他者不在とは何か
他者不在は、このコミュニケーション学/コミュニケーション理論の(おそらく人類初の)試行的スケッチにおける、最重要な概念のひとつだ。
この言葉を見て、なんだこりゃ?と思う人も多い、と思うから、ちょっと解説しておこう。
他者不在とは、人間の認識構造の中に他者がないことである。
何千年何万年にわたって、コミュニケーション不能を基本資質としてきた人類は、本当はコミュニケーション努力をすべき他者を、何でもかんでも「自家化」してきた。
神(絶対者、超越者)も宇宙も自然も、動物も植物も、そこらの他人も、そして自分自身も。
たとえば神を自家化する行為が宗教である。宗教は往々にして最上位の支配的規律だから、宗教は他者不在構造のトップに位置する。神は唯一絶対神であるはずなのに、宗教の数だけ神がいて、しかもそれら(==複数神)がすべて、各宗教の信者にとっては唯一絶対神だから、ここにはものすごい論理的錯誤(ルビ:むちゃくちゃ)があり、しかも彼らはそのことに気づかない。
みんな唯一絶対神を仰ぐわけだから、みんな仲良くすればよいのに、宗教を異(こと)にする共同体同士は、喧嘩(戦争)ばかりしている。宗教は神という他者への大々々失礼だから、早急に全廃すべきである。
他者不在はその唯一の他者を他者として認めることができず、複数の自家化された「元他者」を作り出す。
宇宙は他者としてリスペクトされていないから、今人類はそこをゴミ屋敷にしつつあるし、他の惑星などを平気で勝手に自分のコロニー(植民地)にする気だ。
一部の珍しい動物が自家化されたものを、動物園と呼ぶ。動物園は明らかに動物虐待だから、絶対に廃止すべきである。
他者の自家化は、いちばん分かりやすい例が、子どもの進路を自分で決めてしまう教育パパママだが、そんな“他者を勝手に操作する”の例は、家庭、学校、会社など至るところにたくさんありすぎる。独裁者〜独裁政権は、自家化に逆らう他人を排除拘束抹殺してきた、いや、している。
自然の自家化は、自然という他者からの厳しい復讐を受けることが多い。アフリカという、何万年もの人類居住の歴史があるところに、なんで今頃急に、おかしなウィルス病が発生蔓延してきたのかというと、その原因は某大国による原始林等の大規模乱開発だ。先祖伝来、荒らすことを禁じられていた原始林の資源略奪は、貨幣制度の強力な支配によって生じた、原住民たちのやむを得ない行為だった可能性もある。
他者不在の起源は、コミュニケーションという意思や努力のないところでは、他者は単なる恐怖と不安のかたまりだから、それらを大急ぎで自家化してしまうのである。
そして、偽り(いつわり)の安心(あんじん)を手に入れて、気持ちが落ち着く。他者は、永遠に疎外されっぱなしになる。
そして他人〜他共同体とは、互いに相手とのコミュニケーションではなく、有価財(のちの貨幣)の等価交換で関係の安定を維持しようとする。
このノン・コミュニケーション状況が、今や全世界全人類を支配しつつある。それこそが、テロをはじめ新しいタイプの犯罪の温床だ。
(この稿、今後更新あり)
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コメント
自己が他者でなければ
たとえば、プロ野球のバッターは全員10割バッターである筈である。
そうでは無いと言う事は、ひとはどんなにがんばっても3割くらいしか自家化できない、
ということである。
この世に他者であらざるもの無し。
投稿: 南 | 2017年9月12日 (火) 07時46分
>他者は単なる恐怖と不安のかたまりだから
ほんとに個人的に、高校時代躁鬱状態の自分にとって、うつ状態の時、人の目が怖かった。どう思われているのかが。今となってみればあんときの私は「自分不在」だったのである。全く自分に自信や信用がなく、ありもしない他人の自分への評価というものに、翻弄されまくっていたのである。他者の自家化なんてとんでもなく、ただひたすら自滅自縛の道を歩んでいたのでした。
投稿: n,s | 2017年9月12日 (火) 21時04分
日本人は宗教といっても割りと色んな神さんを受け入れてきて、それなりには研究してきた民族だと思うのですが。遠藤周作の「沈黙」って小説(映画もあるな)を読みましたが、なんかキリスト教を受け容れない日本人が野蛮人っぽく描かれていて違和感を感じました。
投稿: musataro | 2017年9月16日 (土) 22時17分
@musataro
日本の神の起源は“氏神(うじがみ)様”であり、その階層のトップにいる司祭が天皇です。
理念的な唯一絶対神ではないので、戦争のバックボーンにはなりにくいですね。
投稿: iwatani | 2017年9月17日 (日) 07時49分
しかしこのままいくと地球上での人間の生存すら怪しいという所まできてるのに、一体どうするんじゃ。
投稿: bad | 2017年9月20日 (水) 22時43分
ここでの「自家化」という言葉は岩谷さんの造語だと思いますが、これは「他者をやすやすと自家薬籠中の物にする」行為を連想させる非常に含蓄の深い言葉ですね。念のため辞書引きました、てへ。:【自家薬籠中の物】自分の薬箱の中の薬のように、いつでも自分のために役立て得る物や人。思うままに使いこなせるもの(広辞苑 第5版)。
「自分の目の前にある何かを対象として捉えそれを我が物とすること」を意味する"appropriation"という哲学用語があるようで、この語はこれまで伝統的に「我有化」と翻訳されてきたようですが、今後はこの意味での"appropriation"の訳語として「自家化」を使うようにしたらいいかも。
ところで最近、北朝鮮をヤクザに見立てて、「ほんまもんのヤクザ同士やったらこんな風に行動するで」式のシナリオに基づいて同国との交渉術をレクチャーしようとする愚劣な人々(元組員とか元知事とか)がいるのだが、これらの人々は、まさに北朝鮮の自家化を行っている。つまり、自分が見知ったものに北朝鮮を例えることで、北朝鮮という他者を理解したつもりになり、ひとまずの安心を手に入れようとし、そして可能ならば北朝鮮という他者を自家薬籠中の物にしようとしている。彼らにとって北朝鮮とは、自分がプレイしている世界戦争のシミュレーションゲームやヤクザ同士の抗争ゲーム(どっちもやったことないけど)の中のキャラクターの1つなのだろう。
北朝鮮では同国の最高指導者(現在は金正恩)のことを最高尊厳(supreme dignity)と呼んでいるらしく、国民には最高尊厳への絶対的な忠誠心(absolute loyalty)が求められるらしい。日本に住んでいる人々が真剣に関心を向けるべきなのは、独裁者によって自らの心身と生命を掌握され、馬鹿げた最高尊厳とやらへの忠誠を自発的に誓うように仕向けられている北朝鮮の人民とその子供達が、現在および将来どうやって生き延びていくのかについてだと思う。
余談:ボウイの「Fantastic Voyage」に「尊厳(dignity)や忠誠心(loyalty)も大事だが、自分自身の命もまた大事だよ」、「この世に完璧な人間はいないが、だからといって、それがミサイルをぶっ放す理由にはならないよ」という歌詞があって、こ、これはまさに現在の北朝鮮のことを歌ったものではないかと思ったら、似たようなことを先に考えた人がいたらしく、「Song For North Korea」というタイトルで同曲のカバーバージョンをYoutubeに投稿しているのを見つけました。このビデオはスティービー・リクス(Stevie Riks)という名のイギリスのコメディアンによるモノマネなのですが、決してオフザケではなく、北朝鮮関連の映像をバックに最後までシリアスに歌唱しており好感が持てました。
投稿: kawabata | 2017年9月23日 (土) 11時57分
ちょっと面白いことを思いついた。
There's no end to my life.
No beginning to my death.
Death Is Life.
「わしには、生の終わりがない。
つまり、ずーっと生(=意識+無意識)が続くということ。
死んだかて、そりゃ単に生きる場所が変わっただけ。
ゆえに、死なんて無い、生(意識)だけが有るのみ。」
ついでに
You running and you running
and you running away.
You running and you running
and you running awy.
But you cann't run away from yourself, from yourself.
B.Marley (from "KAYA")
どうにもわしには、自分の業というものが過去世からずうっと引き継がされている気がする。逃れられないというか。まあ、それを浄化するのが現世の使命というか。 (できるならばね)
投稿: n,s | 2017年9月27日 (水) 07時19分
訂正
生(意識+潜在意識)
この潜在意識というのが、個々それぞれに要なんでしょうね。
can't (oh! my my)
投稿: n,s | 2017年9月28日 (木) 06時49分
この宇宙に他者は論理的に存在しない。というより真の意味での個物が存在しない。一般的人間主体aとb・・・等々が存在するのに過ぎない。個物があると言うのはノミナリズムに過ぎない。
投稿: 東村山のジェニー | 2017年9月30日 (土) 14時22分
@東村山のジェニー
他者は存在物(オブジェクト)ではなく関係の概念ですから、ノミナリズムであり、したがってあなたのおっしゃるとおり存在しません。
ですから、
> 人間主体aとb・・・等々が存在する
たとえばaにとってbは他者ですし、bにとってaは他者です。他者とは、そういう単純な概念です。
「うちのトイプードルのパック」は存在するが、「犬」はノミナリズムだから存在しない。それと同じ話です。それでも、「犬」に関する有意なディスクールは、いくらでもありえます。
このブログの基本テーマである、コミュニケーションという、人類の難題を解決していくことと、どう関係してるんでしょうか?このお話は。
追記:
おっとっと、そして“一般的人間主体”も、ノミナリズムの典型であり、これもやはり、存在しません。
投稿: iwatani | 2017年10月 1日 (日) 18時28分
コミュニケーションという概念があまり気に入りません。そもそも何かと何かが関係するということ 差異化 分化 性分化 ということとその実相についてどのようにお考えなのかお尋ねしたいです。
投稿: 東村山のジェニー | 2017年10月 1日 (日) 19時31分
@東村山のジェニー
> コミュニケーションという概念があまり気に入りません。
では、コミュニケーションについて考えるブログには最初から接近しない方がよいでしょう。私にとっては、コミュニケーションが、人類の近未来〜遠未来の、唯一最大の課題です。当面、それしかないと思います。
なぜ、“気に入らない”のですか?
差異化については、これもコミュニケーションの条件や環境基盤のひとつとして、お互い、理解努力をしながら、リアルに受け取るしかありませんね。
関係といっても、貨幣関係や戦争関係や一方的搾取開発関係でない関係を模索していかないと、やばいでしょう。お互い無関係、という関係もあります。
投稿: iwatani | 2017年10月 1日 (日) 20時29分
お考え教えてくださり感謝にたえません。率直に言いますが私は今から40年弱前、岩谷さんの個体論に感激しそれを一生のテーマと決め、最近ではスコラ哲学に心を奪われそして長年の個体論に一定の結論に到達しました
ところがそれが現代思想登場以降の岩谷さんのお考えといくつかの点で決定的な齟齬を起こしておりそのことをお伝えしたいという気持ちに駆られコメントしてしまいました。岩谷さんのおっしやる通りこのブログにはもう近寄りません。最後にこのブログが今後、有意義に機能するために一部の人のくだらないだべりが掲載しなくなることをお祈りします
投稿: 東村山のジェニー | 2017年10月 1日 (日) 21時13分
すみません、ちょっと用語に関して整理させてください。
>「うちのトイプードルのパック」は存在するが、「犬」はノミナリズムだから存在しない。
ん?ノミナリズムとは「具体的な個物は存在するが、概念のような抽象的エンティティは存在しない」という考え方だと思うのですが?したがって、上記の文は、リライトすると次のようになると思います。
>ノミナリズムに依拠するならば「うちのトイプードルのパック」(という個物)は存在するが、「犬」(という抽象的概念)は存在しない。
または、「ノミナリズム(唯名論)」の反対概念は通常「リアリズム(実念論ないし実在論)」と呼ばれますが、「普遍(一般)が個物(特殊)に先行する」という考え方はプラトンをその元祖とする「イデアリズム(イデア主義)」の一種なので、次のように言い換えても良いかと思います。
>ノミナリズムによれば「うちのトイプードルのパック」は個物だから存在するが、「犬」はイデアだから存在しない。
また、次の文ですが、
> “一般的人間主体”も、ノミナリズムの典型であり、これもやはり、存在しません。
「一般的主体」という概念を存在者として捉える考え方はノミナリズムではなく、それとは真逆の「イデアリズム」なので、ここは「イデアリズムの典型」と言うべきだと思うのですが。
私の勘違いでしたらすいません。
投稿: kawabata | 2017年10月 2日 (月) 15時43分
@kawabata
ノミナリズムは、当時(13-14c)も今も、日常俗語に由来した用語であり、とくに当時は、概念という言葉が身近になかったのだ、と思います。
元の日常俗語は「そりゃー単なる名前だよ」(==実在しない)
というわけでkawabataさんの、中世神学的哲学の現状の理解は、逆立ちしています(と感じられる)。リライトする必要は、ありません。
投稿: iwatani | 2017年10月 2日 (月) 18時06分
>「うちのトイプードルのパック」は存在するが、「犬」はノミナリズムだから存在しない。
もしかして岩谷さんは「ノミナリズム」という言葉を「名前・記号」ないし「名目上のもの」という意味で使ってらっしゃいますか?ノミナリズムは日常会話で頻繁に使われる言葉ではないので、「何それ?」という人も多いはずです。ここはひとつ辞書(広辞苑 第5版)を引いてみましょう。
ノミナリズム【nomialism】(1)[哲]唯名論。<-> リアリズム。(2)[経]名目主義。素材のいかんを問わず貨幣として役立つものが貨幣であるという説。(以下略)
経済学用語ではなさそうなので、さらに「唯名論」を広辞苑で引いてみます。
ゆいめいろん【唯名論】(nomialism)普遍はただ一般的な記号・名前にすぎないもので、客観的実在を指すのではなく、実在は個物であると考える立場。スコラ学の時代に、実念論との間に普遍論争が起こった。(以下略)
ノミナリズムには通常、哲学用語としての「唯名論」という意味しかなく、これが単なる「名前・記号」を意味することは普通はないようです。
念のため、英語の辞書も引いてみましょう(https://en.oxforddictionaries.com/definition/nominalism)。
nomialism
noun mass nounPhilosophy
The doctrine that universals or general ideas are mere names without any corresponding reality. Only particular objects exist, and properties, numbers, and sets are merely features of the way of considering the things that exist. Important in medieval scholastic thought, nominalism is associated particularly with William of Occam.
Often contrasted with realism (sense 3)
この辞書では、「プラクティカルなオブジェクトのみが存在し、性質、数、集合などは、存在するものを認識するための方法に付随する機能に過ぎない」と、広辞苑よりもかなり内容に踏み込んだ定義になっています。しかしやはり「名前・記号」という意味はないようです。「ノミナリズム」をググっても同じ結果になります。
というわけで、「ノミナリズム」という言葉を知らない人が、
>「うちのトイプードルのパック」は存在するが、「犬」はノミナリズムだから存在しない。
という文を読んで、「ノミナリズム」をググったり辞書で引いて調べたとしたら「何これ?イミフ」となる恐れが多分にあると思われます。ですので、やはりリライトは必要かと思われます。
リライト例)「うちのトイプードルのパック」は存在するが、「犬」は単なる名前・記号だから存在しない。
そもそも、東村山のジェニー(このハンドルネームは占領下のヨーロッパのジェーンを思い出させる)さんの最初のコメントの最後の文「個物があると言うのはノミナリズムに過ぎない」ですが、ここでの「ノミナリズム」は「名前・記号」ではなく、まさしく辞書に載っている意味の「唯名論」を指していると思われます。後続のコメントを読むと、東村山のジェニーさんは、かつて自分は岩谷さんの主張する個体論(「ヤサイの光景」のことかな?)に魅了されたが、後年になってスコラ哲学に親しむようになると、それまで魅力的であった岩谷さんの個体論が、アリストテレスの主張する「個物が普遍に先立つ」という単なる唯名論の変奏にすぎないように思えてきた、と主張されているのではないかと思われます。すなわち、ジェニーさんは「普遍が個物に先立つ」というリアリズム支持者の立場から「岩谷さんはノミナリストである」と批判されているのだと思います。ジェニーさんが自分および岩谷さんの「ノミナリズム」の使い方に関してコメントしてくれると一番いいのですが、もうこのサイトにはいらっしゃらないとのことで残念です。失礼ながら、なんかジェニーさんってヘタレっぽいな、と思ってしまった。
私はスコラ哲学には何の興味もありませんが、現代の数学における「ノミナリズム対リアリズム」の相克には大いに興味があります。もちろん私はノミナリズムを支持する立場(==反プラトン主義)であり、(自然)数も集合も関数も存在しないと思っています(とても参考になるサイト:http://obaq.soup.io/post/54701396/)。
なお、世の中には過激なノミナリストが存在しており、『数のない科学:ノミナリズムの擁護』(Hartry Field著)という書すらあります(邦訳なし)。これは、「(自然)数と関数」という得体の知れないエンティティに依拠することなくニュートン力学を再構成するという試みらしいです。暇があったら解読に挑戦したいです。
投稿: kawabata | 2017年10月 3日 (火) 09時11分
@kawabata
そんなにいろいろ持ちださなくても、語の意味はそれが使われているコンテキストと、使用者の意図に依存します。私のはこれでいいので、リライトは不要です。あくまでも特定の人との特定のコミュニケーション、というコンテキスト。そしてノミナリズムという語の、やや意地悪な逆用、という意図です。
数が人間の概念でありノミナリズムである(==実在しない)ことは、私も昔から言ってると思いますが。
投稿: iwatani | 2017年10月 3日 (火) 11時34分
分かりました。すいません、自分が知っていると(思っている)言葉が出てきたのでついつい悪ノリしました。
かつてThe Smithの"Meat is murder"(肉は殺人だ)を、これじゃイミフやろと"Eating meat is like committing murder"(肉を食べるのは殺人を犯すようなものだ)と添削して一人悦に入っていたバカなワタシを思い出して反省。オリジナルの「肉は殺人だ」にあった、「野菜は自殺だ」や「色は他殺だ」につながる、この独特の変な感じを消しちゃあダメですわね。
投稿: kawabata | 2017年10月 3日 (火) 13時44分
大変すみません。出先で携帯をみたのですが私のガラパゴス携帯ではkawabataさんのコメントが最後まで読めず、私に参戦を求めていると、勝手に解釈して再度コメントさせていただきます。ます私のコメントが短すぎたため、kawabataさんが誤解されているようなので、その点を。唯名論と実在論とが対立する立場であるというのは、三流教科書の解釈で、その点を看破した山内志朗の本が20数年前、日本の読書界隈でも、少しだけ話題になりました。いまでも平凡社 新書で出ています。宜しかったら、お時間のある時に、ぜひ読んでみてください。わたしが実在論者ということですが、パースが実在論を定義し直して、未限定なものが先にあって、それが分節化して個物が現れると考えるのが実在論であると言っていますが、そういう意味では私も実在論者です。そして同時にアリストテレス主義者でもあります。おそらくkawabataさんの立場からすると、それは両立し得ないという事になるでしょうが…。アリストテレスも大変、誤解というか正しく理解されていない人で、奇しくも昨年は生誕2400年ということで、日本でも各地で、講演会やシンポジウムがたくさん開かれていましたし、近年、新訳の全集も出ました。おそらく、プラトンとの対立を強調させるため、プラトン(普遍)アリストテレス(個物)という図式で紹介されていますが、私の解釈ではアリストテレスは、個物のかけがえのなさを論理化するためには普遍の導入が必要だと説いた人です。ちなみに、プラトン、ソクラテスはイエスやシッダールタと並んでソフィストだと私は思っています。個物があるというのはノミナリズムに過ぎないと書きましたが、私の意味するところは、個物というのは単なる歴史的蓄積の産物に過ぎないから、そのままでは個物のかけがえのなさに到らない。普遍・共通者・共通本性といった概念、つまり他とのかかわり合いを前提にしなければならないということです。そしてそれがスコラ哲学から私が学んだことの人でです。岩谷さんとの相違に関しては、いくつかありますが私事になりますのであえてコメントしません。 追伸 ハンドルヌームのジェニーというのはら今から20数年前、当時のフランス人友人達からはんば揶揄して天才的な奴という意味で付けられたニックネームです。そんな恐ろしい意味はありません。
投稿: 東村山のジェニー | 2017年10月 3日 (火) 15時02分
@東村山のジェニーさん
私の悪ノリした挑発的なコメントに真摯に応答してくださり感謝です。
> 唯名論と実在論とが対立する立場であるというのは、三流教科書の解釈
少年ジャンプの漫画じゃないんだから、「普遍論争では唯名論と実在論のうちどっちが勝利したか?」などと問うのは無意味だろうなとは思っていましたが、やはりそんなに単純な話ではないのですね。
> アリストテレスは、個物のかけがえのなさを論理化するためには普遍の導入が必要だと説いた人
アリストテレスの思想には「エイドス(形相)」という概念があるので、これがプラトンのイデアがアリ氏独自の思想の中に取り込まれた結果なのかな、とぼんやり感じていました。アリ氏は師匠であるプラトンのイデア論を完全に否定したわけではないんですね。
> そのままでは個物のかけがえのなさに到らない。普遍・共通者・共通本性といった概念、つまり他とのかかわり合いを前提にしなければならない
神・数・言語・貨幣といった最も広い意味での「メディア(媒介)」が、個物の「かけがえのなさ(唯一無二性、交換不能性)」とどう関わるのかは極めて重大な問題だと思います。私はもともと小学生の頃から「貨幣(お金)とは何か?」そして「なんでこんな妙なもんが世の中に存在しているのか?」という素朴な疑問を持っており(この素朴な問いに答えてくれる人は身近には誰もいなかったが)、その後いろいろあって、コンピュータ(ネットワーク)の世界に関わるなど試行錯誤を繰り返した結果、現在では、貨幣を問うことはその存在の基盤である「数自体・数そのもの」を問うことに他ならないと感じています。で、「数とは(「比(ratio)」という)関係(が固定化されたもの)であり、数自体というものははない」というのが現時点でのとりあえずの結論です(この辺は岩谷さんの思想の影響がモロ)。だから、数自体というイデアが叡智界とかの外部にもともと存在していると主張するような「数学におけるプラトン主義ないし実在論」には徹底的に反対しています。余談ですが、最近、岡潔(故人)というゴリゴリのプラトン主義的数学者が一部でリバイバル的に持ち上げられているようでキモい…。
ジェニーさんの書かれた文章がWeb等に公開されているなら、よかったら教えてくださいませんか。私に理解できるかどうか分かりませんが。
投稿: kawabata | 2017年10月 4日 (水) 13時54分
みごとなオトコ脳=オタク脳のオンパレード。おつかれさまでした。
投稿: n,s | 2017年10月 5日 (木) 23時10分
やはりここに書くのが正解かと。
>But you can't run away from yourself, from yourself. (B.Marley)
最初に歌詞にそって言うなら、「罪悪感」。罪悪感なんて意識しようとしまいと、心の奥底に必ず沈殿していると思う。それを紛らわすために、また変なことを犯すというスパイラル。問題はいかにそれと向き合うか、ということ。
また、逃れられない別要素として「自己愛」、とその裏返しの「自己嫌悪」。なんだかんだでやはり自分が一番大事なのである。しかし一概にそれが悪とも言えないと思う。結局それが生きていく上で、最上のモチベーションになっているのだから。(自己嫌悪も人一倍自分にこだわるが故の産物である)
投稿: n,s | 2017年10月24日 (火) 06時46分