自然と対立する生き方で良いのか?
フクシマのときも思った。あそこはもっと単純明快に、ご先祖たちが「ここから下へは家を建てるな」(==町を作るな)とアドバイスしている。生活環境の、地震をやり過ごせる物理構造は、ありえないものか。地震は、昨日今日始まった人類の体験ではないのに。
熊本市には、中1の半ばから中3の半ばまでいた。なんか人間性が濃くて温かくて、いじめのような空気はゼロのところだった。
長年音信不通だった当時の友だちをFacebookで探してみたが、一人も見つからない。LinkedInもだめだ。インターネットは、まだまだ幼児期だ。
・横井時史(ときふみ)くん: 頭が良すぎて学校の成績が悪い、というタイプ。名前が「時」で始まり、住所が熊本市新屋敷町なので、幕末の思想家横井小楠の子孫である可能性が高い(キリスト教を擁護したという誤解で暗殺された)。
・宮本孝夫くん: 母子家庭で、お母さん(戦争未亡人)は尚絅女子短大の先生だった。家には大量の本(主に文学書)があり、私の読書にも不自由しなかった。同居していたおばさん(叔母?伯母?)は夏にかき氷(+トコロテン)屋をやり、おかげでかき氷はただでなんぼでも食べれた。
・?????くん: 実家が「のしいか」の製造工場で、遊びに行くとのしいかをなんぼでも食べれたが、しまいには飽きて、遊びに行っても食べなくなった。やや肥満の、とてもやさしい男の子だった。
結局その後の私は、狭域的で具体的な人間関係よりも、パブリッシュされる言葉を介しての、広域的抽象的人間関係を重視するようになった。しょうがない。それが、私に課せられた運命なのだろう。横井くんらの、無事を祈りたい。
正しいコミュニケーション理論とその実装には、自然の一員たる小動物としての、自然との、よりおだやかで賢い関係形成もある。絶対に。
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コメント
今からでも遅くはない。オリンピックと原子力発電は止めて欲しい。そんな事している場合ではない。
投稿: こうじ | 2016年4月19日 (火) 19時30分
ゴリラのココとネコのボールの話は、実にピュアで美しい。
投稿: bad | 2016年4月29日 (金) 18時49分
ずーと前精神病院の壁にポスターが貼ってあって、会議の題が過剰な鎮静であった。ただ薬で抑えてるだけじゃ、治療にならないんだろうな。
投稿: bad | 2016年5月 2日 (月) 18時40分