やっぱり女性はエライ!(第Q回)
この記事である。
自分の子が人を殺した。
しかし(実質)無実である、と固く信ずる。
(途中数年ぶんを省略)
で、本人の頑張りと出会いの幸運性により、「尊属殺人」を規定している(旧)刑法の条項の違憲性を導き、違憲性を確定させるのである。弁護士の費用も出せない貧乏人の、法律知識などゼロの女性が。
久々に感動した記事ですが、神田憲行さんというライター、さぞかし立派な本が、と思ってAmazonで調べると、まだたいした本はない。ぜひ、渡邊泰子さんの調査記事を、書いて欲しいな。
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コメント
女性はいきものとして上等である。
男性とはくらべものにならないくらいに。
投稿: 南 | 2016年3月17日 (木) 07時54分
しかし女性は噂ばなしが大好きである。そして表面をとりつくることがじょうずである。それで平気である。なんだかなー。
投稿: s、n | 2016年3月17日 (木) 11時43分
これらは、ソーシャルメディアなどないころから女性が本質的にソーシャルな生き物であることの証左、と言われている。s、nさんのような典型的なオトコは、それを理解できないし、感じ取ることもできない。オトコは、センソー行って殺したり殺されたりするのみの愚かな生き物。
投稿: iwatani | 2016年3月17日 (木) 13時53分
やっぱりあんたはおかしいわ。そっちこそ典型的な決めつけに終始している。典型的な敵を作る病気だね。
投稿: s、n | 2016年3月17日 (木) 20時00分
それは100%誤解。
誰が見ても分かる正解は:
女性の特質を理解しようとせず、ネガティブにのみ見ているから、それを修正矯正しようとしただけ。
(でもこの人には効果がなかった!まあこの人、典型的なオトコはんやもんなぁ。しゃあないわ。)
投稿: iwatani | 2016年3月17日 (木) 20時44分
お喋りが嫌いならば、まず御自分が、黙っていればよろしいのです。
女のお喋りをあげつらうお喋り、という滑稽。無残。
投稿: 市川智 | 2016年3月19日 (土) 22時55分
そういう高級な論理は多くのオトコの理解能力を超えていると思うが、アフリカの一部など女性が差別虐待されていない地域の一部では、農産物を市(いち)で売るのは女性の担当になっている。それは、女性は、「大量のおしゃべり」を「自然にえんえんと」できるから。金をめぐるギスギス感が、あまり表面化しないから。市(いち)が、トレードの場というより、ソーシャルな場ふうになる。
投稿: iwatani | 2016年3月20日 (日) 07時57分
もちろんそんな陰口のなかには入らないさ。くだらんと傍観してるだけ。
まあ、そんな恣意的な概念の善悪なんてどうでもいいが。
それに
オレはまちがってもセンソーにいって殺したり殺されたりはしたくはないので、カッテニ決め付けるんじゃねーよ。それは言葉による人格虐待そのもの。ふざけないでね、おバカさん。
投稿: s、n | 2016年3月20日 (日) 20時19分
あのsnさんは前に、女性のつながり脳なんて言ってまして、女性の優秀さは分かっている様なんですが、、
投稿: bad | 2016年3月21日 (月) 00時36分
発端は「なんだかなー」、である。ちょっとした疑問を呈しただけである。それがなんでここまでいわれるのか、不条理である。
とまあ、「オトコ」だの「女性」だの単語がとびかっているが、現実は一人ひとりの男と女がいて、その個人の中に(仮に言うなら)男の中にオトコの部分と男性の部分が共存しているのである。よりよいコミュニケーションとは、各自が相手とキレイな部分・優しい部分での、タッチや拡大を試みようとする姿勢ではないんやろうか。みんないい部分も悪い部分も持っているのである。そうでないと、わかり合うわけがない。大事なんは、男女関係なく、良い部分の比率をともに上げていく努力じゃないやろうか。
投稿: s、n | 2016年3月22日 (火) 07時34分
脚下照顧。
投稿: 市川智 | 2016年3月22日 (火) 11時13分
岩谷さんの偉大さや先見の明は重々認めますが、s,n氏の最初の意見にも一理二理あると感じます。岩谷さんも、数10年前に「ロッキング オン」誌上の確か『男ジョン レノンの限界』という題の文章の中でs,n氏と同様のことを述べていたと思うのですが…。
投稿: 酔っぱらい渋谷 | 2016年3月23日 (水) 00時04分
この間テレビで、久しぶりに土井たか子さんの名前を聞きました。土井さんが委員長になったのは、萱野茂さん(アイヌ民族初の国会議員)が国会議員になったのと並んで、旧社会党の数少ないヒットですよね。それにしても、今の民進党の体たらくが報道されるにつけ、やっぱり女性の方が偉いというのは正しいと感じます。
投稿: こうじ | 2016年3月23日 (水) 21時47分
会社のパートさんがこんなの歌っていた。
「最後の職場」
唄 山本譲二
<サビ>
たとえ~どんなにいじめられても~
たとえ~どんなにきらわれても~
ここが~ おれには最後の職場ー
ここが~ おれには最後の職場ー
たとえ~どんなにきつくても~
たとえ~どんなに安くても~
ここが~ おれには最後の職場ー
ここに~ 最後までしがみぃつく~
異様にウケてしまった。働く60代の
おばちゃんはみな元気である。たくましいね。
================!!!!!
九州で大地震発生!!!
大金もちども タックスヘイブンてなんじゃそれ
逃げずに税金払えやー
おまえらが払わんと誰がはらうか
えいかげんにせいや くそったれども。
投稿: s、n | 2016年4月14日 (木) 22時36分
遅ればせながらコメントします。
私はこの事件を呉智英氏の著作で知りました。
『尊属殺人罪が消えた日』(谷口優子著)への評論からです。
「弁護士は『正義の味方』ではなく、『法の正義の味方』だ」と
呉氏が他の著作で述べていましたが、大貫正一弁護士が
損得抜きにこの事件に関わった事に敬意を表したいと思います。
投稿: hiro | 2016年8月21日 (日) 21時09分