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2017年8月27日 (日)

存在という貧困な誤謬、動物番組よ死ね

「存在」というものはない、あるのはさまざまな「関係性」のみだ、ということは私はかなり前から言って(書いて)いるけど、まだまだそれは世界の常識になっていない。むしろ至るところで、錯覚と誤謬の「存在」、その頑(かたく)なな、虚しい、強硬な頑張りが見られる。私は3歳で運良く戦場(不正な被植民国)から帰還したが、今や毎日のように多量の子どもたちが殺され、女性が虐待されている。存在の固着、同士の衝突。単純にいうと、馬鹿。

関係性は、固着したらそれは存在(==誤謬、錯覚)になってしまうので、真の関係性は、時間という流れる体液を必要とする。その体液は生成という名の変化をつねに誘発する。関係性は、関係性という存在ではなく、それ自身も関係性にさらされている。だから、トランプと彼の支持者は間違っているだけでなく、アメリカ自身を死に追いやりつつある。関係性のその動態性の拒否によって。アメリカの存在視、という誤謬。

よく知られているように、Steve Jobsはシリア移民の子である。

私はテレビの動物番組(飼養動物、野生動物両方)が大嫌いで、番組に対し殺意すら感じるのは、動物をていよく存在視しているからだ。すなわち、自由勝手に見物できるオブジェクトである。そこが、腹立つ。

すべての動物番組は、間違った動物観を広める。

大量の金と機材と人と時間を投ずるのだから、動物とのあいだに、なにかリアルな関係性を築けるだろうが。ただ見物する(==撮影する)だけでなく。良い「仲」を築くためにリソースを投じてみろ。そしたら、たまに見てやってもいいや。言い換えると、他者とのあいだで、『本物の苦労』をしろ。この、くそったれども!!


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コメント

障害者番組も同様です。

「存在と時間」ではなく「関係と時間」ですね。

投稿: 南 | 2017年8月28日 (月) 07時37分

>関係性は、固着したらそれは存在(==誤謬、錯覚)になってしまう
賛成。そうでんがな。家族関係、親子関係、夫婦関係、恋人関係、愛人関係、師弟関係、上下関係etc,etc, 固定したら面白く・よろしくないと思う。軋轢が生じます。変化(へんげ)させとうおます。こだわる必要があるのだろうか。どっちゃでもよくないだろうか。こだわるなら、「有意義に生きること、未練なく死ぬこと」だと思うけど。

>障害者番組
身近に障害者がいる身としては、偽善にしか見えない。たった数ヶ月しか付き合わないでそれがなんだというの。  じっくり5年ぐらい付き合ってみろよ。

投稿: n,s | 2017年8月28日 (月) 20時47分

映画「精神」は評価が高く、見てみたい。

投稿: bad | 2017年9月 1日 (金) 16時40分

恋愛感情・恋愛関係なんてのは、誤解・錯覚の最たるものだと思われる。だから最初から長続きする、させようなんて思わない方が正解。お互いすてきな勘違いができて、ラッキーだったと感謝するぐらいがちょうど良い。恨むとか未練とかバカバカしいことじゃなかろうか。サバサバと次に進むのが良かったりして。

という訳で最近世間では、不倫報道が大流行りである。タレント・議員・女優とバラエティに富んでいる。大流行というか、それだけ視聴者の大多数がそれに食いついてくるということか。その中身はなんだろう。わしにはそれは嫉妬や妬みそのものに思える。心根(こころね)で、「わたしもしたいのに、あいつらだけ・・・」、「ざまあみなさい、叩かればいいのよ、ふふん」と、そんなネガティブ感情に火をつけるのだろう。
どうにも、不倫報道がハヤルその裏には、潜在的に不倫願望が渦巻いている気がする。やっちゃえばいいのよ、なによそんなもの、それが自然よ、大騒ぎしないでよ、クールにいきましょ、てな感じで物事がすすめばムダな不倫報道なんて、この世から消滅する。へたな抑制がとれて、社会がすっきりする。みんなの顔がきれいになる。        おそまつでした。

投稿: n,s | 2017年9月14日 (木) 02時08分

訂正    
「叩かれれば・・・」

投稿: n,s | 2017年9月14日 (木) 02時29分

「女性のほうが圧倒的にエライ」
播種本能と母性本能とを比べたら、勿論断然、後者のほうが達成するまでの苦労の時間が長い。忍耐・根気・体力ともにおとこのそれとは、比べ物にならない。(男はやったらそれで満足?)
これからは、テクノロジー(CP)の発達、資源の枯渇、気候の変化etc,etc、人類存続に関わる問題山積の時代である。女性のイデアとしての、柔らかさ・しなやかさが本当に必要となるのだと思う。男はほとんど役目が終わってる気がする。男は独自に頑張らないで女性の下支えに徹して、協力していくべきじゃなかろうか。
だけど母性本能てのは、しっかりと嫉妬というのに絡みついてる気がするからなー。子を育てるのに必要条件として、確固たる家庭・父親(食い扶持)を求めるんだろうか。
われ思うに、育児子育ても半分は社会化できたろと思う。自分の子供も半分は客観視する必要があるだろうよ。ま、ほんとに、かしこい女性にエラクなって欲しいと思う次第である。

投稿: n,s | 2017年9月18日 (月) 10時49分

コミュニケーション忌避の根源とはなんだろう。自分には防衛本能に思えちゃう(またかよ)。超古代、自然の中で人はゴミみたいな幽(かそけ)き存在だった。生きるのに・身を守るのに命がけである。それで集団を作り、またある所でも同じように集団を作る。超古代どうして集団間で信頼関係が持てようか。持てるはずがない。どちらも他方が怖くて仕方ないはずだ。
と、そんな訳でコミュニケーション忌避のDNAを我々も引き継いでいる。けど逆に言えば防衛本能(用心深さ)があったればこそ、人類が発展したとも言えないだろうか。    (だからどうなのよ。時間切れです、 ぷっシューーーーーー。)

投稿: n,s | 2017年9月27日 (水) 07時57分

誰かさんの言葉に、「その根本の起因を知る事によって、その呪縛から逃れられる事を得る」というのがありました。
コミュニケーション忌避になったのにもそれなりの理由があるわけである。単純なイメージでの話だが、男とは古代やはり、対外的に外に向けて働かねばならなかった。それも超厳しい条件下で(欧州は酷かったらしい)。女はやはりそれぞれ、集団内での仕事がメインだったんじゃないかと思う。これが両者を違える大きな原因じゃなかろうか。
という訳で、あとはどう言えばいいのか分からないが、一方を責め上げるのも無意味なのじゃなかろうかと。言えるのは、今は古代のような闘争を繰り返す要因(稀少性の奪い合い)は、ほとんど解消できてるのだから・・・。
しかしこれを現代の支配者はカネを使って、無理矢理にも演出しているのである。やはり、貨幣の呪縛・洗脳は解くべきだと思う。  (へんな結論になった)

投稿: n,s | 2017年9月28日 (木) 07時33分

追加
これが両者を違える大きな原因じゃなかろうか。コミュニケイティブ、ノン・コミュケイティブ。

投稿: n,s | 2017年9月28日 (木) 07時56分

n,s氏オトコの光景、今回はトートロジーでなく「本末転倒」。

×馬鹿は死ななきゃ治らない。
○馬鹿は死んでも治らない。
◎馬鹿は生きてるうちに治すべし。

しばらく、書くのをやめて修行したら…。

※「本末転倒」は「トートロジー」の亜種である。

投稿: iwatani | 2017年9月28日 (木) 14時30分

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