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2016年10月31日 (月)

公理・定理等

いわゆる定理や公理は、そのものを最初に定義したときに、そのものの性質として、定義の中に含まれている。ではなぜ、定理や公理、そしてそれらの証明方法ににみんな驚き、感心し、珍重がられるのであらうか?

それは、最初の時点で、そのものの定義が、完全には(fullには)対象化されていない、コトバ化されていないからにほかならない。最初にあるのは、そのものに対する、視野狭窄の、単純すぎる、monkey grip的な欲、欲的視野、欲的把握にすぎないからだ。

他者不在。‘そのもの’が、最初の意識中で他者になっていない。自分が定義したくせに。とりあえず、自分のinitialな、ちょっとした、表層的、欲に奉仕してくれる部分しか見えない、見てない。

定理や公理などは、そのものに対して、別の欲をもったとき、それを鏡として現れてくる。

「赤いスイカの汁は白いシャツを赤く汚す」
これを証明せよ。

結局、欲が、その定義を定義しているが、欲自身にはそのことが見えない。

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脱オトコ修行教程: 第4回: スタイルとしてのヒゲを自己に禁ずる

広義のいわゆる無精髭(そるヒマがない、そるのがかったるい・面倒、ヒゲを切り落とすのは動物愛護の精神に反する、等々)以外の、意識的意図的ヒゲは、オレ(俺、おれ)という言葉やネクタイなどと同じく、オトコ性の肯定的誇示であるので、そういうみっともないことを、自己に禁ずる。

それは、誇示すべきものではなく、全身全霊をもって恥じ入るべきものである。世界平和とコミュニケーション社会の実現のために。

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脱オトコ修行教程: 第3回: トートロジーを自覚し自己にそれを禁ずる

オトコは脳中の論理性に欠陥があり、判断や発言にトートロジーがきわめて多い。またオトコは、それがトートロジーであることに気づく能力を欠いている。

たとえば、(戦争をできる、本格的な)「軍備が必要である」という発言は、

「軍備が必要だから軍備が必要である」

と言っているにすぎない。

重大な問題は、本人がそのことに気づかないだけでなく、国会等議論の場においても、だーれもそのことに気づかず、指摘しないことである。全員が、再びみたび壮大なトートロジーで歴史の不幸へなだれ落ちていくlemmingsたちだ。

トートロジーは、どこからどこまでも『それしかない』という世界、すなわち完全にして純粋なる他者不在の脳である。他者がちゃんといれば、「軍備が必要ないことも、同格な選択肢として、ありうるのではないか」※という発想ができる。純粋というのは、炭素100%の炭素資材のように、<それしかない>のである。「他」を、発想できず、したがって他を(まさにその他としては)理解・感受できない…×××ハラスメントや×××(女性、児童、動物、…)虐待の犯人にだれもがなりうる脳の持ち主である。

   ※: 日本の不戦憲法は、そういう、発想の他を前提している。

(戦争ではなく、国際治安努力への…global law-enforcementへの…参加協力は、言うまでもなくどの国においても必要である。ただしそのために、“軍隊”は要らない。)

オトコのトートロジー脳の身近な例が、最近本学を一時的に休学させられているn,cさんのポストに見られる。

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2016年10月28日 (金)

不感症としての強さ

報告が上がってるだけでも、いじめ年間20万件は多いね。いや、いじめをやってるやつらの数もね。

いちいち対応したり、まじめに感じたりせずに、「何も感じない」心の経済を親や周りは教えるべきではないかな。自分の世界を、しっかり持っている、ということ。何かされたり言われたりしても、反応せずに、さっさと家へ帰ること。身を振りほどくとき、声を出さず、無表情で振りほどくこと。そして、体(からだ)一つで逃げて帰る。

ニルヴァーナはリーダーが自殺したバンドらしいが、強い意図的な自閉のためには、あの音は良いかもしれない。

ベルベットアンダーグラウンドのカバー2曲が入っているシングル集(1曲は他バンド)、いまどき、どこで手に入るやろ?。Amazonでさんざん探したけど、わかりません。

いじめに対し、不感症としての強さを! 関わらないという強さを!
まわりが、しっかり教えてほしい。

しょせん、いじめをやってる連中には、未来は存在しないのだから。

You never follow me. I know I am right.

Kurt Cobain conceived "Rape Me" as a life-affirming anti-rape song. He told Spin, "It's like she's saying, 'Rape me, go ahead, rape me, beat me. You'll never kill me. I'll survive this and I'm gonna fucking rape you one of these days and you won't even know it.'" ---from YouTube

わたしをレイプしなさいよ
さあやれよ
レイプしろよ
わたしをぶちなさいよ
あんたにはわたしを殺せないわ
こんなことでめげないわよ
そのうちあんたをレイプしてあげる
されたことも分かんないでしょうね
あんたなんかには

badさんも、心の無駄な不経済が多すぎるな。感じる価値のないもんは、感じない経済を!


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2016年10月24日 (月)

売れ残りペットの末路

売れ残りペットの“処分”については、前に書いたことがあるけど、この記事(有料購読、しかもなくなるのが早いだろう)は、売れ残りペットの「引き取り業者」の話だ。

上の記事は栃木県の山中で、しかも最近やっと犯罪として取り締まられたが、それまで20年近く、やっていたようだ。私もかつて、矢魔奈紙剣鶴死の山中で、それらしき施設群を見たことがある。施設群とは言ったが、錆だらけのスチール製のケンネルが山中の斜面に放置してあるだけだ。地元民の話では、それらは、地元の建設会社の社長が“飼って”いるのだそうだ。

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2016年10月17日 (月)

就活は当人とその企業の両方をダメにする

日本企業がどんどんダメになり、成れの果ての半死骸を中国企業などに買われていくのは、その原因は、社員のサラリーマン化である。今の日本企業はますます、クリエイティブな個人として活躍する個人がいない。続々と、来る日も来る日も続々と、サラリーマン的発想の、つまらない、売れない製品しか生まれない。

・サラリーマン: 小手先細工の即席ラーメン新製品を発想する。
・クリエイティブな個人: 今、食に何が求められているのか、から、これまでなかった新製品を発想する。
※安藤百福氏は、即席ラーメンの新製品を考えたのではない。食品の新ジャンルを創造したのだ。

・サラリーマン: 液晶ディスプレイの改良アイデアを次々と出す。
・クリエイティブな個人: 情報システムにおけるI/O系の、新しい潜在的ニーズを見つける、気づく。
※イノベーションが求められているのに既存製品の小手先の改良アイデアしか出ない。

そもそも、就活が、人が社会に出て仕事をしていくための、唯一の正当な最有利な入り口だ、人生の安定路線だ、と思い込んだ途端、その人はすでに100%、廃人である。日本の大企業はどんどんどんどん、廃人が占めていく。企業はサラリーマン社員ばかりになり、つまんねー新製品しか出てこない。企業は、廃品化する。※

※:ここ数十年〜十数年の東京都庁も、そんな環境だったか…。

日頃から人間としての自分の中身を豊かにし、中小企業の社長や上級社員と、おもしろい会話ができるほどに自分を磨いていれば、目も心も就活には向かず、オリジナルでクリエイティブな人間としてグローバルに活躍できるだろう。

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●企業は、人が必要なときどうすべきか。原則、年齢・学歴・(もちろん性別)等の制約なく、公募する。試験は原則、小論文ひとつのみ、とする。廃人が集まる就活は、早急に、全廃すべし。

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なぜ人間だけが自然と仲悪い?

先日は、日本が将来The RAPE NATIONにならないための性教育素材を書き、さらに最近は、いかにもオトコ臭い“無限科学”を否定する文を書いた。

この二つのことを、たまたま同時に想起すると、『オトコっぽい無限科学は自然に対するRAPEではないか?』、と思われてくるのだ。その前段階としての、(性犯罪的)“のぞき行為”もあると思われる。

自然に喜ばれる、そして自然に喜ばれることが人間への恵みにもなる、自然との仲、のあり方を、指向すべきではないか?

今、ハイチのハリケーン被害が大きく報道されているが、あそこらは、何千年も前から、生活の中で、ハリケーンは当たり前の現象のはず。自然とうまくおりあいながら、うまく受け流しながら、生きていく知恵が、絶対にある/あったはず。

「自然災害」と言う言葉を死語にすることを、人類の長期目標にしたらどうか。多くの場合、自然が悪いのではなく、人間の生き方・態度が間違っていたのだから。

「自然災害」という言葉には、とても愚かしい傲慢臭がある。自然をもろ、“他者不在”化している。それがそもそも、in the first place、大災害の根因。傲慢不遜に“自然災害”と呼んでいるものの99%は、本当は“人間災害”じゃっ!!

ハイチも、今さら被害が云々されるのは、どこか間違った生活づくりがあったからではないのか?
(やむを得ない、間違いであった、とは言え…。)

ここで、うちの「かぼすの木」の話を書くと、みえみえの自慢話になるので、やめておこう。

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2016年10月10日 (月)

脱オトコ修行教程: 第2回: 「無限科学」の禁止and/or「対象知」の正当な降位

So many people, all the short, fat people,
And all the nobody people,
And all the somebody people,
I never thought I'd need so many people.
人が多すぎる
しかも単なる群れのように
(David Bowie/Five Years)

There are too many people, too much belief
Where there's trouble there's poetry
Your family is a football team
This dot marks your location
Loneliness in a free society
人が多すぎる
それぞれが独自の信条に固執して
(David Bowie/Dancing With The Big Boys)

Too many people that I'll never meet
And I'll never be there for
I'll never be there for
'Cause I'll never be there
人が多すぎる
絶対会うことのない人ばかりが
(Placebo/Too Many Friends)

科学と呼ばれる知は、もっぱら対象知である。対象を対象として措定する主体、“自己”、アートマンは完全に忘却されている。その状態は、いわゆる、本コミュニケーション理論で言うところの、他者不在である。また科学は、一般的な対象に関する一般的な知である。しかし、真の実在は、具体的な個体、その“私”である(無生物ですら!)。したがって科学と呼ばれる知は、実在を記述できない。実在を記述できる知の言葉は、まだ存在しない。

そういう非常に素朴な原始的な知であるために、その測度も幼稚素朴なもののみであり、片方では無限の分割(無限の微小化)、そして他方では無限の延伸・集積・拡大拡張である。その幼稚素朴な無限を追う営みも、今やその極限に近く、科学的知は観測の関数にすぎないが(*)、今では観測のコストがものすごく大きい。ガリレオの時代には、個人が、十分に望遠鏡を持てたのだろう。

※: 何かが見える、のではなく、観測機(器)が構造しているものが見えるだけである。

自分がやってることの正体を自覚せず、ひたすら盲目的に励み続けることを悪無限と呼ぶが、科学はその典型例である。巨額のコストを投じて盗んできた彗星の粉塵から、未曾有の凶悪なウィルスが蔓延し猛威を揮う前に、科学という悪無限に向かう費用は、人類社会の格差是正に向けられるべきである。こっちも、未知のウィルスなみ、あるいはそれ以上に恐ろしいことは、とっくに明らかではないか。

*: ナニナニはカニカニの関数、という素朴な日常表現をここでは使っている。人力飛行機の性能はペダルを踏む者の体力の関数である、など、ちょっとおかしい言い方だが、日常的に定着している言い方のようなので。

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あらゆるものの、“一般的対象物化”は、コミュニケーションの疎という同一の硬貨の裏面だ。疎の逆の、みっしりになったら、王様は裸だや王様の耳はロバの耳と同じく、その滑稽が衆知として定着するだろう。

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