いろいろ書いてると多すぎて面倒なので、読者は「一を聞いて百も千も知って」ほしいのですけど、Facebookというインターネットサービスはユーザー数が数億という巨怪サイトで(ゆえに巨額な広告収入)あるため、ニュースの頻度も多い。
だが、まず、
これぐらいのネットワーキング機能が、なぜ特定のアカノタニンの巨大サーバーに依存しなきゃできんのか?
という根本的問題もある。
この根本的な問題に迫るために、最近のFacebookニュースを取り上げてみよう。最近の同サイトの新機能を知らせるニュースとして:
Facebook上の「グループ」という機能…同好の士が集まって議論や情報交換をする場だ…に、“グループの管理者が参加希望者に質問をしてその答によって参加の可否を決める”、という機能が新たに付加された。
問題は、なんでそんな機能を、Facebook様が作って提供するまではできないのか?
という点だ。コンピューターやネットワークの機能は、人様の迷惑にならないかぎり、ユーザーが自分で自由に設定できるべきだ。
今のコンピューターやインターネットを自動車にたとえると、「自動車はつねにタクシーやハイヤーなどのサービスを利用して使わなければならない」状態と同じだ。自分で運転できない。Facebookは、巨大ハイヤー会社の一つだ。
そして、今回の、ランサム・ウェア問題だ。今は人間の99.99999%まで、コンピューターやインターネットに関する自主性が育っていない。ハイヤーとタクシーに依存するのなら、自己に運転技術は要らない。
すべてのコンピューターユーザーは自主性を持つべき、お粗末で危険なWindowsを捨ててLinuxに乗り換えよう、という運動があった。「日経Linux」誌などの上で今でも細々とある。私も啓蒙の一環として「Linuxの哲学」という本を書いたことがある(2002年、ソフトバンク社)。
だが、誰も自主性を持とうとしない。ネット犯罪者にとって、今のコンピューターユーザーは、“赤子の手をひねるように”、犯行がらくちんだ。しかも、自主性を持たないコンピューターユーザーは、Facebookのユーザー数以上に膨大な数だ。
今回の件に関しては、Microsoftは、「3月にパッチを公開した」ことを、免罪符とするつもりのようだ。あとは、そのパッチをあてなかったユーザーが悪いのだ、と。
しかし、今日の無自主性のユーザーにそれを求めるのは、無理であり無意味である。Microsoftの態度は、ゆえに、不誠実である。
インターネットもパーソナルコンピューターも、現状は、「超初期的原始時代」と言うしかない。ひどすぎる。お粗末すぎる。
次の「超初期的古代」ぐらいにおいては、“インターネットは自分のサーバーから使う”が常識化していてほしい。Facebookのような巨怪な恐竜は、そのとき、完全に絶滅しているだろう
「Linuxの哲学」で、せめて1年ぐらいは食いたかったが、実際には、1か月も食えない程度の収入しか得られなかった。赤子の手をひねるような大規模ネット〜コンピューター犯罪は、今後もますます頻発するだろう。しょうがないね。
個人だけでなく企業ですら、社員のコンピューター利用教育、そのイロハのイを教えていない。という悲惨な現状。
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