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2017年10月29日 (日)

オトコの脳の成熟と充実について

> この現実世界では関係が存在に先行し

これは、このブログの比較的最近のコメント対話の中で私が述べた(ずっと前からえんえん述べている!)「存在==関係」説への、応答の一部だ。

このような構造を非常にオトコ的と感じるのは、わざわざ、存在(純粋存在、単独存在)はない、関係あるのみ、うかつに存在と捉えているものは実は関係である、と私が主張しているにもかかわらず、上記引用文では関係と存在が別離し、存在が単独で純粋存在になっているところだ。

この、ここは下足禁止ですからスリッパに履き替えてください、となってるところに泥靴でずかずかあがり込むようなうかつ乱暴性は、ほかにn,s氏の脳構造にも(トートロジーの頻発として)よく見受けられる。

人類のコミュニケーション有能化という未着手課題の達成に向けての、必要な最初の二三步のひとつが、男の凸性の自己否定、がんばって自己凹化を達成することだと思われるが、

(分かりやすい例でいうと、ストーカー殺人、強姦、幼女性虐待などがなくなること。)

凹化ということは、この文字の形を見ても分かるとおり、広い、感度の良い、感受面が自己上に形成されることである。単一存在(と見える)オブジェクトへの、突進性がなくなること。たとえば、あらゆる(最広義の)メディアに批判的相対的に接しられるようになること。

ナショナリズムなどの宗教と、その盲信はなくなる。

そして今度は、同じ記事上のbad氏のコメントであるが:

> 個体、他者不在、コミュニケーションの問題、とかは
> 論理の問題というより、ある種生まれつきというか、
> 直感で分かってないとアレではないか?

ここで私が正しいと思うのは、「直感で分かってないと」という部分だ。感性が、論理をコントロールしたりしなかったりする。その逆ではない。残念ながら。…当然ながら、と言うべきかな。

あの、核ミサイル立てこもりオトコを懐柔するのも、広範な凹型努力の積み重ねしか、ないのではないか。アメリカ政権の上部が凸型オトコばっかしなら、とてもやばいことになりかねない。

やや関係するけど、EU離脱を主唱したイギリスの政治家やカタルーニャ独立をわめく人びとは、どうしてみな、あんなにバカ面(づら)なのか。

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凹化のためのオクスリとしては、T-REXなんかのグラム系ロックの音が、人によってはよく効くと思うのだが…。

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コメント

揚げ足をとるつもりはありませんが、西欧世界あるいは1神教世界で直感的認識といえば神の認識あるいは神的な認識のことです。人間が直感的認識を持つことは原則としてありません。

投稿: 東村山のジェニー | 2017年10月29日 (日) 14時17分

「関係が存在に先行する」と「関係=存在、存在=関係」とは明確に違うことを言っているので、ここらへんはもう少し考えてみる必要があるなと考えています。

岩谷さんが以前おっしゃっていた「関係性の視座」とは、「関係性の絶対性」といったニュアンスとは違うと考えていいのか、というようなことを合わせて考えています。

つまり、「関係性の絶対性」のニュアンスにおいては、関係至上主義として、存在に関係性が先行している考え方であるが、「存在=関係、関係=存在」においては、両者は“述語関係”(関係“が”存在“に”先行、などの言い方)にありませんね。

“オトコ性”とは、その主体(思考主体、認識主体、感覚主体、行為主体など)において絶対的なもの、固定的なものではなく、関係の中にあって、言葉や行為の端々に突き出てくるなにかであり、なにげない認識やふるまいに関するかような突きだし、突出に関して、こまやかな観察と内省が必要になると考えました。

もう少し考えてから、また書かせていただくかもしれません。

マークボランは少し聴きましたが、歌詞など少し読んでみることにします。

投稿: s-d | 2017年10月30日 (月) 00時47分

「最大の防御は友好である」岩谷宏

 北の彼も年に一回ぐらい東京ディズニーランドへ招待したら良いのではないか?

投稿: 南 | 2017年10月30日 (月) 07時49分

ずーつと昔、図書館の雑誌に(故)丸山圭三郎氏の関係論は実体論かという論文が載っていたが。

投稿: bad | 2017年10月30日 (月) 10時40分

マークボラン!あのエロチックなビブラートがいいのよね~!なんかくしゅぐったいというか気持ちよくなっちゃうのよね~!なんで早くしんじゃったのかな?
え?歌詞?気にしたこともなかったわ!(ヲイヲイ)
あ、あたしのこと♀だと思ってるシトいない?じゃんねんでした!あたしアンドロギュノスよ!(成る程)

投稿: あほうさぎ | 2017年10月30日 (月) 22時59分

オトコが追い求める「論理」なんて、女の人の直感の鋭さの前では屁のつっぱりみたいなもんです。オトコは結局のところ外に神を求めようとするけれど女の人は自身の中に神さんがいる。あっ!だからカミサンか?sexで考えると分かりやすいかもしれません。直感を信じられないなんて、つまんないじゃないですか。再びアホっぽくて恐縮ですが。

投稿: musataro | 2017年10月31日 (火) 03時39分

凸か凹かと言われれば、わしなんかは凸の部分が多いのかも知れない。言わずにいられない性格と言うより、黙っているのがめんどくさい。だけどこの北陸において、わしと同年代の男は皆、凹だった(発言しない)。土地柄か気候のせいか知らないが大概そうだった(どこが裏日本だ、バカ野郎)。高校の時は陰陽極端だった自分も、今は安定して中道を歩けている(で、ロックも聞かなくなった)。いいことである。

投稿: n,s | 2017年10月31日 (火) 06時20分

論理を超えたことを主張なさるなら論理をつきつめてください。さもないと、それは東アジア共同体のみで通用する共同体慣習にすぎなくなります。

投稿: 東村山のジェニー | 2017年10月31日 (火) 08時07分

あなたの言葉は相変わらず難しすぎますね。一神教では〜〜とか東アジア共同体〜〜とか。前にも申したように、中学生やおばちゃんたちでも分かる、平易で、やさしい、フレンドリーな書き方なら、みんなが自然にあなたと会話したい気持ちになるでしょう。

投稿: iwatani | 2017年10月31日 (火) 18時33分

それではできるだけ平易・率直に書かせていただきます。私事になりますが、私の元妻はフランス人女性で、私自身もフランス人コミュニティの中で育ちましたが、彼女達は、いずれも、会話・服の脱ぎ方・sexの所作にいたるまで極めて論理的で、女性=超論理・感性のような図式は、東アジア人男に特有の女性蔑視に基づいていると思います。

投稿: 東村山のジェニー | 2017年10月31日 (火) 18時51分

> 女性=超論理・感性のような図式
私も含め、ここでは誰もそんなこと言って(書いて)ませんよ。そう読めてしまう箇所が、どこかにあったのかな。

投稿: iwatani | 2017年10月31日 (火) 19時11分

今日付けのmusatarou氏のコメントが仕事始めの数分前に目が止まり私はそう解釈しました。まあこのコメントはどうでもいいです。一般的にいって東アジアにおける女性の社会進出が軌道にのらないのは東アジア人男の女性蔑視にあることは間違いないのだから、ここであらためてそれを主張するのは意義あることだと思います。

投稿: 東村山のジェニー | 2017年10月31日 (火) 19時27分

人間に論理をつきつめることができるのか疑問。つまり現実とは論理の指のあいだから、ぽろぽろこぼれ落ちていくものじゃないか。必ず掬いきれないというか。必ず想定外が起きるというか。これが論理を詰めれない原因じゃないだろうか。机上の論理。
それと直感・感性重視と軽蔑がどうして結びつくのか分からない。それはあなたが、無条件(当然)に論理性の方が上位にあるとの思い込みからくるのじゃないだろうか。
私は感性も論理も、どちらも絶対に正しいものは無いと思うので、お互い踏まえて広い視野に立つのが正解への近道じゃないかと思う。   およそ人間のすることに、絶対完璧なんてものは無いのである。てか。

投稿: n,s | 2017年10月31日 (火) 22時35分

ジェニーさん、こんにちは。

> 彼女達は、いずれも、会話・服の脱ぎ方・sexの所作にいたるまで極めて論理的

の部分、関心をもちました。

通常、服の脱ぎ方のような生活の慣習、つまり、いつもやっていることがらですが、無意識的、つまり、あえて考えずとも、なんとなく体の感覚でやってしまうことがらですが、彼女たちの場合に“論理的”であるというのは、いわば“述語的”というのか、無意識化、慣習化に流されず、明確な、自意識と、能動性により、「私が、◯◯を、△△する」(=述語的)という方法で、次から次に服を脱ぐ、といったことであろうと考えました。

こちらの想像になりますが、そのように、自覚的に(自らしっかり意識して)、日々の生活習慣、服の脱ぎ方、下着の脱ぎ方、キスの仕方、などなど、能動的、論理的に行為をほどこした場合には、しかるべき結果として、その明晰な観察力のもと、より洗練された、会話、脱衣、性行為などが、錬磨、つまり磨かれ研ぎ澄まされていくであろう、という予測が立ちます。

投稿: s-d | 2017年11月 1日 (水) 00時00分

ご指摘の通りです。私はすべての上位に論理を据えています。これも私事になりますが、今から10数年前、ふとしたことからスコラの世界に踏みいることになり、その論理を精緻に積み上げいくことから来る解放感に救われました。当時、私は仕事上の激務から精神的危機に直面していましたがスコラの超絶な論理のはなれ技に没頭することにより、生活上のすべてのエネルギーをもらっていました。今でも私のエネルギー源泉はスコラ研究です。

彼女達はいずれも・・・に関しましては、完全に子供時代からの教育・訓練のされ方でハビトゥスとして身についてしまうこです。

投稿: 東村山のジェニー | 2017年11月 1日 (水) 06時08分

 本来「超論理・感性」が「蔑視」される謂われは無い。

 「凹になろうよ」という呼びかけに、「論理で凸らなきゃだめだ」と応じるのは、そもそも凹への敬意が無い。
 そこには凹それだけでは何の意味もないという凹そのものへの蔑視がある。凸は凹より上等だという驕りがある。

「ハビトゥスとして身について」
 って、これは「その都度、論理的思考をしていない」ということだから、これは凸ですらないし凹でもない。
 そういう「型に嵌った」女性が西欧の女性だと、私は考えていません。
 東アジアの女性もそうです。

 西欧の「論理」はだから、全てを支配できませんよ。

「論理」で〈他者〉は消去できない。


投稿: 市川智 | 2017年11月 2日 (木) 13時47分

関係ないがいやいや東京に来て、頭に浮かんだ直感は、金沢帰るしかないんじゃないである。

投稿: bad | 2017年11月 2日 (木) 13時49分

市川さん始めこのブログのファンの皆さん。あなた方は正しい。私は自分が凸型の典型的な男であることをはっきりと最初から自覚しています。そんなことがわからないほどバカじゃない。皆さんに不快な思いをここしばらくさせてしまっていることも心苦しく思っています。本当です。私がこのブログにコメントをしようと思ったのは自分が下した結論に殉じるよう覚悟を固めようと思い、風波をたてることを承知のうえでコメントさせていただきました。マンガでいえば北斗の拳のラオウのようなもんです。あらゆる物をなげうってスコラ研究に身を捧げると決めた以上、論理が敗北する時は同時にこの身が砕け散る時です。皆さんには不快な思いをさせてしまって本当に申し訳なく思います。ただ私はもう引き下がることも帰る所もありません。前のめりで倒れようともそれで本望です。

投稿: 東村山のジェニー | 2017年11月 2日 (木) 14時52分

東村山さんのもっと具体的な問題は、
1)使う言葉が難しくて、独りよがりで、ほとんど他者にコミュニケートしない。たとえば、スコラ哲学のスの字も使わずに、誰の何と言う本の「・・・・」という主張や議論は、すごくおもしろい、感動した、とか具体的一般的に書けば、コミュニケーションが始まりうるかもしれない。スコラ哲学、だけでは範囲が広すぎてコンテキストがまったく確定しない。「独りよがり」の典型。
2)口調が高圧的で威圧的で高飛車で、多くの人を不快にさせる。たとえば、musataroさんは、彼なりの全然違う意図で言ってるのかもしれないのに、上から目線で決めつけたりして…。

東村山の天才ではなく、東村山の灰色野兎ぐらいになれば、もっとかわゆく、やわらかく、さまざまな話題を共有できるかも。すばらしいライターになって、人気者になる可能性だってある。

投稿: iwatani | 2017年11月 2日 (木) 19時12分

これほどの非礼を働いた者にご親切な対応。どういうコメントをすれば良いのか考え込んでしまいました。極力、自分の気持ちに率直に分かりやすい言葉で適切なコメントを今後はしてゆこうと思いますので宜しくお願いいたします。

投稿: 東村山のジェニー | 2017年11月 6日 (月) 14時16分

@東村山の####
他人のブログにコメント書くより、自分のブログ(など)を立ち上げた方が良いと思います。

そこに、分かりやすくておもしろい記事が続々載るようになれば、もちろん私も愛読者の一人になるでしょう。確実に。

投稿: iwatani | 2017年11月 8日 (水) 07時53分

前回の空白期間中、私も自分のブログの立ち上げを考えていました。そこで自分の個体論と念願だったペトルス ロンパルドゥス命題集注解集 選試訳を行おうと。背中を押していただいてありがとうございます。ここで学んだ事を生かして1からトライしてみようと思います。原則としてもうコメントすることは無いと思います。本当にありがとうございました。

投稿: 東村山のジェニー改め、東村山の灰色野うさぎ | 2017年11月 8日 (水) 08時34分

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