「他者不在」という概念について
「他者不在」は、この、長年よたよた歩きをしている試行的コミュニケーション理論の、どうやら中核的キーコンセプトであることが、固まりつつある。対して「貨幣」、「宗教」などは多くのコミュニケーション不能現象の中のもっとも基盤的普遍的な、ベース現象であり、コンセプト(概念、観念)ではない。言い換えると、「他者不在」に由来する、典型的普遍的な現象の(その二大巨頭が)、「貨幣」と「宗教」である。
※: これは南さんのコメントへのレスでもあるけど、人類のコミュニケーション不能の根因である「他者不在」は、「単一世界観/単一宇宙観」とも言い換えることができる。自分の目の前に広がる世界・宇宙が唯一の世界・宇宙であり、その同じ単一の世界・宇宙を、すべての動植物のすべての魂が共有している、という存在哲学だ。世界が一つしかないと、自分以外のものはその中のオブジェクトとしてべったりと共通化され、それぞれ別の世界と宇宙を持つ「別の主体=他者」ではなくなる。他者はかき消え、他者不在が普遍的に訪れる。たとえば、他人も自分と同じ言語観を持ってるはず、持つべき、と考え、その考えのもとに他人の言説を非難したりする。違う世界がある、世界は複数ある、という認識をコミュニケーション不能人種は持つことができない。
以前、日本の現総理大臣の脳は論理性に欠陥があり危険、という趣旨の記事を書いたけど、まあ、これまでの人生経験・社会経験・見聞経験からしても、論理性を欠くことはオトコという生物のデフォルトのスタンダードであり、大雑把に言うとオトコは脳に論理性のないイキモノである。自分の意思や意図を、ひたすらゴリ押しすることしか能がない。だから対話も会話も成立しない。論理よりも、forceが支配する脳。
この、コミュニケーションについて考えようというブログにも、そんなオトコどものアホなコメントが、常時、とても多い。オトコは、ことほどさように、馬鹿である。いちいち反論するのは無駄と悟ったから、最近は無視しているが。
そして最近気がついたことは、そもそも、真の論理の重要な契機の一つが「他者」である。たとえばオトコは、女性を女性という「他者」として見る努力をしない。自分の手持ちのお粗末な概念を粗暴勝手に当てはめて、女性を理解したつもりでいる(==大誤解)。他者一般に対して、然り。
だから、「他者不在」の脳に、論理性が欠落しているのは、当然のことであった。
「他者不在」は、エベレストのように頑張れば登れる高山ではなくて、それが分からない人、分かる資質を欠いている人にとっては、無限に高い垂直の絶壁であり、登頂(「分かり」に到達すること)は不可能である。
世の中には、言っていいことと、わるいことがある。わるいことの最たるもののひとつは:
オトコの脳には論理(==他者、コミュニケーション性)がなくforceしかないから、男が主導する世界は定期的に、forceによる問題解決、すなわち戦争へと向かうのである。今の日本の総理も、自分が知っているその唯一のソリューションの必須のツールとしての、本格的な軍隊を作りたいのである。お粗末な脳しか持たないオトコどもは、ときどき大量に戦死して、社会のリフレッシュに貢献する必要がある。それが、オトコにふさわしい生き方であり死に方である。オトコはしょせん、戦争のための消耗品である。
とはいえ私が望むものはもちろん、生物学的に死ぬ前にオトコがそのオトコ性を自己否定してオトコ部分を自死し、(弱いオトコ、軟弱なオトコになり)、forceに依存しない、すなわち戦争のない、社会と世界が訪れることである。そして、犯罪と呼ばれるforce現象が残るかぎり、治安とよばれるforceツールを社会は必要とせざるをえない(それは女子でも十分に、あるいは女子の方が上手に、担当できるだろう)。犯罪のない人類社会(それは実現可能)が訪れるまでは。
| 固定リンク
コメント
またいらん事かもしれないが、女性て男に対して、金、地位、優しさ、知性とか求めるんやけど、これも問題とちゃいますか。
投稿: bad | 2016年4月17日 (日) 19時48分
えーかげんな説をまるで一般論のように書いてはいけない。あんたもオトコやな。自分の母親にも、本物の女性を見たこと、一度もないやろ。
投稿: iwatani | 2016年4月17日 (日) 21時13分
うー頭が痛い。でもお母さんにはありますよ。
投稿: bad | 2016年4月17日 (日) 22時42分
「他者」というものが在ることを認めたくないのでしょう。
自分が他者であることを直視したくないのでしょう。
気持ちはわかる。
でも、間違っている。
投稿: 南 | 2016年4月18日 (月) 08時41分
「他者がいない」という捏造された事実に、「恐怖」としてしか反応できないオトコが、迷惑極まりない振る舞いをするばかりなのに辟易するのは当然です。
他者はいる。
それはあたりまえのことだ。
オンナはその「あたりまえ」をわきまえているということでしょう。
例外なんて歴史的にはいっぱいあるよ。日常にもあるだろう。それをあげつらっても仕方ない。
でも、この厳然たる「オトコ」と「オンナ」の根源的な違いが、私にとっての〈コミュニケーション〉への関心への端緒だった。
それは今でも続いていて、だから岩谷さんに感謝している。
投稿: 市川智 | 2016年4月19日 (火) 12時35分
昔「もし私一人なら倫理は可能か」と問うた人が居たけどそれに習って「私一人なら論理は可能か」と考えてみました。僕の結論は「倫理も論理も他者(含む自然)を必要としている」です。必要とされるはずの他者が不在と言うことが、この社会の矛盾として現れていると思います。
投稿: こうじ | 2016年4月19日 (火) 19時26分
昔東京にいた頃、RO読んでて目にとまったんだ、人は情報なんて求めてないと思う、人を求めてるんだっていう、iwataniさん言葉だ。
投稿: bad | 2016年4月19日 (火) 23時46分
ワイがオトコ?ならなんで掃除なんかしとると、隣のバーサン(禅を信仰しとる!)にオカマ頑張っとるなんて言われなあかんねん。掃除なんててんで簡単な事で、得意なんや。
投稿: bad | 2016年4月25日 (月) 02時13分
このインターネットの時代に、まだ同型同質を求める圧力が依然としてあるのはなんで?
投稿: bad | 2016年5月 4日 (水) 13時27分
elpのsageも日本人に耳には、単なる叙情的なきれいな曲となるんやろうな。日本人はrockを技術だと思っている。
投稿: bad | 2016年5月 8日 (日) 13時17分
なるほどね...
投稿: | 2016年5月10日 (火) 06時36分
兄夫婦がこないだ来ていた。兄がndows10にしないのは、システムが変わってしまうからと言っていた。兄はシステムエンジニアもやってたからなあ。
投稿: bad | 2016年5月10日 (火) 22時43分
日経linux安くなかったが、涙ながして買った。
投稿: bad | 2016年5月14日 (土) 16時16分
今日はお母さんのベッドの、隣のばあさんに、あんた女みたいと言われたが、、うーん。
投稿: bad | 2016年5月15日 (日) 18時53分
> あんた女みたいと言われた
めでたい。
(もっと多くの人から言われたら。)
投稿: iwatani | 2016年5月16日 (月) 08時49分
nhkのテレビで小山珠美という女性が、通常はもう食べられない患者を、リハビリでどんどん回復させているのだ。やっぱり女性は偉い。
投稿: bad | 2016年5月17日 (火) 09時50分
精神病院での話だが、こんなとこ出たいと思わんとAさんに聞いたら、三食食えてこれでいいわと、人生なげてしまっているのである。僕もなげてしまっているとこあるしなー。
投稿: bad | 2016年5月17日 (火) 22時54分
昔ロック論集を読んでて、何故か自分の男的な部分を無くそうと努力してきた(だったか)というのを見て、この世には似たような考えの人もいるんだなと、うれしくなってしまったが。
投稿: bad | 2016年6月 6日 (月) 00時37分