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2017年1月23日 (月)

江戸城無血開城

明治維新の最終期、江戸の町、そして江戸城が、官軍の総攻撃を受けることなく、最後の征夷大将軍徳川慶喜が死刑に遭うこともなく、城は単純に明け渡し、慶喜は故郷の水戸に引っ越す、という完全平和な事件を「江戸城無血開城」という。

それは多数の複雑な状況を含み、また江戸城引き渡し後もしばらく各地で戦闘があった明治維新において、ほんの一瞬のワンシーンにすぎないけど、このブログの、コミュニケーション学というテーマからは関心をそそる。

平和な権力移行がそこで成功した最大の理由は、両方の代表交渉者がともに優秀で立派な人物だったこと、かねてから互いに、相手を尊敬していたこと。両者間に、若干の交友関係もあったこと。そして、両者に、戦争ではなく条件交渉で決着をつける、という意思があったこと。

どうなのか。前世紀前半の日と米(ほか)の上級政治家間に、そのような「人格的関係」はあっただろうか。今の、日本と中国(など)はどうか。今後は、どうか。

江戸城無血開城は、しっかりした、人間的コミュニケーションがあれば戦争が起きないことの、典型的な証明例だ。

防衛とは、強力な軍備を持つことではない。防衛とは、戦争になりそうな敵が存在しないことである。味方を増やす、努力である。もちろん、それは、安易な努力では実現しない。たまたま運良く実現する個人プレーでもだめだ。

この歴史上の事件をよく知らない方は、まずWikipediaの記事でも読んでみよう。


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コメント

「アメリカファースト」に対抗して「ジャパンファースト」で行け、というおそろしいコメンテーターがいた。ソーリのお友だちの金ナントカという台湾のバーサンである。
「リーダーは国益を最優先させろ」と言ってたが、バカ丸出しである。ソーリーのまわりは、こんなんばっかしなんだろうか。おそろしかー。

投稿: n,s | 2017年1月24日 (火) 03時28分

負ける技術

負け方の美

俯瞰できる視野の広さと諦念

「社会ファースト」の精神

投稿: 南 | 2017年1月24日 (火) 08時25分

「死生ファースト」の精神。
死があるから生へのいさぎよさを知り、
生を磨くことによって死後が輝くのではないか。    ってか。

だけどやっぱり、たくさんの子供が経済を動かす原動力だよなー。ていうか格差を縮めてもらわねば、モノが売れん。なんだ、「企業収益過去最高」なんて見出しは。ふざけんな。大昔の漫画「餓鬼」(ちばてつや)じゃないが、大量に眠って動かない大金なんて害毒そのものじゃ。  えいかげんにせいや。

投稿: n,s | 2017年1月27日 (金) 00時36分

前にこの社会は「全員で生きることが前提として組み込まれていない」と書いた。なんたってカネをゲットしなければ生きていけないんだから。てなことで興味深いのは欧州で議論されてるらしい「ベイシックインカム」のおはなし。国が全国民に最低限の生活が送れるようにカネを支給するというのだと思う。
そしてそれに満足できなければ、働いて追加のカネをゲットして、いい暮らしをしなさいと言う仕組みだと思われる。日本にそれを当てはめるのは財政面から不可能そうだけど、考え方自体は正しいんじゃないやろうか。いい意味での自己実現を図るには。これを実際に制度として運用していける国の、国民性というのは理想に近い気がする。きちんと自分の役割や生き甲斐や生死について、認識を深めてないと成立しないと思う。

投稿: n,s | 2017年2月 1日 (水) 07時20分

やべぇー、確認と送信間違えて送っちまっただよ。すんません許してね。

投稿: n,s | 2017年2月 1日 (水) 07時26分

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