存在という貧困な誤謬、動物番組よ死ね
「存在」というものはない、あるのはさまざまな「関係性」のみだ、ということは私はかなり前から言って(書いて)いるけど、まだまだそれは世界の常識になっていない。むしろ至るところで、錯覚と誤謬の「存在」、その頑(かたく)なな、虚しい、強硬な頑張りが見られる。私は3歳で運良く戦場(不正な被植民国)から帰還したが、今や毎日のように多量の子どもたちが殺され、女性が虐待されている。存在の固着、同士の衝突。単純にいうと、馬鹿。
関係性は、固着したらそれは存在(==誤謬、錯覚)になってしまうので、真の関係性は、時間という流れる体液を必要とする。その体液は生成という名の変化をつねに誘発する。関係性は、関係性という存在ではなく、それ自身も関係性にさらされている。だから、トランプと彼の支持者は間違っているだけでなく、アメリカ自身を死に追いやりつつある。関係性のその動態性の拒否によって。アメリカの存在視、という誤謬。
よく知られているように、Steve Jobsはシリア移民の子である。
私はテレビの動物番組(飼養動物、野生動物両方)が大嫌いで、番組に対し殺意すら感じるのは、動物をていよく存在視しているからだ。すなわち、自由勝手に見物できるオブジェクトである。そこが、腹立つ。
すべての動物番組は、間違った動物観を広める。
大量の金と機材と人と時間を投ずるのだから、動物とのあいだに、なにかリアルな関係性を築けるだろうが。ただ見物する(==撮影する)だけでなく。良い「仲」を築くためにリソースを投じてみろ。そしたら、たまに見てやってもいいや。言い換えると、他者とのあいだで、『本物の苦労』をしろ。この、くそったれども!!
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