未開の荒れ地を快適なグラウンドへ均(なら)す
今はまだ、多くの人が、(コミュニケーションという視界の中では)、未開の荒れ地の石ころみたいなもんだ。そもそも、コミュニケーションはまだまださっぱり、環境やオーガニックな健康の問題のように、人類全体のアジェンダになってないし、なる気配もない。
みんながプログラミング能力を身につけて、システムを自分で作る、その前提として論理的思考力を持つことが、社会的なベースとしてどうしても必要だ。
●コンピュータ科学とプログラミングが小中高の必須教科になる(参考記事)。
●大学は必ず、全学生にプログラミングのブートキャンプをやる(参考記事(日本語)、参考写真集)。
●いわゆるデベロッパー企業とかテクノロジー企業だけでなく、人は、どこでどんな仕事をしていてもシステムを作る能力が日常的に必要になる(参考記事)。
◎こうして、いじめも、(今のような)ネット上の多量の愚者たちも、完全に過去のものになる。生活にも社会にも、まったく新しい厳しさがやってくる。作ることの楽しさの共有も。
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コメント
読み書きパソコンですね。
孤独が解消されるのではなく、孤独であることが許されない社会。
投稿: 南 | 2016年3月 7日 (月) 08時05分
コミュニケーションがないと、なんか思い込みが先行してくる。
投稿: bad | 2016年3月23日 (水) 16時14分
最近はラッキーな事に、別棟のパートのおばちゃん達と作業をする日が多いのだが、彼女らの会話を聞いていると女性の問題解決の方法が分かっておもしろい事がある。(昨日はそんな日だった)
例えばある時、二人の女性間で会話の齟齬による激しい言い争いが起きたそうである。片方の女性は、悔しさのあまり半泣きで声をふるわせていたそうである。
そんな状況を話していたのであるが(もちろん両者不在)、そのことについて喋ることしゃべること。しかし賢い女性達がしゃべれば、うまい具合に問題の原因とそれを回避するすべが自然にみちびき出されてくるのである。あとはその二者の中に入っても、たぶん冷静にことにあたって行くだろうと思う。
やはり言葉の受け取り方が間違っていくと、感情的な言い争いになるんだろう(特に女性の場合)。で、やはり会話が重要になってくるのである。会話によっていろんなものを放り出し、そこでクリアになった部分に新たな解決のヒントがもたらされるのかなと思う。
まぁ、これは上手くいった場合の例だと思うけど、とにかく喋り合うことがいいのだとも思えた。コミュニケーションである。言葉なんて危ういものだから、あとから補修することが必要な場合が多々ある。それを好んでやる女性は得である。男性はあんなに次から次へと、いざこざについて喋らないだろう。で、あい照らすことなく、ねじれていったり。
だけど健全なやつなら、そこまで深く根に持ったりはしないだろうとも思うんだけど。しかし、これに大きな業績やカネが絡んでくると、のちのちまで尾を引いて険悪になったり・・・。
投稿: s、n | 2016年3月24日 (木) 04時36分