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2017年7月 9日 (日)

ルーズな土地管理・土地利用の犠牲者

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なんとそこには原発もあった!という超ルーズは、先祖代々のものではなく、むしろ先祖たちは、「ここから下には家を建てるな」と厳命していた。ご先祖が死をもって毒キノコだと実証したキノコを、どんなにうまそうだからといって、食べるべきではない。

今回のは豪雨による鉄砲水の被害で、あまりにもできすぎ、シンボリックなひどさをわれわれに伝えた、母60台、娘20代、孫1歳、おなかの中の二人目の孫、全員一挙死だ。

全国の里山を貧弱な檜の放置林にし、今日まで長年放置していれば、その長い年月に豪雨鉄砲水ぐらい必ず起きる。本来の里山は植生が多様豊富で、適度に手入れされた天然林に近く、保水力と表土剥離流出防止機能がある。昔から、これまたご先祖の偉大なる言葉として、「真の治水は山の手入れだ」「治山と治水はワンセット」と言われる。

私も当時(終戦直後)の無知な田舎モンだったら、無知な政策に従って、せっせと里山を削って檜の苗を植えまくったと思われるが、今、林業のしろうとが考えても、それで銭(ゼニ)になる優良材が得られるとは思われない。林業も、プロの仕事として精魂込めてやんなきゃダメに決まってる。

檜の放置林だらけの光景は、日本中至るところにあるから、うちの近くにもうんざりするほどある。何年も何十年も変わらない。

今回の、福岡県朝倉市黒川(くろがわ)地区も、そうだ。

お粗末な檜の放置林(1)

この道路が通れなくなるのは時間の問題。


お粗末な檜の放置林(2)

無意味なままごとのような土嚢。


山中(やまじゅう)檜の放置林

家の背後に竹やぶすらない。


家々の背後も檜の放置林

ここは罹災地の黒川(くろがわ)地区。
鉄砲水の標的になるような場所に家々がある。

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コメント

天災は多くの場合に人災でもある

ということが又々又々証明された。

人類から学ぶという機能が失われた。

投稿: 南 | 2017年7月10日 (月) 07時18分

ニュースには一切こんな話は出てこないですね。

投稿: bad | 2017年7月11日 (火) 19時28分

木を見て森を見ず。物事の本質を真摯に伝える姿勢が必要ですよね。

投稿: musataro | 2017年7月12日 (水) 18時51分

うまい😁😿

投稿: | 2017年7月12日 (水) 19時58分

@bad
@musataro
主に21世紀に入ってから主に若者たちの運動として「里山復活事業」がある。でもその件数も規模も実績も、たぶん微々たるものだと思います。

自然という他者に関しては、だいたい、ご先祖の方が正しいんだけどなぁ。

投稿: iwatani | 2017年7月12日 (水) 19時58分

ご先祖は「自然という他者との正しい関わり」を、テキストとして我々に遺しています。ただそのメッセージは、たとえば2014年8月広島市での豪雨災害では「改変される前の古い地名」として現前しました。

このような、世の中のいたる所にある「未編纂の/埋もれた・テキスト」を再度編み直すこと。この作業は個人レベルでは、例えば災害から自分や身近な人々を守ることにつながってゆくでしょう。

しかしこうした営みやその成果が、社会的な意志決定過程の中で重みを持つようになるには時間を要する、との予感もあります。人命に関わるぶ災害を見聞する度に、教訓を自身が身近な場で生かす事と、社会全体としては未学習であり続ける(ように見える)事の乖離(時空的隔たり?)を常に感じます。

投稿: katakawa | 2017年7月13日 (木) 13時36分

誤字訂正です
「人命に関わるぶ災害」

「人命に関わる災害」
失礼しました

投稿: katakawa | 2017年7月13日 (木) 15時11分

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