« NFSに見る古いコンピューター観 | トップページ | なぜ人間だけが自然と仲悪い? »

2016年10月10日 (月)

脱オトコ修行教程: 第2回: 「無限科学」の禁止and/or「対象知」の正当な降位

So many people, all the short, fat people,
And all the nobody people,
And all the somebody people,
I never thought I'd need so many people.
人が多すぎる
しかも単なる群れのように
(David Bowie/Five Years)

There are too many people, too much belief
Where there's trouble there's poetry
Your family is a football team
This dot marks your location
Loneliness in a free society
人が多すぎる
それぞれが独自の信条に固執して
(David Bowie/Dancing With The Big Boys)

Too many people that I'll never meet
And I'll never be there for
I'll never be there for
'Cause I'll never be there
人が多すぎる
絶対会うことのない人ばかりが
(Placebo/Too Many Friends)

科学と呼ばれる知は、もっぱら対象知である。対象を対象として措定する主体、“自己”、アートマンは完全に忘却されている。その状態は、いわゆる、本コミュニケーション理論で言うところの、他者不在である。また科学は、一般的な対象に関する一般的な知である。しかし、真の実在は、具体的な個体、その“私”である(無生物ですら!)。したがって科学と呼ばれる知は、実在を記述できない。実在を記述できる知の言葉は、まだ存在しない。

そういう非常に素朴な原始的な知であるために、その測度も幼稚素朴なもののみであり、片方では無限の分割(無限の微小化)、そして他方では無限の延伸・集積・拡大拡張である。その幼稚素朴な無限を追う営みも、今やその極限に近く、科学的知は観測の関数にすぎないが(*)、今では観測のコストがものすごく大きい。ガリレオの時代には、個人が、十分に望遠鏡を持てたのだろう。

※: 何かが見える、のではなく、観測機(器)が構造しているものが見えるだけである。

自分がやってることの正体を自覚せず、ひたすら盲目的に励み続けることを悪無限と呼ぶが、科学はその典型例である。巨額のコストを投じて盗んできた彗星の粉塵から、未曾有の凶悪なウィルスが蔓延し猛威を揮う前に、科学という悪無限に向かう費用は、人類社会の格差是正に向けられるべきである。こっちも、未知のウィルスなみ、あるいはそれ以上に恐ろしいことは、とっくに明らかではないか。

*: ナニナニはカニカニの関数、という素朴な日常表現をここでは使っている。人力飛行機の性能はペダルを踏む者の体力の関数である、など、ちょっとおかしい言い方だが、日常的に定着している言い方のようなので。

-----
あらゆるものの、“一般的対象物化”は、コミュニケーションの疎という同一の硬貨の裏面だ。疎の逆の、みっしりになったら、王様は裸だや王様の耳はロバの耳と同じく、その滑稽が衆知として定着するだろう。

|

« NFSに見る古いコンピューター観 | トップページ | なぜ人間だけが自然と仲悪い? »

コメント

今回ノーベル賞を受賞された方もそうですが、何とも言えないコドモっぽさにヤバさを感じます。

投稿: 南 | 2016年10月11日 (火) 13時02分

「好奇心」なんて、もろ手をあげて肯定すべきものとはとても思えない。

投稿: 南 | 2016年10月12日 (水) 07時30分

> 「好奇心」なんて
まあとにかく、「→」こんな単純な矢印ベクトルの知は、そろそろ早めに引退してほしいです。

男根型(一方向性攻撃的)知から、子宮型(全方向性包含的)知への完全な転換が必要。(安易な言葉で失礼!)

投稿: iwatani | 2016年10月12日 (水) 08時18分

「ネーチャン」じゃなかった「ネイチャー」によるとヒトは平均的な哺乳類よりも6倍ほど凶暴なんだそうだ、けど
6倍てどう計算したんだ?

投稿: bad | 2016年10月12日 (水) 15時17分

マルチベクトル、万華鏡は夢で実現しないのか?

投稿: bad | 2016年10月14日 (金) 14時15分

なんか知らんが、世界は複数あるのにひとつしかないと思い込んでるんじゃないか。

投稿: bad | 2016年10月17日 (月) 20時34分

この現実のワンパターンが!

投稿: bad | 2016年10月21日 (金) 14時19分

bad さん、あんたが、ワンパターンなんや

投稿: ぶん | 2016年10月29日 (土) 12時03分

そやね。

投稿: badwatanabe | 2016年10月29日 (土) 12時28分

そやけどしかし、zeppelinの天国の階段ならしたら、頭くるとるて言われて、わけわからんで。この程度の曲で。

投稿: bad | 2016年10月29日 (土) 13時36分

うちなんか、どんな音楽でも、ちょっと音量が大きいと無言電話がかかってくる。陰険陰湿を、美徳と思っている。

投稿: iwatani | 2016年10月29日 (土) 13時57分

そうですか。知りませんでした。

投稿: bad | 2016年10月29日 (土) 14時19分

LZなんかのハイパワーの音聞くと、日本人と白人の体力の違いを感じてしまうが、、、

投稿: bad | 2016年11月 1日 (火) 17時09分

あのおっさん、70すぎてもツアーやっとるわ。毎ステージ必ず「階段」歌うらしいが、あれは永遠に意味不明な曲。

投稿: iwatani | 2016年11月 1日 (火) 20時57分

昨日さんがギターでジャムセッションしようというので家に行ったが、10年経っているのにテクがあがっていなく、全くセッションにならなかった、ガックリ。

投稿: bad | 2016年11月 2日 (水) 18時44分

昨日Hさんでした。

投稿: bad | 2016年11月 2日 (水) 18時53分

橘川幸夫さんが、「原爆は、科学者の文学である」と著書の中で指摘していました。その通りだと思います。

投稿: こうじ | 2016年11月 5日 (土) 18時46分

> 原爆は、科学者の文学である
どういう意味? 橘川氏における、‘文学’の定義を知らんとあかんね。

投稿: iwatani | 2016年11月 6日 (日) 08時41分

昔、「文学者の反核声明」というのがあって、それに吉本隆明なんかがけちをつけた事が有りましたよね。それに対して書かれた文章です。原爆を発明するという科学者の行為と、小説を作り出すという文学者の行為は、思考性において同じ様な者だという前提に立ち、僕らは新しい「カガク」や新しい「ブンガク」を作り出さなければいけない、という意味のことが書かれていました。僕個人としては、科学者の対象物に対する、文学者の言葉に対する夫々に、フェテシズムと言うのか何と言うか、のめり方に気持ち悪いものを感じるんです。それにしても「文学者の反核声明」何てずいぶん昔の話ですね。舌っ足らずでどうもすいません。

投稿: こうじ | 2016年11月 6日 (日) 10時24分

すいません。同じ様なもの者は同じ様な物の間違いです。

投稿: こうじ | 2016年11月 6日 (日) 10時27分

なにも、あやまらんでえぇ、

同じもの様は、同じ者様、同じ物様、の様で、様々なんや、分かってくれるか?

投稿: ぶん | 2016年11月10日 (木) 17時48分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/140652/64326103

この記事へのトラックバック一覧です: 脱オトコ修行教程: 第2回: 「無限科学」の禁止and/or「対象知」の正当な降位:

« NFSに見る古いコンピューター観 | トップページ | なぜ人間だけが自然と仲悪い? »