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2017年4月30日 (日)

宇宙での他者不在は超弩級に危険

この話も過去に何度も書いたけど、未だに一般世間が相手にしてくれないし、また最近、宇宙ニュース界隈で(まったく無進歩愚鈍状態で)蒸し返されているようなので、書いておこう。

そもそも、地球と呼ばれる惑星上の生物/生命って、ものすご特殊なもんやん。存在するための必要条件が。そして、その必要条件の上での構造や機構(仕組み、はたらき)が。複雑怪奇、という言葉がふさわしい。ウィルスやバクテリアのようなもんですら。

※: 雑談: 今住んでるところの上水道の原水は利根川の水である。上水施設が行う殺菌処理によって、水藻の微細な胞子は死なないらしく、炭素などで水を濾過する浄水器の中ですら、その壁にやがてグリーンが広がってくる。犬の水容器の中の藻なんて、もう何年も生きている。冬にも夏にも耐えて。

なんで、同じような特殊なもんが、よそにもおる、と考えなあかんのか。むしろ、地球上とはまったく違う必要条件〜環境をベースとして生きておる者が宇宙各地に複数種類存在する、と考えた方が、無理がない。

どこそこに水蒸気(〜水)の痕跡が検出されたので生物がいる可能性がある、なんて、典型的な他者不在の見方考え方は、いいかげん、「愚」かつ「恥」と自覚してほしい。

この話と大いに関係するが、「火星を人類の植民地にする」は断じてやめてほしい。火星みたいな近場だって、どんなイキモノがおるか、おらんか、分かりませんで。

それとも今度のテロは、宇宙人の来襲か?!

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2017年4月25日 (火)

オリンピック考

オリンピックという(建前上)グローバルなお祭りは、しばらく、無期停止にしてはどうか?

なんとなくその前提となっているような“世界はひとつ”というコンセプトが、今や、非常に露骨に欺瞞だからだ。

彼ら自身自分が何を信じ何を言っているのか分からないようなテロリズムや、むちゃくちゃひどい女性虐待小児虐待や、むちゃくちゃひどい貧困や飢餓などが、もうちょい、ゆるやかな、おだやかな状態にまで治癒するまで、停止した方がよい。

そして、今あえて敢行するオリンピックのような欺瞞に向けてではなく、上記のような目標に向けてグローバルに努力していく。オリンピックに向けてではなく、そっちに多くの人の意思が向かうようなグローバルコンセンサスを広げ、浸透させていく。

そして、もう欺瞞ではないだろう、と言える世界状態になったら、再開するのはどうか?

それをやんないと、ますますオリンピック自身が、それら負の世界状態に侵食されていく危険性を感じてしまう。

そんな、オリンピックの白々しさは、すでにリオあたりからあったのではないか。確実に、顕在的に。

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2017年4月23日 (日)

AIが人の仕事を奪う、という妄言

この文では、コンピューターという言葉を、実際に仕事ができるコンピューター、すなわち微小なトランジスタの集合などでできたハードウェア、とそれを動かすプログラム、別名ソフトウェアが一体になったもの、という意味で使う。

そしてAIないし人工知能という言葉がこのところやけに独り歩きしているけど、そんなに特別扱いする必要はない。AIも、上記の意味でのコンピューターにすぎない。

で、コンピューターは機械である。機械が人間の仕事を奪うことは、相当昔からあり、だからAIという種類であろうがなかろうが、コンピューターが人の仕事を奪うのは当然である。

認識すべき重要なことは、機械が普及すると人間の新しい仕事が生まれることだ。単純で分かりやすい例としては、内燃機関を動力源とする移動機械(自動車)が普及したことによって駕籠かきや駅馬車便は職を失ったが、自動車の運転手という仕事が生まれた。また自動車によってローカルな物流が発達し、小売業がローカルに充実し、そこに膨大な数の第三次産業の仕事が生まれた。今アメリカでは、男子の最多職業はトラックのドライバー、女子は(さまざまな形の)売り子、という州が多い。田舎に物を売りに来る、曳き売りや担ぎ屋の人たちは、仕事を失った。

コンピューターの普及は、現状はまだ飽和状態にほど遠い。コンピューターは今後もっともっと、社会と生活のあらゆる部分に浸透していく。

そうなると、コンピューターの開発生産からエンドユーザーによる利用にいたるまでの、さまざまな場所で、ものすごく大量の仕事が生ずる。人間にしかできない仕事が。ここでも分かりやすい単純な例を一つだけ上げると、AI、人工知能と呼ばれるコンピューターは、開発が人間の仕事であるだけでなく、それがまともな仕事ができるようにするための“教育訓練”も、単純なもの以外は人間の仕事だ。とにかく、コンピューターの周辺には膨大な数の、人間の仕事が、どうしても必要なものとして生まれてくる。

AIは人間の仕事を奪う。そして同時に、人間の新しい仕事へのニーズをおびただしく作り出す。AIは、という言葉を消して、機械は、に置き換えれば、それは普遍的な歴史的事実だから、大騒ぎする理由はどこにもない。

トランプのように、地球温暖化説を捏造と称して、石炭産業を再興しようとする方向性は、自動車の普及期に飛脚産業や駕籠屋産業を再興しようとする動きに等しい。たとえばこの私は長距離移動をしなくなって長い。コンピューターがあればアフリカ奥地にいても仕事ができるからだ。石炭を燃やす必要性が、そのぶん減っていく。

ちなみに私個人を例にとれば、コンピューターは、ドキュメンテーションがとっても重要である。本当に役に立つドキュメンテーションは、人間にしか書けない。


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2017年4月17日 (月)

スマホのない空間

さっき7chan(昔の12chan)で、高円寺で一人きりのはしご酒で徹底的に飲むことが癒やしであり息抜きである、というアメリカ人が出ていた。昔はAppleの社員だったが、週の労働時間80〜100時間では自分の時間がまったくない、と言っていた。(日本に住んでるのではなく、はるばるアメリカから高円寺に浸るために来日する人だ。)

私は昔、中央線沿線に住んでたし、高円寺では買い物や飲み食いのほかに仕事もしたから、中央線でベストの場所は高円寺だ、と明言できる。町も人間もわりと自然体なところ、緊張や無理のないところが良い。吉祥寺なんて、最悪である(さつま揚げ屋さんと味噌屋さん以外は)。

その元Apple社員のアメリカ人のはしごぶりを見ていて気がついたのは、どの店のどのカウンターやテーブル席にいても、スマホを取り出す、いじる、光景がゼロのこと。

「今」「ここ」そして「ここの人びと」に、完全に浸るためには、スマホは、「今ここ」に対する失礼に相当する。これまた、他者不在の典型である。今のスマートフォン等は、コミュニケーションのためにあるのではなく、見ていると明らかに、『コミュニケーションから逃げるため』にある。昔のウォークマンがそうであったように。

ダメ人間、バカ人間、コミュニケーション忌避人間を量産している。

Appleを逃げ出したその人の将来はどうなるか。でも、そんな「リセット」が、今実は、全員に必要なのではないか。

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2017年4月 9日 (日)

いじめで自殺しないために

未来のコミュニケーション理論/コミュニケーション学のラフスケッチをやっているこのブログ(と前身のエッセイ集)で、もっとも重要な概念のひとつが「他者不在」だ。

他者不在とは、心が(脳が)、他者を他者として存在せしめていない、ということ。他者を、自分という毛布の中へくるんじゃっていること。そこから、いじめ自殺もそうだけど、ありとあらゆるコミュニケーション不能の悲惨が生ずる。

他者を他者として存在せしめるとは、他者をはっきり、くっきり、discreteに、自分と完全に切り離して、自空間でなく別空間に置くことだ。

いじめをする他者を、ちゃんと他者たらしめるとは、そいつを、「なに?この人?」といった、醒めた目、けげんな目、冷たい目で見ること。そうやって他者を自空間に置かず別空間に置けば、こっちの心も脳もいじめに対して反応しなくなる。ちょっと、蠅のようにうるさいだけだ。うるさいから、その場を去ればよい。あんまりうるさければ、究極の「去る」として登校拒否をすればよい(親や教師にちゃんと説明してから)。登校拒否には、親といえども、他人がとやかく言う権利はない。本人の自己防衛策だから。

自分にとって有益な他人(楽しい、おもしろい、ためになる、趣味が合う、やさしい、等々)だけと、つきあえばよい。あとは、無視、無反応が、心の健康の鍵であり、自殺へのドアのシャットダウンだ。そうやって閉じてしまえば、二度と開かない。

いわゆる人付き合いのヘタな人なら、自分のやりたいことに毎日没頭すればよい。そうすれば、それを通じて、いずれ、本当の友だちができたりする。

他者不在の逆の、他者が他者として存在するとは、他者を他者として“つっぱねる”ことである。いじめっ子のそいつが何を言おうと、完全に不感症、そして、無関心になることだ。完全に他人視、他者視する。そして、関心を持つ価値のあることだけに、関心を持とう!

いじめには、あなたが関心を持つべき価値がゼロである。だからさっさと無視、去る、逃げるが勝ち。

いじめをやる連中を、完全な他者として、別空間へつっぱねておこう。自殺しない、健康者であるために。

反応しておもしろいことだけに、反応しよう。くだらんことに、いちいち反応する、「心の無駄遣い」をやめましょう。

無価値なものへの反応は、泥沼の道だ。足を取られてしまって、人生を前進できなくなる。自殺へのドアが、あなたを招く。

自分にとって本当に価値のあるものにのみ、反応しよう。

そして、

他者は、別空間に置く。

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badさんも、えーかげんにして、もっとしゃんとしなさいよ! 

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2017年4月 3日 (月)

自然は人間の、むしのいい期待を、受け入れてはくれない

このたびの高校生雪崩事故と、先年の大地震大津波原発事故に共通しているルーツは、自然という強力巨大な他者を他者としてリスペクトせず、“自然をあまく見る”であります。

“自然をあまく見る”が強行されてしまう理由は、“欲強迫”であり、その欲の大きな割合が貨幣欲である。自己保全欲、というのもある。

なんで、「絶対的に自然の方を立てる」という方向へ自然に心が流れないかというと、欲への社会強迫が強いからだ。そこで、自然が地雷原になってしまう。

鉄則は、自然は人間の無理を聞き入れてはくれないから、絶対に無理をしない、であります。この鉄則を忘れてはいけないし、忘れたふりをしてもいけない。

無理をしない、が自然な生き方になるためには、人類が新しい常識を、ぜひとも持つ必要がある。

欲は、他者不在の厚い壁を作り、コミュニケーション不能を定着させる。そして他者を、本当はそうせずにすんだはずなのに、強大な凶器にしてしまう。

「欲の方を優先しない」という、教育のベースが絶対必要やね。平和と優しさの教育や、それは。


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2017年4月 2日 (日)

メディア(媒介機能)の正しい使い方

批判的メディア論も、このブログで何度も何度も繰り返してきたテーマだが、「社会を(それがない状態に比べると)より良い社会として形成維持するための媒介機能(medium, media)」(つまり“糊”)としての、メディアの正しい使い方は、今ますます重要になっているのではないだろうか。

以下のことは、実際の実装に際してはさまざまな工夫や配慮が必要なことは今からでもわかりきっているので、あくまでも「概念呈示」にすぎないものとしてご理解いただきたい。

(例1)幼女殺人死体遺棄事件…関連事物や関連情報(映像、地図など)を、メディア上で開示すべきではないか。その方が、有益な目撃情報等が得られる可能性が高い。

(例2)格差社会と子どもの食事の貧困化…一方では、食べ物の大量の無駄が発生している。所得再分配の重要な一形式として「食べ物再分配」の仕組みを、メディアを文字通り媒介機能として組み立てるべきだ。

メディア世界とその周辺はもちろんのこと、各大学のメディア理論等においても、正しいメディア観を確立普及することが現状の急務のひとつだ。メディアは、毎日毎晩タレント族が占拠すべきスペースではない! NHKさんよ、ドラマやスポーツ番組にばかり大金を投じて事足れり、の姿勢をいいかげんやめてほしい! メディアをメディア(媒介機能)として本当に必要としているのは、どんな人びとなのか、よーく考えてもらいたい。

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