空気のように遍在する「他者不在」
数日前の朝のニュースで、イルカを、イルカに芸をさせる商業施設AからBへ、14時間かけてトラックで移送する様子を報じていた。全体的に嬉々として楽しげな報道で、かんじんの、イルカ様への配慮はゼロ。十分大きな深い水槽がないので、浅い桶に入れて、係員が頻繁に水をかけて体温上昇を防ぎながら、搬送する。
あらゆるものが、人間の、欲望の対象物、オブジェクトである。宇宙の果てまでも。子供の頃から、そんな間違った哲学へと飼いならされる。他者はどこにもいないし、人生の最後までいない。貨幣が、そんな間違った哲学を増長する。あらゆるものが、金になるためのオブジェクト。
こうして人間は長年、荒(すさ)んだ孤独の中にいる。すぐ隣に、つねに、無意味な苦しみと犯罪と戦争がある。自らの可能性としても。
イルカを捕獲して芸人ならぬ芸獣にしてしまうことは、イルカの幸せだろうか?
てなことは、誰も考えない。子どものころから、考えるようにした方がよい。
世界中のあらゆるすみずみで、「他者教育」が始まった方がよい。
宇宙は、人間が自由勝手に裁量できるオブジェクトではない。
本日のおすすめ:
1. https://www.youtube.com/watch?v=xnrdZVCRRUY
2. www.youtube.com/watch?v=76vqqNWWd2M
※: 補遺…他者不在のオトコの目【耳)に、女性たちの陰口大会と見える(聞こえる)ものは、当の女子たちにおいてはそんなネガティブな営為ではない。ここではあえて説明しないから、よーく考えてみよう。
女性性器の3Dプリントがわいせつなのではない。わいせつなのは、そう見る根性である(“わいせつなオブジェクト”==他者不在)。…この場合の他者は、作者自身とその表現意図。真のわいせつは、オトコ自身のわいせつな視線と心にこそある。罰せられるべきは、そう見てしまった検察などオトコたちの方だ。オトコの論理音痴は、そのことを理解しない。
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コメント
誰が主役なのか?
もちろん、自分
目の前に居るのは別の「自分」
「道具」ではない
私が道具ではないのと同じに
投稿: 南 | 2016年5月12日 (木) 07時52分
> 目の前に居るのは別の「自分」
今の旧人類(コミュニケーション不能人種)の根本的な欠陥は、なんでもかんでも、「それ自身」、「それ自体」ではなくて、安易に勝手に「対象物」にしてしまうことです。
他者が「それ自身」、「それ自体」としてリスペクトされず、往々にして自由可処分or可解釈な、「オブジェクト」として扱ってしまう。
対象物にされてしまった他者は、結果的に、そのことに対するこっぴどい復讐をします。〔参考記事。〕
イルカくんを自由可処分財(材)として扱ってしまったことの復讐は、たとえば、子どもの精神的成長のいびつ化として、現れる、いや、とっくにすでに現れているかもしれない。
投稿: iwatani | 2016年5月12日 (木) 08時05分
すぐそこ隣に他者がいるのにもかかわらず、、、
投稿: bad | 2016年5月13日 (金) 00時26分
みな子供の笑顔を見たく、水族館に足を運びますが、イルカは間近でみると痛々しく、欠けた背びれなどは明らかに自然状態では見られない、プールの角などにぶつけた傷跡であるように見えました。
投稿: S-D | 2016年5月17日 (火) 20時34分
みなさん、バ・バーィ。
マレーシアに行ってきます。
投稿: s,n | 2016年5月17日 (火) 23時56分
誤嚥性肺炎を繰り返して寝たきりになる
と医者は判断したが、これが誤診だったりしたらどうなるんだろうか?後のお母さんの状態が全く違ってくるが,,,,
投稿: bad | 2016年5月27日 (金) 22時06分
まじにクレアランプールに2週間催事にいってきたのだが、疲れ果てて帰ってきました。
感じたのは、リアルなバビロンとバビロニアの人を見てきたことでした。とにかくド派手であり、それに群がる田舎モンの観光客の群衆と、そのムナシサでした。とにかく建物の高さが高い。あのツインタワーもいやんなるくらいに高い。まさにそびえ立っていた。
あんなバカ高い建物を並び立てるのも、オトコの特性だろうと思う。たぶん「見上げて欲しい、見下げられたくない、高さを誇示したい」という威厳と見栄と意地の張り合いの、現実化した現象だろう。で、あんなに無意味でバカでかい建物をバカスカ、そこらじゅうに建てたがるのである。オトコは病気である。
また、人々もそんな威厳に「くそくらえ」とツバでもはいて無視・嫌悪するくらいの、かしこさはそなえて欲しいと思う次第であった。
投稿: s,n | 2016年5月31日 (火) 22時42分
オトコにとって全ての男は競争相手。むかしからそう。それで、とがったとがった社会が出来上がる。
嫉妬深いオトコが仕事に執着するというのも真実だろう。愛も成功も注目も独占したいのである。共有という頭が彼等にはない。ヨコに広がらない。つまらない奴らである。ジョンもそうだったのである。あ~ぁ。
投稿: s,n | 2016年6月 1日 (水) 07時22分
「なぜ社会主義は成功しないのか」
丸い大きなタルがあり、それに水を入れるとする。そこに両手をいれ自分の方に水をかいてみる。するとどうなるだろう。水は手前によっては、淵に沿って両サイドから向こうの方へ逃げてしまう。今度は逆に両手で対面の方に水を押してみる。すると水は淵に沿って、こちらの方に戻ってくる。
とまあ、これは前に仏教関係の本に書いてあった話ですが、なにごとも欲をかいて「オレの、オレの」とやると、なにも残らないどころか、しまいには自分を滅ぼす結果になる(舛添のように)。逆に「他のために、他のために」と務める人には信望が集まり、結果的に幸せになれる、という話しだと思う。
非常に稚拙で幼稚な話かも知れないが、こういう「空気」が流れないことには、人類なんて幸せにはなれない気がする。そう、空気のようにそれが当たり前で、自然で、それがないと生きていけないというものにならないと。「他のために、他のために」という考えが。
ばかにしてはいけない。あなどってはいけない。非常にベイシックで重要な概念だと思う。これを有史以来永永と、あなどっておろそかにしてきた結果が、現在の社会の姿・無残なのだと思う。
投稿: s,n | 2016年6月18日 (土) 05時41分
要は方法論の話しだと思う。幸せになるための方法論。これまでのように、自分のため自分のためということでは、結果的に幸せになれないということ。このことを、国民が十二分に熟知すること。
要するに、スイッチを入れ替える・切り変えること。問題はそれだけだと思われる。他のためにやることが、自分に還ってくるということ。道筋に気づくということ。これまでの方法論は無効ということ、逆効果でしかないこと。
簡単なこと。思いを切り変えること。物量や物流は十分に補えるのだから。切迫する必要はないと思われる。このことを全体に浸透させること。 アチャラポーン。
投稿: s,n | 2016年6月22日 (水) 00時02分
不安を強要してくる支配者に対して、それらを無視してこちらで連帯・互助関係を築けるかが勝負である。そのためのメディア。
「赤信号 みんなで渡れば こわくない!!」
ビートたけちゃん
「みんなでみる夢は リアリティ」
ヨーコちゃん
どちらが生きやすいか考えてみようじゃないか。まんまと奴らのおいしい意図にあやつられる愚者に成り下がることなく。 ひっくり返してやりたい。 uh huh.
投稿: s,n | 2016年8月15日 (月) 05時57分