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2017年3月27日 (月)

「他者不在」をどうやって理解させるか

旧人類(==現人類)の本質的な特性である他者不在(==コミュニケーション不能)を、多くの人に理解・自覚させるための効果的なやり方はあるだろうか?

たとえば、宗教は神(絶対者、超越者)をきっちりと、きりっと、他者化しない、神に対するたいへんな失礼であることを、xxx教の熱心な信者にどうやって分かっていただくか。難しい。

他者不在において他者はきっちり・きりっと、discreteに他者として措定されず、自己の視野中の自由可処分財(材)でしかない。処分のメニューの中に、殺害や虐待がある者も、多くはないが珍しくはない。

とくにオトコでは、性的オブジェクト化、という処分メニューもある。自分より弱い者(幼女など)は、処分作業がやりやすい(殺害処分を多くの場合伴う)。そういう、ものすごくひどい犯罪事件も、残念ながら、よくある。人間が日々を生きていく環境として、あまりにひどすぎる。

他者を、かきっと、他者として見る。リスペクトする。そういう心的態度を教えるのは非常に難しい。不可能、な人も少なくないだろう。

また一方では、ひどい(ときには長期間)他者不在扱いされたことに対する、会話的反応ではなく暴力的な反応も、今日まで連綿とよくある。会話が通じない、会話を受け入れない相手だからしょうがない、という絶望的な状況もよくある。

コミュニケーションのための理論は、その普及、教育がいちばん難しい。
幼女たちを危険にさらさないためには、いちばんの急務でもある。
しかし、名案はまだない。


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2017年3月24日 (金)

アホな国会喚問

したたかなるプロの詐欺師に、機会をタダで与えただけ。
詐欺は、ひっかかるやつが大勢いるから(==市場が存在するから)成立存続する。
児童生徒の父兄たちから、ついに国の立法府にまで。
野党が、何のために、喚問劇をやっているのか、それが、よく分からない。

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人類の新しい常識(4) 非対話的な言語表現を禁ずる

今は、対話性を欠くインターネット利用が圧倒的に多い。豚に真珠、猫に小判、という。今の人類の多くは、豚だ(ただし食べられない!)。

分かりやすい(?)例としては、「小説」という言表形式は、著者読者双方において、言葉というものの犯罪的な使用形態である。

でも、過去何万年何十万年も、コミュニケーションに依らずして、そのためにたいへん粗悪な、社会が成り立っていたのだから、コミュニケーションという問題意識を万人が持つこと自体、大きな難関である。

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2017年3月21日 (火)

人類の新しい常識(3) 植民地主義の巨大な残滓のポジティブな解決

これ(数百年にわたる西欧の犯罪の贖罪)を、誠実に、大規模に、深く展開しないと、たとえば、“いわゆるテロリスト”は、増加とグローバルな拡散の一途をたどるだろう。ヨーロッパ植民地主義が、数百年かけて、彼らの社会をめちゃくちゃにしたことを、もっと深く自覚すべき。

Jimmy Cliffの最有名曲Many Rivers To Cross※からは、いわゆる“移民”の人たちの気持ちがよく伝わってくる。植民地を搾取し、それにより資本を蓄積した人たちが、彼らの故国に大々的な還元をしないかぎり、彼らは、西欧に押し寄せる移民になるしか、生きる方途がない。EU離脱に投じたイギリス人をはじめ、今の広義の「右勢力」は、全員狭量エゴイストな馬鹿であるだけでなく、自らの未来の敵を増幅し、招いている、大馬鹿である。

※: 歌詞の最後に、おそろしい1行がある。

トランプも、増やしているのは健全で持続可能な雇用ではなく、明日以降の、アメリカを敵視する人びと、すなわちアメリカの敵だ。「オトコのバカ」の典型。

メキシコからの移民を入れたくないなら、本格的に、メキシコの社会開発産業開発にテコ入れしろ!!!
トヨタがメキシコに工場作っても、文句を言うな!!!


Many rivers to cross
But I can't seem to find my way over
Wandering I am lost
As I travel along the white cliffs of Dover

Many rivers to cross
And it's only my will that keeps me alive
I've been licked, washed up for years
And I merely survive because of my pride

And this loneliness won't leave me alone
It's such a drag to be on your own
My woman left me and she didn't say why
Well I guess, I have to try

Many rivers to cross
But just where to begin, I'm playing for time
There are times I find myself
Thinking of committing some dreadful crime

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人類の新しい常識(2) 地球社会が公正強力な司法を持つこと

自国内で起きた殺人事件の、重要参考人と思われる人物(複数)を、早々に解放(==本国帰国?)したマレーシア政府の態度を見て、私は唖然とした。

これでは、この種の犯罪は、やりたい放題ではないか。

もちろん、来たるべき強力公正な世界司法は、外交官特権などによってoverrideできないものとする。

だいたいそもそも、外国(この場合日本)に近い公海上にばかすかミサイルを落とすのも、未来の世界司法から見て、罰せられるべき犯罪である。常識的に言って。

グローバル犯罪の具体例は山ほどあるが、今日は極少の挙例にとどめておこう。

世界司法は、原則として、各国司法をoverrideするものではなく、それらとパートナーするものである。一部には、調整が必要だろうが。

当事者間の話し合いで解決しない領土問題や貿易問題などは、これまでのように戦争に訴えずに、国際司法に従って解決されるべきである。


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2017年3月20日 (月)

人類の新しい常識(1) 社会の全員が有賃労働をしなくてもよい

とにかく、政治の力などが、まともな賃金の有賃労働、いわゆる雇用を作り出す能力には現実的な限界がある。そのときの社会が必要としている有賃労働の量は、一定だ。

何度も何度も書いてきたけど、有賃労働をしていて収入がある==善、それがない==悪(負い目(stigma)がある)、という現在の人類の常識を、完全に消し去る必要がある。

たまたま有賃労働を持つ人と、たまたま持たない人は、あらゆる点で互角であるべきである。

有賃労働をたまたま持たない人も、平気でふつうに暮らせるべきである。

良質な家族の中のように…。

多くの人が年末に歌う歌の歌詞のように、すべての人類が兄弟なら、人類社会をひとつの家族と見るのに無理はない。そんなナショナル政治とグローバル政治を、目指そう。そうすれば、人類は進化の次の段階へ向かえる。

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衆愚の真犯人という平凡な結論

3/19までのニュースを総合してはっきり分かることは:

(1)石原慎太郎という人は自治体の行政長官という仕事ができるタイプの人ではない。完全な不適格者である。
(2)浜渦という人は、土地の取得交渉を任されただけで、上位的意思決定の責任は皆無の人である。

で、最終結論として行き着くのは、不適格者に投票した当時の都民の責任だ。

そもそも、タクシーの運転手も、航空機のパイロットも、コンピューターシステムの管理者も、等々々々、すべて不適格者は試験や審査で落とされるのに、トップ行政職にそのふるい落としのメカニズムがないのがおかしい。だから、誰でも立候補でき、誰にでも投票できるし、衆愚主義で票(無根拠な人気票)を集める。

シリアみたいに憲法で「国のトップは世襲」となっているのは、さらに危険だけれどね。

「衆」に、大反省する機会がないと、ナチスや旧日本軍部のようなひでぇ権力は今後も生まれるよ。

衆愚の克服、これにはまだ、名案がない。

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2017年3月19日 (日)

犬や猫が噛むこと

先日、赤ちゃんが犬(ゴールデンレトリバー)に噛まれて死亡する事故があった。今さら何を書いても遅いが、今後のための一般論として書いてみよう。

捨て犬や捨て猫を保護するようになって、今年で25年目を迎えるが、これまで犬や猫に噛まれたことは数えきれないほどある。5針縫った傷が最大だから、たいしたことないと言えばたいしたことない。でも猫の口の中はバイキンだらけで、一本の牙がささっただけでも必ず化膿し、全治までに病院通い10日ぐらいは必須だ。

なぜ彼らは噛むのかというと:

(1)加害錯覚
ちょっと手などを近づけただけで、それを、反射神経的に攻撃加害と解釈し、‘加害者’撃退のために噛むことがある。猫同士喧嘩しているときは興奮しているので、人間は手を出さない方が良い、噛まれたくなければ。上記の赤ちゃんのケースでは、私の勝手な想像にすぎないが、這い這いしながら手を前へ出し、犬の顔近くに自分の手を近づけたのではないか。そうでなくても、赤ちゃんと犬が一緒にいて、大人が至近にいないのは、絶対にまずい。

(2)あま噛み(甘え噛み)
猫に多いが、人間への愛情表現とした、負傷しない程度に噛むことはよくある。また、前足を前に伸ばして人間にじゃれつくとき、爪を収納しない猫がいる。どちらも、たまたま加える力の‘程度’の判断を猫が誤って、実際に怪我をしてしまうことが、ごくまれにある。可能性はきわめて低いが、その犬は人間の大人に対するときの力で、その赤ちゃんをあま噛みしたのかもしれない。

(3)生活史不良
前の飼い主の連日の常習的虐待で、凶暴化してしまった犬にまれに出会う。こっちは犬の教育訓練の高度なスキルや知識を持っていないので、残念ながらお世話できない。猫にも、良くない過去の生活史に由来すると思われる暴力はある。たとえば元野良のコーちゃんは、食べ物やミルクなどをあげるとそれはもちろん歓迎されるが、食べ物飲み物を猫の前へ置いた直後の瞬間から、その手(人間の手)は彼にとって、自分のものを奪いにきた者、と判断される。そこで、噛みつく。私は瞬時に手を引っ込めるので、負傷するまで噛まれたことはない。


(以下、20170402追記)
(4)赤ちゃんへの嫉妬
n, sさんのコメントにある「赤ちゃんへの嫉妬」を挙げておこう。新家族である赤ちゃんがちやほやされ、自分の格が下がることへの不満があるらしい。運が良いのか悪いのか、私の過去の経験や見聞の中に、それで赤ちゃんが犬に噛まれた、という話はない。しかしこんな記事もあり、「犬 赤ちゃん 嫉妬」でググるともっといろいろ出てくる。ここでも肝心なのは、親が注視を怠らないことだろう。


でも、まあ、自分の口や手に強力な牙があることと、食肉の準備を専門家(と畜場)に任せっきりであることと、どっちがいいとも言えない。


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2017年3月14日 (火)

Quora続

これも、おもしろい。質問者は誰あろう、私(岩谷)なのだ。

この“おもしろい"の意味は、サイコロ以上に多面的だ。

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2017年3月13日 (月)

未来のインターネットの形

単純に考えてみよう。

私が(あるいあなたが)知人のAさんに電子メールを送りたい、とする。
なんで、私のコンピューターから直接Aさんのコンピューターに直接送らずに、どこかのメールサーバーへ送るのか? なんで、そんな要らんことをせんとあかんのか?

今日の、巨大サーバーがのさばるインターネットの現状は、地球の歴史にたとえると、地質時代というか古生代というか、巨大恐竜がのさばっていた時代である。小さな、多くの、知的動物がいない。それらの、多様な活躍がない。それらの間の、多様な関係性がない。

現代の多くの人間を腑抜けのアホにしている元凶のひとつは、自分に依存せず恐竜に依存しているネットワークの使い方にある。

ネットワークの地質時代、古生代を終わらせないと、コミュニケーションをベースとする人類の未来は始まらない。


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被害者ぶることばかり得意な日本衆愚

●この世のものとは思われぬ醜

ひまなときQuoraを読むことがある。今日はこんなの(あえて訳さない):

What do non Chinese / Japanese people think of the Nanjing Massacre ?

Scarlett Mitchell, Hoarder of knowledge, graphic IT student, latte slinger
Written Dec 23

I am an American. I have never been to Asia.

I have no bias to either country, other than a love of both cultures. Or I didn’t, until I learned about this.

The massacre, aptly named “The Rape of Nanjing” has been called a genocide because it was a slaughter of civilians without any reason–The city had already been captured.

And not many, but still too many, Japanese people are literally denying any such “conflict”. Everyone else just calls it an exaggeration or demands “proof”. Some of the Japanese do acknowledge it.

You know how, in the Western world, Holocaust deniers cause disgust in the regular population? This is like if the entire country of Germany continued to deny the Holocaust, or called it an exaggeration.

But like, there are also photographs of young corpses with bayonets sticking out of vaginas littered across the city. Women and little girls were systematically raped, household by household, and then murdered. Children's genitals were sliced open to make rape easier for the Japanese soldiers. A pregnant woman was resisting rape, so she was disemboweled, fetus removed, then raped after death. This is all eyewitness accounts by locals and foreigners, film, photographic, primary source evidence.

And of course the 100 heads contest, which turned into decapitating 150 Chinese civilians.

Who cares if it was 300,000 people or fewer?

The Nanjing Massacre is by far the most fucked up thing Japan has ever done, and they literally have memorialized some of the criminals responsible.

Japan needs to apologize. I read the Wikipedia article, saw some of these pictures, and I want to call into work in the morning. So I can throw up. And cry.

It was like Genocide for Fun.

ついでに、Wikipediaも読むべきだ。

口直しに:
●この世のものとは思えぬ美

Maria Tipo: Scarlatti Sonata in G major

Maria Tipo - Clementi Piano Sonata in F# minor


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2017年3月 6日 (月)

Google検索に質問をする馬鹿

この記事には、Googleの検索で質問を入力すると、とんでもないウソが結果の上位に出る、ということを、報告している。

しかし、かなり長い記事でありながら、かんじんの指摘が欠落している。

それは、「コンピューターによる検索に質問を検索キーとして入力してはいけない」、という、コンピューター使いの常識だ。

その常識がないから、多くのアホたちが、「アメリカの大統領にKKKのメンバーはいたか?」とか「女性は悪か?」などなど、“質問”を検索キーとして入力する。

コンピューターによる検索に質問を入力することは、トランプをアメリカ大統領に投票することと似ている。視野狭窄なエゴイスティックな目先の欲に駆られた間違いだ。

仮に質問を検索キーとして与えたとしよう。しかしGoogle検索は、それを「質問」であるとは理解しない。「いくつかの文字列〜言葉の集まり」としか認識しない。コンピューターがやること、できることは、文字列の比較である。それのみである。

もちろん今日の実際の検索アルゴリズムは、さまざまな工夫を盛り込んでいるから、たとえば、いくつかの“関連語”でも検索する。だから「女は悪か?」という文字列中の「悪」の関連語として「娼婦」が用意されていれば、“どの女にもある程度の娼婦性がある”、というテキストがトップに出てきたりする※。

※: この記事で、Google検索が正しい答えを取り出した“質問”の例として挙げられているのは、「予防接種をすると自閉症になるか?」や「ジェット燃料は鋼材を溶解するか?」などだが、これらももちろん、Google検索が質問に答えたのではなくて、たとえば最初の例なら、予防接種と自閉症の二語で通常どおりの語彙検索をしたのみである。
…だからつまり、「ダレソレ大統領はKKKのメンバーだったか?」という“質問”と、単なる「大統領 KKK」というキーワード検索は、たぶん同じ検索結果になるはずだ。

車の免許に構造・法規の勉強が必要なように、みんな、コンピューターの基礎を勉強しなけりゃコンピューターを使うべからず、という厳しい法律が必要だね。Google検索に質問をする、というアホがいなくなるためには。

Appleの製品なら、不勉強の人でも十分使えるかも知れないが、それと同じ根性でGoogle(などなど)に接するのは、完全な間違い。コンピューターを根底から勉強しなくちゃ、だめ!!

AI、人工知能がもてはやされている今ですら、コンピューターにできることは、比較のみである。猫の画像をいっぱい憶えさせられたから、写真の中の猫を見事に当てられる、というだけのこと。ややこしい論理ストーリーを大量に憶えさせられたから、囲碁で人間の世界チャンピオンにも勝てるのだ。

今日は本当は、「就活は日本をダメにする」という文を書こうと思っていたのだけれど、でも、“コンピューターは質問に答えられる”という大誤解は、“既存大企業(or大役所)の正社員(正職員)になれば一生安泰である”という大誤解と同質かもしれない。視野狭窄の目先の欲、その根性が、日本を滅ぼす。

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2017年3月 4日 (土)

古墳というより戦艦大和

前回のちょっとした続きだけれど、安全性と利便性が確証されていない新市場は、戦争技術の進展を完全に見誤っていた当時のオトコ指導者たちの“巨艦主義”を連想させる。

危険な土壌の上で毎日仕事をさせられる人びとはさしずめ、特攻機の操縦士たちに相当するか。

古い話だけれど、粗暴なオトコたちがテクノロジーの進展を完全に見誤っている点では、同じである。

これからのインターネットとコミュニケーションの時代には、広義の市場力は、それぞれの地方が持てることになるし、そうなるとますます、あの巨大な建物が、撃沈直前の戦艦大和に見えてくる。

個人的には、東京オリンピックは、戦艦武蔵に見えてくるんだけど…。

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2017年3月 3日 (金)

例によってオトコの光景

別に私は、小池都知事の味方をしなければならない義理も人情もないけれども、市場移転問題が現在、昏迷と迷走の渦中にどっぷりとあるのは、むしろ、現都知事になってからの大きな功績でしょうが。

それを、久々に穴蔵から出てきた浅薄男根小説家(元都知事)は、豊洲移転をさっさとやれ、しか言わない。問題の根因(==自分自身!!)を、未だに気づく能力もなく。

しかし、なんであんな乱暴オトコが、都知事になんかなってしまったのか。痛恨したって、遅い。

とにかく、途中でおかしな妥協をすることなく、すっきりとした自他ともに文句のない納得に達するまで、無限に昏迷したって迷走したってかまいませんよ。市場機能なんて、適切に徐々に分散化していったって、かまわないのだから。しかも流通マーケティング技術の進歩で、巨大な集中的centralizeな物理市場はだんだん要らなくなる。物流は、原産地→エンドポイント直行が、どんどん増えるんだからね。

centralizeな巨大物理市場は、もう、ある意味、古墳だよ。

無限に迷走してオトコの毒を洗い流すべし。

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