なぜ宗教は貨幣をendorseしたのか
私の雑で大雑把な過去の勉強とその記憶から言えば、物やサービスの配布やアクセス性が大中小さまざまなローカル権力構造の恣意性にゆだねられているよりは、それがあれば無権力者でもアクセス性が得られる貨幣の公平性が、普遍神に近いものとして推奨されたのである。貨幣が農村部にも徐々に浸透していく中世初期のキリスト教において。
既存のローカル権力が貨幣のコントロール権をも握ること、また、(差異の階層性を本質とする)貨幣を軸とする別の権力構造(eg. 資本主義)が作られていくことは、当時の宗教者たちの念頭にはない。
なにしろ、世界のあらゆる宗教が(そしてもちろん科学も!)、コミュニケーションについては何一つ考えていないのである。
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コメント
>コミュニケーションについては何一つ考えていないのである。
そもそも欧米人の「コミュニケーション」の言葉の意味は、単に情報を”渡す””与える”という意味でしかない。日本人が思っているような”相互理解””相互融通”という、概念はハナっからない。 と、氏は大昔「にっぽん再鎖国論」でカッパされていた。ケロケロ。
にほんじんが先頭に立って、押し広げていくべきである。「やつらに頼らないで行くべやー」、とね。
投稿: s,n | 2016年6月16日 (木) 07時56分
眼中に無いものを考えることはできない。
現代はやっと視界の端っこに入ってきたという段階。
まだまだ悲惨は続く。
投稿: 南 | 2016年6月16日 (木) 08時07分
「情報」がどんだけ大事なんだか分かりませんが、自分が「どんだけのもん」なのかということをよく考えなさい。若者よ!、、、えらそうですが
投稿: musataro | 2016年6月22日 (水) 10時10分