オトコの脳の成熟と充実について
> この現実世界では関係が存在に先行し
これは、このブログの比較的最近のコメント対話の中で私が述べた(ずっと前からえんえん述べている!)「存在==関係」説への、応答の一部だ。
このような構造を非常にオトコ的と感じるのは、わざわざ、存在(純粋存在、単独存在)はない、関係あるのみ、うかつに存在と捉えているものは実は関係である、と私が主張しているにもかかわらず、上記引用文では関係と存在が別離し、存在が単独で純粋存在になっているところだ。
この、ここは下足禁止ですからスリッパに履き替えてください、となってるところに泥靴でずかずかあがり込むようなうかつ乱暴性は、ほかにn,s氏の脳構造にも(トートロジーの頻発として)よく見受けられる。
人類のコミュニケーション有能化という未着手課題の達成に向けての、必要な最初の二三步のひとつが、男の凸性の自己否定、がんばって自己凹化を達成することだと思われるが、
(分かりやすい例でいうと、ストーカー殺人、強姦、幼女性虐待などがなくなること。)
凹化ということは、この文字の形を見ても分かるとおり、広い、感度の良い、感受面が自己上に形成されることである。単一存在(と見える)オブジェクトへの、突進性がなくなること。たとえば、あらゆる(最広義の)メディアに批判的相対的に接しられるようになること。
ナショナリズムなどの宗教と、その盲信はなくなる。
そして今度は、同じ記事上のbad氏のコメントであるが:
> 個体、他者不在、コミュニケーションの問題、とかは
> 論理の問題というより、ある種生まれつきというか、
> 直感で分かってないとアレではないか?
ここで私が正しいと思うのは、「直感で分かってないと」という部分だ。感性が、論理をコントロールしたりしなかったりする。その逆ではない。残念ながら。…当然ながら、と言うべきかな。
あの、核ミサイル立てこもりオトコを懐柔するのも、広範な凹型努力の積み重ねしか、ないのではないか。アメリカ政権の上部が凸型オトコばっかしなら、とてもやばいことになりかねない。
やや関係するけど、EU離脱を主唱したイギリスの政治家やカタルーニャ独立をわめく人びとは、どうしてみな、あんなにバカ面(づら)なのか。
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凹化のためのオクスリとしては、T-REXなんかのグラム系ロックの音が、人によってはよく効くと思うのだが…。
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