やっぱ女性の時代になるべきや、できるだけ早く

だいたい私の言うことや書くことはまともに相手にされないんやけど、私とは全然無関係なところで、人間は全員が有賃労働をせんかてええと主張する人が一般メディアレベルで現れた。

この記事に登場する29歳の女性のアメリカ下院議員だ。

まあ、ヒスパニック系のアメリカ人の子やから、超貧乏に喘ぎながら生きていく人びとを、子どものころから毎日、身近にたくさん見ている。だから、雇用を増やす==幸福、という手垢のついた説はまったく信じない。

ところで、なんで当時、洗濯機や掃除機などのおかげで主婦が家事労働から解放されたかというと、ダンナの稼ぎがあったからや。自分の稼ぎやない。ロボット化と人間の自由との関係も、そこらの構造に着目して考えるべきではないか。

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2019年3月11日 (月)

まわりの人間が見えず既定がゴリ押しされる愚

原爆投下の真の責任者の稿でも言ったように、日本のオトコの意思決定者層には、そこらにリアルに生きてる民(たみ)のことがまったく眼中になく、既定のことをひたすらゴリ押ししていく愚癖がある。沖縄の場合のように、同質の愚をまた平気で繰り返すという、マグニチュードの大きい愚も残念ながらある。

人びとの現状を見て、迅速に方向転換する、という賢がない。それが、繰り返し々々々々大量の犠牲者を生む。

ものごとの構造を論理的客観的に見る習性がゼロだから、コンピューター科学とその教育も広まらない、浸透しない。

論理的客観的に見れば、地震津波常襲地帯においては、とっくの昔に、その他の地帯とは別の土地利用計画と土地開発計画が必要である。それがない、なかっただけでなく、今となってもまだない。こうして民は、未来においても、二度三度と蹴散らされていく。海の藻屑と消えていく。プラス、その海は汚染されていく。

たった一日で、特定地域で、一挙に二万名も亡くなってしまった真の原因、真の責任者は誰なのか。その愚は、前世紀前半における、やはり当の国そのものが後日責任を問うことを欠いた巨愚ぶりと、見事に重なる。

今でもまだまだ、いろんな巨愚が、単に既定事項だからという理由で、盲目的にゴリ押しされつつある。そのベースにはさまざまな、地縁、人縁、金縁、来歴縁があり、論理だけがない。

--泥酔していたので記憶がない、の次の言葉が、そのときセックス強要の意図はなかった、となる非論理(記憶があるんじゃん!)。この種の発言が今だに日本人には多すぎる。安倍川餅たちばかりではなく--

※: ゴリ押しには大別して二種類ある。ひとつはアクション…「中国北東部をニッポンの植民地にするんじゃあ!!」。もうひとつはノーアクション、現状肯定、検証と根拠を欠いた現状維持。問題があっても、それが見えない。最近は後者による犠牲者がとても多いように思える。


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