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2017年1月 9日 (月)

いい加減やめろよ欺瞞的疎外的コンピューター観

うちでは新聞紙が重要不可欠な「資材」のひとつなので、同じ住宅地内のUさんやOさんにいただくだけじゃ申し訳ないので、一紙とっている。記事はほとんど読まないけれど、一面の大きな見出しは目に飛び込んでくる。その馬鹿新聞の新年早々の馬鹿見出しに、「AIでヒトは進化するか」とか、「人工知能を愛せますか?」、などとある。

昔から一般社会に蔓延しているこの種のコンピューター観の共通点は、コンピューターと、そいつに読ませる、その動作を定義する文書であるプログラム(ソフトウェア)を、人間の現実世界の外の外界(げかい)へと疎外していることだ。

このようなコンピューター観では、ソフトウェアはどっかの未知の非人間的集団が作って、人間社会に送り込んでくるもの、すなわち“よそ者”だ。

コンピューターとそのソフトウェアは人間が作るものであり、その人間が「だれでもありうる」という視点がここには欠けている。コンピューターとソフトウェアは、自分も作る(かもしれない)ものだ、という内在性が欠け、それらは完全に、ディスクリートに、疎外されている。山深いイナカのジーサンバーサンのコンピューター観のように。

彼らの観点では、AIも人工知能も、単に、どっかよく知らないところから押し寄せてくるものだ。自分が作るもの、自分も作るもの、という正しい見方が欠けている。ソフトウェアは、人間なら誰もが書ける文書の一種にすぎない。コンピューターやソフトウェアを、人間自身のイシューとして、そろそろ扱え!!、バカオトコたちよ。

こうして、馬鹿新聞に代表されるメジャーな(間違った)視点のおかげで、多くの人間がいまだに、コンピューターやソフトウェアに関して主体的な認識、主人公としての認識を持っていない。自分のものである、と認識していない。かつて日本人の識字率は世界最高と言われたが、コンピューターに関するイリテラシー(非識字状態)は、あまりに長く放置され、しかも2017年の冒頭においてもそれが大部数マスコミの馬鹿見出しによって甘やかされている。

私は馬鹿メディアも嫌いだけれど、Appleのような人間を単なる消費者扱いしてしまう企業や製品も、同じ理由で大嫌いなのだ。ついでながら、単なる惰性的スター屋稼業へと墜してしまったD**** B****氏も、クソ以上に嫌いだ。

私は主にアメリカの、ソフトウェアやプログラミングをめぐるドキュメンテーションやコミュニケーションの、独特のフレンドリーさを新鮮に感じ、過去ほぼ30年間、その方面の本の執筆や翻訳で生計を支えてきた。

それらが平均5000部売れれば、生計は成り立ったと思うが、実際には2000〜3000部である。まず、年金を払えないから今および未来の私は無年金者である。最晩年は、ホームレスとして飢え死にする可能性が高い。国民健康保険も払えなくて、保険証をもらえなかった時期もある。住宅ローンも、そのために、してはならないタイプの借金をしたこともある。(住宅ローンは後日、日本で「おれおれ詐欺」が一大産業として安定確立している原因の一端によって、幸運にも完済できた。)

要するに、プログラミングは人間なら誰でもするもの、できるもの、おもしろいし達成感もあるもの、という、コンピューターに対する正しい主体的認識が、コンピューターイリテラシーの逆のコンピューターリテラシーとして普及していれば、平均5000部は楽勝だっただろう。プログラミングは誰もがやるもの、になっていただろうから。

コンピューターのプログラム、ソフトウェアを、外界(げかい)へと疎外した馬鹿見出しが、早くも年頭から、紙面に踊る馬鹿な光景は、ありえなかっただろう。

複雑巨大なプログラムであるAIも、私たちと同じ人間が書いたものであり、当然、バグもある。

ときどき利口でときどきアホな人工知能と、小学生が書く単純なプログラムコード:

if (夕方の西の空==明るいオレンジ色){  print("明日は晴れ"); }

は、完全に同じものである。プログラムのサイズ以外は。

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追記:
馬鹿記事馬鹿見出しを長年連発しつづけるマスメディア側の基本動機は、大衆を、消費者を、永遠に、無知・受け身に維持することである。

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コメント

そうしないと売れないので敵をつくりたいのでしょう。

不安はカネになる。

投稿: 南 | 2017年1月10日 (火) 08時38分

で不安につけこんで新興宗教なんか、稼ぎ時だ。

投稿: bad | 2017年1月10日 (火) 22時41分

「AIがヒトになったらどうするか」という問題の立てかたがおかしいのです。
なぜならAIははじめからヒトだからです。
「ヒトがヒトを消費する」ことを前提にするから、ヒトはヒトに対して文盲であり続ける。あり続けられてしまう。
 でも、考えればわかる。
 ヒトはヒトを消費できない。

投稿: 市川智 | 2017年1月10日 (火) 23時53分

@南
>不安はカネになる。

おもしろい。名越さんの話で聞いたんだけど、不安と怒りは同質のものらしいですね。たぶんどちらも、自分を脅かすモノに対しての反応であって、表裏一体の関係ではないでしょうか。不安によってイライラしたり、焦ったりというのはよくあることです。    で、どうかというと、結局カネなんざ碌でもないんじゃないかということ。怒りを解消するための道具を、みんな必死になって取りあっている社会なんて、これまた碌でもない社会じゃないだろうか。
カネを追い求めるほど人は馬鹿になるのである。

で、不安を煽るということは、怒りも煽るということである。だからこんなギスギスした社会になるのではないでしょうかね。だけど闘争本能という本能には勝てないのでしょうかね。(カネも闘争本能による産物じゃないかいね)

投稿: n,s | 2017年1月11日 (水) 07時02分

プログラミングに対して思うに、多くの人はどうアプローチしていいのか分からんのではないか?

投稿: bad | 2017年1月19日 (木) 10時23分

クソも面白くない一日だが、こーゆー事が続くと事件かなんかになるんかな、、

投稿: bad | 2017年1月20日 (金) 15時12分

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