スマホのない空間
さっき7chan(昔の12chan)で、高円寺で一人きりのはしご酒で徹底的に飲むことが癒やしであり息抜きである、というアメリカ人が出ていた。昔はAppleの社員だったが、週の労働時間80〜100時間では自分の時間がまったくない、と言っていた。(日本に住んでるのではなく、はるばるアメリカから高円寺に浸るために来日する人だ。)
私は昔、中央線沿線に住んでたし、高円寺では買い物や飲み食いのほかに仕事もしたから、中央線でベストの場所は高円寺だ、と明言できる。町も人間もわりと自然体なところ、緊張や無理のないところが良い。吉祥寺なんて、最悪である(さつま揚げ屋さんと味噌屋さん以外は)。
その元Apple社員のアメリカ人のはしごぶりを見ていて気がついたのは、どの店のどのカウンターやテーブル席にいても、スマホを取り出す、いじる、光景がゼロのこと。
「今」「ここ」そして「ここの人びと」に、完全に浸るためには、スマホは、「今ここ」に対する失礼に相当する。これまた、他者不在の典型である。今のスマートフォン等は、コミュニケーションのためにあるのではなく、見ていると明らかに、『コミュニケーションから逃げるため』にある。昔のウォークマンがそうであったように。
ダメ人間、バカ人間、コミュニケーション忌避人間を量産している。
Appleを逃げ出したその人の将来はどうなるか。でも、そんな「リセット」が、今実は、全員に必要なのではないか。
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コメント
共感します。老若男女スマホしか見ていない光景。しかも大半はゲームに没頭してる。
投稿: musataro | 2017年4月18日 (火) 06時47分
私も同感です。
みんな何かから必死で逃げてますよね。
何から?
投稿: 南 | 2017年4月18日 (火) 07時17分
府中なんかはどうなんですか。2年近くすんでました、感じとしてはなんか非常に疲れましたが、、
投稿: bad | 2017年4月18日 (火) 09時31分
> 府中なんかはどうなんですか
府中は中央線沿線ではない、と思うが。何に、“非常に疲れた”のかな?
(一般的に京王線沿線は単なる住宅地やね。町としての個性や文化がない。)
投稿: iwatani | 2017年4月18日 (火) 10時15分
そうなのよ!私がいつも感じてたもやもやをI谷さんがはっきりさせてくれたわ!『「今ここ」に対する失礼』なのよ。ありがとうI谷さん。
投稿: 野兎鞠子 | 2017年4月18日 (火) 13時17分
子供時代に思ったんだがマンガ馬鹿もダメね。
投稿: bad | 2017年4月19日 (水) 00時04分
なぜそんな失礼なことができるか?
なぜならそんなことをしたって、全然別に自分に対して都合が悪くないからである。これだけ商品もサービスもふんだんに出回っているから、カネさえあればなんの支障もない。大手を振って自分だけの世界にしたり込める。面倒な他者とのコミュニケーションなんか取らなくても、安全な自閉した空間の中に収まることができる。あ~ららこらら~、てなもんである。
昔はここまでなんでも商品化されてなかったので、いやがおうデモ関わらざるを得なかったが、今日日そんなことはない。カネが自分を保証してくれる。さてさてどうしたもんかいのー。資本主義の行き着く先はたぶんこんなもんではなかろうか。だれもここから逃げられない。パイヤーセイdoyouremenberパイヤー。
投稿: n,s | 2017年4月19日 (水) 03時01分
これまた、便利が行き着く先の砂漠地帯である。楽々の病から脱しないかぎりダメでしょうね。
投稿: n,s | 2017年4月19日 (水) 03時51分
飲み屋でスマ穂とかにひたってる奴ってさ、「ぼっちで飲むのは嫌だけど、人に干渉されるのも嫌」ってことよね?見ててイラつく~(じゃ見なきゃいいじゃん笑)。
投稿: 野兎毬子 | 2017年4月19日 (水) 09時24分
府中、、、何か殺伐とした感じかな。
投稿: bad | 2017年4月19日 (水) 17時47分
何でコミュニケーションが、そんなに嫌なんだ。面倒くさいんだろ!
投稿: bad | 2017年4月19日 (水) 22時22分
iwataniさんの本文にガチに向き合ってみる。うちの数名の同僚の中にもスマホいじり人間がいる。昼の休憩時間とか話しかけないでいると、スマホか何もしないで座ってるだけという感じです。そいつらには今この場の空気を楽しむという気持ちがないんだろう。この場に関心がないというか、気持ちが別の場所に行っちゃってる。この場の空気は放置である。自分にはその能力がないと諦めているのか、ただひたすら無言である。
今の場に対する関心ゼロ。積極的に交わっていく気持ちゼロ。そういう人らには、そのほうがラクなんだろう。空気が凍りついても、ひたすら耐えるかスマホに逃げ込む。否、耐えるという気持ちすらないのか。これまた、王子様病の一種なのではなかろうか。
投稿: n,s | 2017年4月20日 (木) 00時17分
> 面倒くさいんだろ!
今という歴史上の時点で、コミュニケーションについて考えるときの最重要なネガティブ概念のひとつが“共同体”です。
ケータイやスマホは、「今ここ」の現場から逃避して、自分の“村”との接触を維持し続けるための道具なので、彼らにとって重要である。たとえ相手が、ゲームアプリであったとしても、とりあえず、未知なる今ここからの逃避はできる。
いじめ==ほとんどが集団的行為、も、共同体性依存の、最たるもののひとつです。
人間の、「個」への脱皮は、まだ始まってから日が浅い。共同体性の尻尾を引きずっている猿が、今は多数派です。テロも、その多くが仮想の共同体を前提しているでしょう。
投稿: iwatani | 2017年4月20日 (木) 08時35分
同感です。スマホが出てきてから人間が堕落し、ものを考えなくなったような気がします。ゲームやネットなどで快感を得ることで現実逃避する人間がとても増えています。こうした「現実と向き合わない人間」の増加は権力者には好都合なのかな。
逆に言うと、スマホにでも逃避しない限り耐えられないほどのストレス社会なのでしょうか。システムに絡めとられた人間でない限り、生きづらくなるのかな、未来は。
投稿: かおる | 2017年4月23日 (日) 16時17分
今の自分の問題のテーマと一致していて、すこし抵抗する気力がわきました。
ありがとうございます。
コメント欄を見ていても、こういう意見に同意する人は決して少なくはないのでしょう。
でも実生活ではなかなかそうは思えませんね。なぜだろう。
投稿: 長谷川 | 2017年4月23日 (日) 17時22分
関係ないが今日クリニックに行ったが、あまりに調子良くいったもんで、何かあるだろうと思っていたら、駐車場で車室番号を間違えた。
投稿: bad | 2017年4月24日 (月) 13時24分
あんまり聞いてないがワールドロックナウもう終わったんか?
投稿: bad | 2017年4月28日 (金) 23時57分
周りは人の事なんて何も考えてくれんぞ。無いものねだりか?共同体ばっかりで。
投稿: bad | 2017年4月30日 (日) 20時00分
お母さんだが容態がころころ変わり安定せず、本人も大変だがこっちも疲れてきた。
投稿: bad | 2017年5月 2日 (火) 13時07分
貴乃岩もかわいそうに。スマホは最小の動作で、見れるからヤバいのである。そして見出したら簡単にとじ込もれるし、シャットアウトできる最強のツールである。やはり失礼である。
投稿: n,s | 2017年11月16日 (木) 23時27分
スマホは流行の最先端、i padと同様簡単に操作できておもろいやろう。で孤独を忘却できる。
投稿: bad | 2017年11月17日 (金) 05時53分
そういや日馬富士もChris ReaのToo Much Pride(from "God's Great Banana Skin")を聞いておけば良かったのである。そしてそのレビューも。
たまたまだったけど、かなりこの事件に当てはまるのである。残念である。
投稿: n,s | 2017年11月17日 (金) 06時21分
日馬富士問題は、貴乃花親方VS白鵬(モンゴル力士勢)が本質なのだろうか。武田鉄矢の別のコメントに、昔の大相撲は、八百長相撲も「人情相撲」と言って皆が認めていた、というのがあったり。全試合ガチ相撲を取ると、力士の体がもたないとか。
まあまあまあ、どんなゴタゴタだろうと皆、いつか死んでこの世から居なくなるのを認識していれば本質的に、どーでもいいことである。どっちみち自分には関係無くなるのだから。相撲道とか伝統という美学を残したいというのも、単におとこのエゴではなかろうか。
と言っても、文化自体を否定しては、これまた無味無臭な、のっぺら坊の世界になってしまい面白くないか。要は自我や自己というものを、いつかは死んでゆく儚い乗り物として強烈に認めた上で、社会や後世になにを残したら良いかという、あっけらかんとした考え方じゃなかろうか。 (なぁんじゃそれ)
投稿: n,s | 2017年12月 3日 (日) 07時36分
熱心に見てるわけじゃないけど、白鵬の相撲は勝ちに対して貪欲な取り口に見える。むかし子供の頃に見た「横綱相撲」とはえらい違いである。
やはり日本人て、勝負だけだと生々しさやあさましさが露骨に見えてしまうので、勝負の場でも特に礼節を重んじたのではなかろうか。それこそ「日本の美」だと思うんだけど。 相手を尊重する心。
投稿: n,s | 2017年12月 4日 (月) 07時33分
白鵬は日本の伝統的相撲共同体のメンバーではなく、ハングリーなモンゴル出稼ぎ人のひとりにすぎない。相撲の、グローバルなスポーツとしての進化の方向性を、彼は示している。n.sさん、あんたはつねにつねに、他者不在の馬鹿もんやね。他人に日本の古い価値基準を当てはめるなんて、ほんま馬鹿やで。貴乃花は、別の意味で、そういう相撲協会の古い体質を嫌悪している。
投稿: iwatani | 2017年12月 4日 (月) 08時49分
相撲も大仰な話になってるわ。
投稿: bad | 2017年12月 4日 (月) 18時55分
グローバル化が進化すりゃいいってもんでもないやろ。自分も詳しいわけじゃないけど。
残すべきとこ、基本はしっかり残さないと。
相撲がプロレスみたいになったら、つまらない。 グローバル化の悲惨もあるだろうよ。
投稿: n,s | 2017年12月 5日 (火) 08時02分
向こう側の世界は、Winner takes it all.
が当然・常識なのではないか。「敗者から、むちゃくちゃむしり取れ」っていうのが。絶対ヤバイと思う。
日本にはあまりない考えだと思ふ。
投稿: n,s | 2017年12月 8日 (金) 05時27分