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2016年10月31日 (月)

公理・定理等

いわゆる定理や公理は、そのものを最初に定義したときに、そのものの性質として、定義の中に含まれている。ではなぜ、定理や公理、そしてそれらの証明方法ににみんな驚き、感心し、珍重がられるのであらうか?

それは、最初の時点で、そのものの定義が、完全には(fullには)対象化されていない、コトバ化されていないからにほかならない。最初にあるのは、そのものに対する、視野狭窄の、単純すぎる、monkey grip的な欲、欲的視野、欲的把握にすぎないからだ。

他者不在。‘そのもの’が、最初の意識中で他者になっていない。自分が定義したくせに。とりあえず、自分のinitialな、ちょっとした、表層的、欲に奉仕してくれる部分しか見えない、見てない。

定理や公理などは、そのものに対して、別の欲をもったとき、それを鏡として現れてくる。

「赤いスイカの汁は白いシャツを赤く汚す」
これを証明せよ。

結局、欲が、その定義を定義しているが、欲自身にはそのことが見えない。

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コメント

ヒトの欲求が、定義を欲しているのだが、ヒト自心自体は、その事態に気が付けないのであろう。

投稿: ぶん | 2016年11月10日 (木) 18時02分

ゲーデルの不完全性定理なんてのはどーなるんでしょうか。

投稿: bad | 2016年11月10日 (木) 22時42分

> ゲーデルの不完全性定理なんてのは
私にはよーわからんので、badさんが考えて、結果を、誰にも分かる言葉で発表してください。

未来のためのコミュニケーション学なんて、とうてい、私一人で構築できるもんやないわ。

投稿: iwatani | 2016年11月12日 (土) 18時46分

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