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2017年4月 2日 (日)

メディア(媒介機能)の正しい使い方

批判的メディア論も、このブログで何度も何度も繰り返してきたテーマだが、「社会を(それがない状態に比べると)より良い社会として形成維持するための媒介機能(medium, media)」(つまり“糊”)としての、メディアの正しい使い方は、今ますます重要になっているのではないだろうか。

以下のことは、実際の実装に際してはさまざまな工夫や配慮が必要なことは今からでもわかりきっているので、あくまでも「概念呈示」にすぎないものとしてご理解いただきたい。

(例1)幼女殺人死体遺棄事件…関連事物や関連情報(映像、地図など)を、メディア上で開示すべきではないか。その方が、有益な目撃情報等が得られる可能性が高い。

(例2)格差社会と子どもの食事の貧困化…一方では、食べ物の大量の無駄が発生している。所得再分配の重要な一形式として「食べ物再分配」の仕組みを、メディアを文字通り媒介機能として組み立てるべきだ。

メディア世界とその周辺はもちろんのこと、各大学のメディア理論等においても、正しいメディア観を確立普及することが現状の急務のひとつだ。メディアは、毎日毎晩タレント族が占拠すべきスペースではない! NHKさんよ、ドラマやスポーツ番組にばかり大金を投じて事足れり、の姿勢をいいかげんやめてほしい! メディアをメディア(媒介機能)として本当に必要としているのは、どんな人びとなのか、よーく考えてもらいたい。

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コメント

まったくだ。タレントの顔なんざもう、見飽きたわい。どーでもいい。
それよりも、helping handsを必要としてる人の声を届けて欲しい。
そらぞらしい社会でないために。

投稿: n,s | 2017年4月 3日 (月) 03時00分

 所謂「社会」は、ほんとうの社会ではない。
 所謂「メディア」も、ほんとうのメディアではない。

 われわれひとりひとりがきちんとメディアになってはじめて、「メディア」が真のメディアになる。
 「社会」が真の社会になる。

 メディアも社会も、われわれと別にあるわけではない。

 私がメディアであり、われわれが社会なのだ。

投稿: 市川智 | 2017年4月 3日 (月) 14時09分

市川さんにインスパイアされて
メディアたる人とは?

  (尚、最後に出てくる愛は狭義の“愛”
ではありません)


BE MY FRIEND
           by FREE
 
僕が本当に必要としてるのは
困った特に手を貸してくれる友人さ
夜になると心細いんだ
そんな僕を抱きしめて
“どげんしたと” と言ってくれる人が

悩みのおおい こんな僕だけど
認めて安心させてくれる
人が欲しいんだ

ねえねえねえ
友人になっておくれ
ねえねえねえ
友人になってくれないかい
僕は絶対に裏切らないよ

ねえねえねえ
大事な人になっておくれ
最後の最後まで
愛するからさ

投稿: n,s | 2017年4月 5日 (水) 06時41分

岩谷さん、初めまして。宜しくお願い致します。
御説にまったく同感です。このごろのNHKの衆愚ぶりは実にひどい。お笑いタレントの顔を見るために受信料を払っているような気さえします。
このコメントを読んでくださっている方にお知らせしたいのですが、そうした不満をNHKに伝えることが必要なのです。主人の親戚の老女などは(知的で、決してヒステリカルな人ではない)ドラマの会話や音楽などが気になるたびに、NHKの苦情センターだがご意見センターに電話して文句を言うそうです。そういう意見をあちらは結構聞くようですよ。私などはつい一人で悲憤慷慨しがちですが、もっとNHK側に伝えなければ駄目だと思っております。

投稿: かおる | 2017年4月 5日 (水) 13時30分

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