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2017年6月10日 (土)

「他者」は絶対不可侵不可触の“それ自身”のことである

哲学、とくに存在に関する一般理論は、その基本前提がガクモン的哲学でも庶民的日常的哲学でも同じだと思うが、単一(single)の存在(宇宙…、世界…)であると思われる。

しかし他者とは、たとえばこの稿ではYouとされているが、Youは、

You came from far far away.
So farther than beyond any measurable distance.

なのである。すなわち他者は、いかなる計測可能な距離よりも遠くにいる。距離が計測不可能ということは、他者と自者は同じ存在(同じ宇宙…、同じ世界…)に属していない、ということになる。同一空間内にあれば、何億キロメートルだろうが、計測可能だ。だが、同一空間内にはいない。

ここで、単一存在という前提は、急に陳腐化する。

他者不在における他者は、他者がその、いるべき場所にいない。不在、である。他者が、それ自身の宇宙にいない。

ではどこにいるのか。それぞれの自者の、眼前に開ける単一宇宙内の、one of成分、要素としてのみ存在する。自者にとってのオブジェクト、目的物として。真の他者は、どっかへ消えて、いない。だから、「不在」という。

計測不可能な別世界から来た、今でもまさにその別世界にいる、不在ではなく真在の他者が、オブジェクト(目的物)としてでなく、別空間、別宇宙に、それ自身としていることが認識されるのは、唯一、「愛」においてのみである。

いわゆるラブソングが、愛の歌であることはない。ありえない。

いわゆるラブソングは、目的物獲得の歌である。

しかしもはや、存在は単一でなく、無限無数に多い複数である。

ひとつひとつの、個、の尊厳とは、そういうことである。

個(==他者)が個として見える、迫ってくるのは、これまた、唯一、「愛」においてのみである。

もちろんそれは、コミュニケーションと平和の基盤でもある。
目的物とされてしまった他者からの、さまざまな復讐もない。


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コメント

他者不在は何かよーく分かりました。脱帽。

投稿: bad | 2017年6月12日 (月) 06時52分

わたしも脱帽します。

ようく肝に銘じておきます。

でも、つい忘れてしまうのは忙しいから?

投稿: 南 | 2017年6月12日 (月) 07時23分

>いわゆるラブソングが、愛の歌であることはない。ありえない。
この件が面白かった。むかし
「こんや~、おまえをー 落としてみせーる」
という気持ち悪い歌が流行ったな。
ばかあほまぬけソング。
おれは誰も所有したくないしね。

健康寿命、健康寿命と騒ぐのも気になる。
単に厚かましいだけじゃなかろうか。
死を受け付けない心は不具である。
100パー通る道なのに毛嫌いするなんて。
「おれもひとりであの世に帰っていくんだよなー」
と思う事がある。
生かされて死なされて行くのである。
誰に。 自然(み仏)にである。

投稿: n,s | 2017年6月22日 (木) 18時04分

「他者」は絶対不可侵不可触、というフレーズから、「他者」は比較・優劣の対象外である、ちゅうのを思いついた。more than thisの世界である。何事もけして比べられる範疇に存在しないこと。それ自体がそれ自体で輝き放っていること。優越感も劣等感も「なんじゃそりゃ」ということ。個は唯一無二なり。

投稿: s,n | 2017年6月23日 (金) 03時30分

> 生かされて死なされて行くのである。
> 誰に。 自然(み仏)にである。
これは他者不在の典型。オトコの脳の典型例である。

太陽神の稿で述べたように、自然と自己はこのように互いに別ものではない。あなたも、自然の一部であるにすぎない。だからこそ、自己もまさに自然と同格に他者である(Je suis autre.)

生も死も(あらゆる多様を擁する)自
然の属性であるにすぎない。

だから、Death is lifeというかつてのシャウトが、非常に肯定的な意味を持つ。

生を、自然のものではなく自分の財産と錯覚するから、死の忌避という他者不在が生ずる。

投稿: iwatani | 2017年6月23日 (金) 07時57分

まあまあまあ、石は投じてみるものである。
いろんな角度から失敗してみて核心を得られるのだろう。
自己=自然(愛?)=他者という認識が広く普及すれば、
それこそなんとなく世界は収まりが付くような気がする。
円環を閉じることが。

投稿: n,s | 2017年6月23日 (金) 21時55分

> 「他者」は比較・優劣の対象外である
またまた出ました。バカオトコn,sさんのトートロジー。

(お医者さんが患者に、しばらく魚は食べないように、と言ったら、横から親切顔をしたバカ看護師が、そうそう、イワシも食べてはだめですよー、と言ってるようなもの。)

投稿: iwatani | 2017年6月24日 (土) 05時54分

まぁわしにも困ったものである。どういう訳か根っからの「尻馬体質」というか、なにか連想で考えや言葉が出てくるのである。無・ゼロから発想できないし、まとめサイト(?)的な文にもなってしまうのだろう。
でも出してみるものである。トートがどんなものか分かったし。
Death is life.
わしには、死も生も根本は本質的に同じ、と感じたね。つまりこの世が不満とか寂しいとしか感じられない人は、あの世に逝っても同じということ。それを脱する手だては前に書いたし、ここでは略ということで。

投稿: n,s | 2017年6月25日 (日) 00時50分

>あの世に逝っても同じ

この世には生の終わりというものはなく
あの世にも死の始まりというものはない
なぜなら死は生と ひとつづき故なり

死も生も一つの自己のプロセスである。その本人の思想や生活感覚が変わらぬ限り、現状の性格と、それに付随する似たような環境をずっと引きずっていくと思われる。ゆえに自殺願望とか自殺実行は是が非でも止めたほうが良い。永遠のループ地獄だからである。(引きよせの法則ってのはあると思う)

また、淋しい淋しいと感じる人は考え直したほうが良い。生物や人間は孤独なのが当然なのである。全ての人に孤独はデフォルトである。それを認めた上で笑うのである。その上で自他共に笑うのである。孤独だけど、死を迎えるけど、笑い合えるというのが唯一の救いであっても、それでいいんじゃないだろうか。どうせ一人で旅立つのだから。   笑いが多い方がしあわせじゃない。

投稿: n,s | 2017年7月 1日 (土) 03時15分

変更
どうせ一人で旅立つのだから。

どうせこの世はうたかたの世、借りのすまい。  

投稿: n,s | 2017年7月 1日 (土) 07時55分

(追加)
それを認めた上で笑うのである。「知ったことか! 今は関係ねぇ」と。その上で自他共に笑うのである。

投稿: n,s | 2017年7月 7日 (金) 02時21分

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