消費者という他者不在
他者不在という、コミュニケーション学/コミュニケーション理論の重要概念を理解するためには、動物園をその例として考えるのが、いちばん分かりやすいのでは、とかねてから思っているのだが、果たしてどうだろうか。
いずれにしても、たとえば昨今の、パンダの赤ちゃん騒動も、消費者的==他者不在的ひどさに満ち満ちている。
・パンダという動物は、動物園という環境へ拉致されて、毎日見世物(という任意消費財)にされて、その人生は本当に幸福なのか?
という問いはどこにもなく、(かんじんの、パンダ本人への思いやりはゼロ!!)
・パンダを観光資源や外交資源(?)とする中国の、いや各国の姿勢は、生息地の自然環境に長期的にどんな(負の)インパクトを与えているのか?
という問いもない。
現代世界の三大惨事、四大惨事を、五大惨事にまで拡大すれば、その5番目の大惨事は、十億総消費者化、消費者と呼ばれる醜い人塊の圧倒的な肥大化だ。消費者は(その‘合計’としてはすげえ金持ちだから)ときに“王様”と呼ばれ、その本質の無力無学さや貨幣に支配される惨めさは、欺瞞の背後へ覆い隠される。
そして世界はますます荒廃する。格差は広がり、放置され固着される。
人類のコミュニケーション有能化のためには、多くの人たちのまず意識の脱消費者化が絶対に必要である。とりあえず、子どもたちを動物園という消費財の消費者という位置から、救出しよう。そしてさらに、子どもの全人格として、消費者というクソ地獄からの救出を。パンダへの見方(など)をきっかけに。
※: キリスト教とその構成物(クリスマスなど)の多くも、明らかに、何かの、消費者的隠蔽だわ。
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