児童虐待という非常に重要な警告
児童虐待は日本だけでなく、いわゆる‘先進国’共通の問題であるだけでなく、“現代特有”である点が注目に値する。
現代特有というのは、日本でも世界でも、これまでの芸能や文学、宗教の文献、歴史上のエピソード等の中に、私の知るかぎり児童虐待は登場しない。(たぶん、‘いじめ’も登場しない。)
大雑把な言い方をすると、これまでの子どもたちは、家族(血族)共同体+地域共同体(とくにその女子部+老人部)という毛布にくるまれてぬくぬくと育った。ところが20世紀後半以降急に、「子どもはそれを産んだ核家族の責任で育てる」という、とんでもない事態が訪れてしまった。寒風吹きすさぶ荒野の中で子どもは、無知無能無経験な若い男女の手にゆだねられた。その中には、子どもが無事に育つことができない、一定の限界を超えた劣悪な環境ももちろんありえるし、現に多々ある。
旧共同体の崩壊、空洞化。
それを補って、子どもが育つための、ぬくとい環境を提供する役割であるはずの児童相談所等の人びとの持つ雰囲気表情の中に、それを自覚した者らしさはない。孤独死を防ぐための老人福祉もそうだけど、「実動部隊」は女子と、一部、まだまだ元気な老人を主力とする非正規職員チーム(に権限を持たせ)で構成し、正規の(背広ネクタイ姿の無能な)事務職は最少に抑えるべきだ。
各自治体の非正規職員の急増が問題になっているが、むしろその現状を、前向きに、ポジティブに捉えるべきだ。もちろん、待遇改善も重要。そうすると、「コミュニティ・メンテナンスのクラウドソーシング化」という、新しいトレンドが育つ。
彼らの無惨な死を無駄にしてはならない。
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コメント
親の子供に対する所有物化がひどすきる。
「俺の子供だ。お前らの指図は受けねえ」
10歳だとまだ判断がつかないので
子供もそんなものだと思ってしまう。
周りも子供は親のものだと思っているので
手出しができない。
子育ての社会化が充実していかないと
悲劇は終わらないよな。
投稿: n,s | 2019年2月12日 (火) 22時47分
以前に岩谷さんが言っていたモデル(?)。
「新生児がぎっしり詰まった箱があり、上で子供が産まれると下から詰まっていた赤子が出てくる。その子供を、たまたま親として受け取ったひとが育てる」(意訳)
ならば、ああいう悲劇は相当防げると思う。
旧型の共同体で育てるというモデルが破綻し、核家族で育てざるを得なくなったことが悲劇を生んでいる現在、新しい共同体・真の社会が子供を育てることをあたりまえにしていかなくてはならないだろう。
その社会の基礎的なイメージが、「新生児ぎっしり部屋」なのは、私だけかもしれないが。
投稿: 市川智 | 2019年2月13日 (水) 14時16分
ガラガラポンですね。
投稿: n,s | 2019年2月13日 (水) 15時22分
家族というBlack Box
投稿: | 2019年2月15日 (金) 12時44分
子どもという他者の不在、コミュニケーション不能ばかりが目立つ状況。
被害者には「逃げろ!!」と言いたいですが、逃げた先の学校が虐待父に情報を渡すというお粗末さ...。
犠牲になるのが子どもばかりというのが、何とも言えずに、「痛い」。
投稿: 佐藤 | 2019年2月17日 (日) 19時13分
虐待とか傲慢とかを控える方法の一つ。
人間各自、死ぬことを大前提にして生きることを考える。
この世も単なる通過地点。
ストレスも執着もバカバカしいこと。
投稿: n,s | 2019年2月22日 (金) 07時35分
生命を人体に例えると、現世とは目から上の部分であり、過去世はそこから下の部分と言えるんじゃないだろうか。つまり生命にとっては、過去の時間や体験の方が圧倒的に多いということ。
つまりこの世は何回目の、死後の世界なんだろう。
投稿: n,s | 2019年2月27日 (水) 00時36分