差異の拡大再生産
貨幣の本質(貨幣が持つとされる“価値”の本質)が差異であることは、すでに口を酸っぱくして言ってきたが、すると当然、新しい貨幣価値の創出は、新しい差異の創出となる。
資本と資本家だけでなく、今では多くの個人も、イノベーションとか開発とか称して、差異の創出に励むから、言うまでもなく、いろいろと害悪が再生産される。内部経済==外部不経済ではなく、内部経済<外部不経済という不等式の方が正しいのではないか、と最近では直感している。超分かりやすい例のひとつが、延々と終わりそうもない原発災害後始末だ。一体、なんぼ&何年かかるんや? 無限に、終わらんのとちゃうか?※
※: 自民党の人(元総理)にすら、原発は外部不経済が大きすぎるのでだめ、と言う人がいるのに、こんな子どもでも分かる理屈が分からんアホ・オトコがいっぱいおるのはなぜ?
どこだったか、研究主体を忘れたんだけど、ついに出ました。無限の差異拡大競争は、上の不等式に従えば無限よりも大きい不経済を生み出し、ついに人類だけでなく全生物が生きられない環境に地球はなる。
グローバルにおかしい天候を見ていると、珍説ではなく真説と思えてくる。
いつか、この差異の廃止==コミュニケーション社会化に目覚めるのか、それとも地球は次の火星(無生物惑星)になる運命なのか。
どっちになるんか、私には分かりまへん。でも、最近いろんな部分で女性が強くなり、オトコのアホ(差異に向かってまっしぐら!)を抑止しつつあるような気もするから、望みはあるのかもしれない。
差異の拡大とは、上の方がさらに上の方へ伸びると同時に、下はますます下化することであることを、忘れてはならない。そうでなければ、それは差異ではない。そしてもちろんそこにも、大きな外部不経済が再生産されている。
これも分かりやすい例として挙げるにすぎないが、テロは、植民地主義(などなど)という、いい気な、ごきげんな、他者不在の内部経済(==差異!)が生んだ大きな外部不経済のひとつだ。儲けを1/10か1/100ぐらいにして現地にその都度還元していれば、ヨーロッパとアラブアフリカは幸福な関係を築けたはず。
個人的には、そろそろ徐々に脱プラスチックを実践しよう、と覚悟している。せめて。
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