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2019年2月11日 (月)

本当のメディアにやや近いところにいるTX

夕食のときとか、テレビ見ながらということが多いけど、そんなとき、チャンネルを一瞬ずつ切り替えながら消去法で7チャン(昔の12チャン)に落ち着くことが多い。

いちばんつまんねのは、無理やり料金を払わされている犬あっち行け放送で、その差は:

7チャン==リアルな人間がリアルにやってることやリアルに言ってることが映ることが多い。
犬あっちにとってこれらリアル==すべて、「あっち行け」の禁忌物である。

今宵犬あは、江戸時代の人気歌舞伎役者のあれこれを専門の学者のような人たちが紹介している。
同じ時間に7チャンは、空港で到着した外国人をランダムにつかまえて、彼らの来日目的を密着取材している。
メディアとして「生きて」いるのは、断然後者だ。

犬あは、24時間365日番組を大量に作りすぎるという惰性に、全神経が麻痺しているようだ。どれもこれも、くだらなすぎる。

まあ、民放も、タレント依存、タレント丸投げの無努力番組が多すぎて吐き気がするけど。

TXがもう一皮も二皮も剥けていくことを期待したい。

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児童虐待という非常に重要な警告

児童虐待は日本だけでなく、いわゆる‘先進国’共通の問題であるだけでなく、“現代特有”である点が注目に値する。

現代特有というのは、日本でも世界でも、これまでの芸能や文学、宗教の文献、歴史上のエピソード等の中に、私の知るかぎり児童虐待は登場しない。(たぶん、‘いじめ’も登場しない。)

大雑把な言い方をすると、これまでの子どもたちは、家族(血族)共同体+地域共同体(とくにその女子部+老人部)という毛布にくるまれてぬくぬくと育った。ところが20世紀後半以降急に、「子どもはそれを産んだ核家族の責任で育てる」という、とんでもない事態が訪れてしまった。寒風吹きすさぶ荒野の中で子どもは、無知無能無経験な若い男女の手にゆだねられた。その中には、子どもが無事に育つことができない、一定の限界を超えた劣悪な環境ももちろんありえるし、現に多々ある。

旧共同体の崩壊、空洞化。

それを補って、子どもが育つための、ぬくとい環境を提供する役割であるはずの児童相談所等の人びとの持つ雰囲気表情の中に、それを自覚した者らしさはない。孤独死を防ぐための老人福祉もそうだけど、「実動部隊」は女子と、一部、まだまだ元気な老人を主力とする非正規職員チーム(に権限を持たせ)で構成し、正規の(背広ネクタイ姿の無能な)事務職は最少に抑えるべきだ。

各自治体の非正規職員の急増が問題になっているが、むしろその現状を、前向きに、ポジティブに捉えるべきだ。もちろん、待遇改善も重要。そうすると、「コミュニティ・メンテナンスのクラウドソーシング化」という、新しいトレンドが育つ。

彼らの無惨な死を無駄にしてはならない。

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