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2016年7月27日 (水)

厭世哲学

小学校4〜5年生のころ出会った、最初の哲学書が、ショーペンハウアーの「厭世論」(「厭生論」?)というやつ。

感動までは行かないが、当時感心したのは、全存在があり、自分すら存在の一部であるにすぎないのに、全存在を否定できる==対象化できる、という、哲学の力だ。

存在がなんだ、人生がなんだ、社会がなんだ、神がなんだ、宗教がなんだ、科学がなんだ、経済がなんだ、金がなんだ、どれもこれもくだらない、どれもこれも退屈なしろものだ。そんなもののどれかに、本気で真剣に夢中になり、価値を認めるやつは、大馬鹿だ。

全存在の否定、唾棄。

それに感心したことは、考えれば、今日の「他者」概念に結びつくのだ。

自分すら、自分が生きてることすら、よーわからん、勝手に起きてしまった事象であるにすぎない。なんなんだ、この、へんなものは?

知らんわ、なるようになれ。

と、きっぱり、対象化、他者化する、ところから真のコミュニケーション能力は生まれ、育つだろう。生に癒着して夢中になってる間(==他者不在)は、だめである。

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コメント

自分もしょせんは(アカの)他人。

言葉にすると変ですが日々実感します。

投稿: 南 | 2016年7月28日 (木) 07時54分

@南
他者には、リスペクトと、愛することがもっとも重要。

古い自己愛とはまったく異なる、自己他己尊重、自己他己尊敬を、普及する必要がありますね。

投稿: iwatani | 2016年7月29日 (金) 08時29分

人の傾向に、自罰的と他罰的というのがあるけど、オレなんかは完璧に自罰的だったなぁー。けどそれも古いタイプの自己愛に違いない。他罰的ってのも古いタイプの自己愛のなせるわざ。
的と付く場合、正しい態度は「どちらもお咎めなし」じゃなかろうか。「そんなこともあるさ」と受け流して前へすすむべきだと思うね。

投稿: s,n | 2016年8月 3日 (水) 07時58分

自分の中の飼い犬(矮小なエゴ)に引きずられて、無意識に生きてるうちはだめかな…っておもいます。

投稿: 旬 | 2016年8月11日 (木) 13時38分

>本気で夢中になり
世の中そんな人ばっかりだ。

投稿: bad | 2016年8月29日 (月) 21時14分

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