« ステージ/オーディエンス構造の終焉 | トップページ | 「他者」は絶対不可侵不可触の“それ自身”のことである »

2017年6月 5日 (月)

貨幣はサブイシューである

このブログが扱うメインイシュー(main issue)はコミュニケーションであり、ほかにメインイシューはない。この環境で貨幣は、したがってメインイシューであるコミュニケーションに属する部品的イシュー、すなわちサブイシュー(subordinate issue, sub issue)のひとつであるにすぎない。

そして、そのように、コミュニケーションという視座の中における貨幣は、コミュニケーションの、特殊な、一様態ないし一様相である。では、貨幣とはコミュニケーションのどんな様相か? 今さら言うまでもなく貨幣は、最初から他者を疎外している、非常に粗悪で有害なコミュニケーション様式である。それが一種の、コミュニケーションの病気であることを指すために、様態や様相よりも容態(ようだい)(ないし容体)という言葉を使う方がふさわしいかもしれない。

こうやって、貨幣を単独の独立のメインイシューとして扱わずに、コミュニケーションという座標系の上に移して見ることは、人類の社会思想の、久々の「一歩前進」なのである。貨幣をメインイシューとして扱っているかぎりは、どうにもこうにも埒があかず、もっとましな社会へと前進することができない。

貨幣の本質がコミュニケーションの問題だ、と分かれば、ふんじゃあコミュニケーションを良くしていけば人類は貨幣という悲惨==差異および差異の階層から脱することができるかもしれない、と思えてくる。そして、貨幣経済という言葉は従来、物々交換(実はここにすでに貨幣の母胎がある!)などのより原始的な経済形態に対して、より効率的一般的な交換価値物形式について言われたが、今後は、贈与経済、共有経済(ないし共生経済)など、貨幣症状のない、あるいは軽い、新しい経済形式に対し、古くて劣位な経済形式を相対化して指すための語彙になる。

説明的に似ているかもしれないが、「鬱(うつ)」を単独の“状態”として扱っていると、迷信のような詐欺的対策がのさばり、ついに本人の自殺を防げないが、今のように“病気”という座標軸上に移してしまえば、その病気(体調異変)に対する有効な治療法がありえる。

貨幣は、まともに扱うことの困難な巨大で厄介な怪物ではない。それは、重病のコミュニケーションの容態にすぎない。治療法はすでに、ささやかながら芽生えている。

--------

「貨幣をめぐるコミュニケーション」があるのではない。貨幣そのものが(貨幣現象の総体が)コミュニケーションなのだ。有害で病的な。

|

« ステージ/オーディエンス構造の終焉 | トップページ | 「他者」は絶対不可侵不可触の“それ自身”のことである »

コメント

人類がそれを望んだ。

他者疎外を望んだ。

貨幣は他者を切り捨てるための刃。

他者無しでは1秒も生きられないくせに。

投稿: 南 | 2017年6月 6日 (火) 07時22分

貨幣はさぶいっす、

投稿: | 2017年6月23日 (金) 22時50分

貨幣そのものが聖域なわけがない。
貨幣がヤバイ俗物根性のカタマリである。

貨幣=他者疎外の実例。
商品が売れなくなり工場がヒマになると、今度は仕事(給料)の取り合いになる。それまで見逃してこれたことも許せなくなる。仕事の奪い合い=他者疎外。
また、カネ回りが悪くなるとコミュニケーションも悪くなる。カネ回りが悪い時こそ、意志や意見の通りを良くしなきゃいかんのに、逆にギスギスしたり顔を見なくなったりする。これもそれも、わしらがカネに首根っこを押さえ込まれているからである。カネ(貨幣)が入ってこないと生きていけないという不安(怒り)がそうさせている。なんともみじめな生き物よのう、我々は。

投稿: n,s | 2017年7月11日 (火) 23時56分

貨幣=奪い合い、とはなんと人間の生きてく根本原理の、ド貧相さを表していることか。古代から釈迦やキリストが生まれて、どれだけたったのか知らないが、狩猟時代の獲物とカネは、生きるのに必要不可欠の存在として同一である。   つまりカネに強制服従(支配)を強いられている。つまり人間は心情においてゼンゼン進歩もへったくれも無く、なにも変わっていないのであろう。
say, "Live and Let Die."

コミュニケーションが有効に働き、その効力を発揮するために必要な環境とは、{安心・安全・ポジティブ」が維持されて状態だと学んだことがある。今の状態は逆の「不安・危険・ネガティブ」がピッタリ当てはまることに笑ってしまう。まー、これが人民を縛り付け支配できる方法としては最適なんじゃろうな。ではこれを打破しうる突破口はなんだろう。    個々の身近な人に対するコミュニケーション努力しかないのじゃなかろうか、結局。   だけど閉鎖的(他者不在)な「愛」は、イヤだ。

投稿: n,s | 2017年7月20日 (木) 06時31分

変更

つまりカネに強制服従(支配)を強いられている。⇒
現代どれだけ技術が発達しようと食料が収穫されようと、人間の心は飢えたままである。

コミュニケーションが有効に働き、⇒
コミュニケーションが活発に働き

投稿: n,s | 2017年7月20日 (木) 09時34分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/140652/65373392

この記事へのトラックバック一覧です: 貨幣はサブイシューである:

« ステージ/オーディエンス構造の終焉 | トップページ | 「他者」は絶対不可侵不可触の“それ自身”のことである »