ネットワーキングの失敗==人間の失敗
いちばん典型的に表しているのが、例の威力暴力集団が、タダの宣伝媒体(or威力誇示媒体)としてインターネットを使いまくっていることだろう。ネットワークの、完全な誤用である。また、個人レベルとしてはたとえば、ヒトの文章・言葉遣い等に対する、勝手な思い込みを根拠とする批判や悪口を、「不特定多くのオーディエンスかつ発言参加者のいる環境における当人との対話」を前提とせず、最初のトーンからして対話性ゼロのまま、どこかに投稿する、一方的言葉の暴力が、とても多いこと。BBS(bulletin board system, 掲示板)のころからは、世代も代わっているはずなのに、愚かで醜い人間性は変わっていない。むしろ、引き継がれている。
詳細事実を知らない者の大まかな印象としては、今や泥沼化し、膨大な数の被害者を作り出してきたシリア内戦は、最初デモをやっていた完全非武装の反体制活動の連中に、政府側がいきなり武力、虐待、拷問等の武力(というか暴力)で対応したことが始まりだ。ここにも、最初から、そして終始今日まで、対話性がない。シリア内戦だけではない。現代の世界をも含む、全歴史の時間空間は、‘いきなり暴力’のオトコ的野蛮で充満している。
なぜか。人類のオトコという下等動物は、他を力(force)によって圧し、屈服させ、ときには殺消することが、唯一最大の生きがいだからだ。
そんなところへ、万人共有のオープンなコミュニケーションネットワークが登場したらどうなるか。そのネットワークは、ネットワークとしては確実に失敗し、オトコ的悪用が大々的にはびこる。
自分は100%正しい、お前らは劣悪誤謬なる不信心者だ、と信じて疑わないところからは、対話性のタの字も生まれない。
他者不在==対話不能は、今日までの、人間の失敗の極であり、したがってインターネットの失敗にもその姿をそのまま反映する。
※「他者不在」はこのブログで展開しているコミュニケーション理論/コミュニケーション学の最重要概念の一つであり、初学者はしっかり理解していただきたい。参考リンク集が、ここにある。
そこで、インターネットの失敗のルートの原因(“根因”)は、次の二つになるだろう:
(1)人びとの多くがコミュニケーション意思とその能力を持っていないところへ、ツールだけが与えられた。(あまり良質なツールではないが。)
(2)コミュニケーションの意思能力を持ち、それを実践しても、旧支配勢力(貨幣など)の力が強すぎて、具体的な進展や広がりが得られないことが多い。コミュニケーションの無力無能の時代、でもある。
わが家の、20余年に及ぶ動物愛護活動の現実を見ても、捨て犬捨て猫たちの新たな飼い主探しに関し、ネットワークコミュニケーションは全体として約30%は有能、残りは無能だ。犬猫を捨てることの抑止は、その効果ほとんど0%だろう。狭い地域社会にポスターなど貼ると、単に一時的には効果があるが、でも犬たち猫たちはよその地区へ捨てられるだけだ。
コンピューターもネットワークも、自動車の運転教習に並ぶ、いやそれ以上の、“一般教育”が必要か、とも思うが、そんな世論がいつになったら盛り上がるだろう。そこの講師になって、「そんな、最初から対話性を拒否しているような書き方をしたらダメ!」、とか言ってみたい。
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