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2016年3月28日 (月)

遠景としてのアラブ中東

なーーんであのへんが急に、しかも無限(無間)地獄みたいに果てしなく、ややこしく、集団暴力の応酬地帯になっているのか、ずーっとズームバックしてロングショットで考えてみたい。

そして、たぶん気づくことは:

・西欧型近代国家という社会構造が彼らには合わない。
・しかもそれらが、西欧列強が押し付けた(彼らからすれば非現実的な)区分(直線状の線引き!)であること。

遠景として漠然と見える彼らの本来の社会構造は、相当複雑怪奇な部族社会だ。いろんな歴史的来歴を、今でも彼らの現実として引きずっている。

「アラブの春」などを契機として、従来の強権政治のタガが外れてしまったのは、とりあえず良いことだったとしても、そのあと噴出してきた旧社会的マグマは、このままでは収拾のめどが立たない。

西欧型近代国家==絶対善、絶対的な実現目標

という考えを反省し、彼らが納得できる、彼らに合った社会構造の実現を、目指すべきではないのか。西欧が植民地主義時代に無神経にやってしまったことを、リセットすること。

上記とほぼ同じことが、アフリカの現状に対しても言えるだろう。

※:日本の都道府県もアメリカ等の州も、自治権は有名無実で国家権力が圧倒的に強いが、逆に構成部位の自治権が圧倒的に強い“近代国家もどき”は、彼らにとってありえるかもしれない。

※: 直線的な国家線引きといえば、あの、日本のすぐ近くの半島も、できるかぎり早急にリセットすべきだ。

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2016年3月16日 (水)

やっぱり女性はエライ!(第Q回)

この記事である。

自分の子が人を殺した。

しかし(実質)無実である、と固く信ずる。

(途中数年ぶんを省略)

で、本人の頑張りと出会いの幸運性により、「尊属殺人」を規定している(旧)刑法の条項の違憲性を導き、違憲性を確定させるのである。弁護士の費用も出せない貧乏人の、法律知識などゼロの女性が。

久々に感動した記事ですが、神田憲行さんというライター、さぞかし立派な本が、と思ってAmazonで調べると、まだたいした本はない。ぜひ、渡邊泰子さんの調査記事を、書いて欲しいな。

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2016年3月11日 (金)

論理的に真の責任者

これから書くことと同じ趣旨を、原爆については書いたけど、311の大震災も、あれですよ、

先祖がさんざん、あちこちに、「ここから下に家を建てるな」という石碑を立てているのに、守ってないわけやろ。ある小さな集落が、それを守って助かっている(岩手県宮古市姉吉地区)。

しかし住民に責任はない。責任があるのは、土地利用計画や都市計画などで上位権力を発揮できる国や県だ。上位権力者が、原爆の場合と同じく、不真面目100%だった。しかも、海っペタに原発を建てるという無茶!!

なんで、歴史的に度重なる大津波を経験し、先祖がたくさん、警告の石碑まで立てているのに、完全な不真面目をこいたのか? それは日本では昔から、役人や政治家は住民を犠牲にして「欲に駆られた無理」を通す無責任人種だからだ。

東電だけでなく、彼らの責任を、集団訴訟等を通じて厳しく問わなくては、また今後どこかで、同じ悲惨が繰り返されるだろう。

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馬鹿オトコ

政党というには、理念がなさすぎるよ。見ただけでまずそうな料理のよう。魅力的な理念のない党が、伸びるわけがない。

かつての、君が代おじさんの党は、理念の「り」ぐらいあったから、ある程度、人集めができた。むさい、オトコばっかしやったけど。

労組の寄付金で成り立ってる党なんて、最初から腐って崩れてるぜ。

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2016年3月 7日 (月)

最悪のシナリオ==いちばんありうるシナリオ

昔々見た「召使」という映画は、今でも強烈な印象が残っているが、勤勉で有能な執事が主(あるじ)である無能自堕落な貴族の生活を支配し、資産を実質、完全に乗っ取ってしまう話である。

旧経済大国の惰性で、日本やアメリカ等のマジョリティは変化に無関心、鈍感である。今のままの状態が、今後もずっと続くだろう。いじめ(==旧共同体の残滓)はなくならないし、彼らのネット上のお粗末な愚言愚行もなくならない、心の鎖国==自己満足/現状満足がなくならない。過去に踏ん切りをつけ、論理的な思考能力を身につけよう、なんて、まったく思わない。そして今彼らが、二級市民、三級市民と意識的・無意識的にみなしている人たちが、新しい情報技術を身につけざるをえない勤勉と有能により、やがて実質的に、旧経済大国惰性人種を支配し、管理し、コントロールするようになる。

「召使」の、グローバルバージョンだ。主客顛倒ではなくて“主僕顛倒”。

そうなったとき、そうなったことすら、彼らは自覚できない。

マイナンバー制が導入された今年、いつも問題なくできていたネットからの確定申告が、電子証明書を読み取るソフト(今年用のニューバージョン)のバグでできず、久々に手書きで出した(ささやかな額の還付金は低所得者にとって無視できない!)。マイナンバーカードを発行するソフトは、NTTc、NTTd、富士通、日立、NECの“船頭多くして”で、(今のところ)原因不明デバッグ不能のバグがあり、発行が超遅れているらしい。これは、発注者側(政府機関)にソフトウェア開発の中央的中心的管理能力がないのに、複数社に分割発注したという、ぶざまな、「仕事の構造のバグ」である。

最悪のシナリオの、片鱗が早くも見える。

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非論理性(旧共同体性)の片鱗n: 野球賭博問題が発生して以降、球団は聞き取り調査を継続してきた。…調査をするのは、その能力の十分にある、利益関係のない、客観的な第三者でなければならない。

非論理性(旧共同体性)の片鱗m: 学校側が元のデータを修正せず、今回の進路指導で誤った資料がそのまま使われていた。…公共団体のデータ監査は、当事団体自身が行ってはならない。上と同様の理由で、客観的な第三者が行わなければならない。第三者の典型例(東京聖栄大有村久春教授):「万引の非行記録だけで生徒の進路を閉ざそうとすること自体が、教育の指導原則から外れた行為だ。」

日本人には、プログラミングは、無理である。
(もちろん例外は少数ながらいるけど。)
論理性を重視せず、共同体的恣意性ばかり優先するから、弱者の犠牲者を量産するだけでなく、今後のグローバル社会に通用しない。


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2016年3月 6日 (日)

未開の荒れ地を快適なグラウンドへ均(なら)す

今はまだ、多くの人が、(コミュニケーションという視界の中では)、未開の荒れ地の石ころみたいなもんだ。そもそも、コミュニケーションはまだまださっぱり、環境やオーガニックな健康の問題のように、人類全体のアジェンダになってないし、なる気配もない。

みんながプログラミング能力を身につけて、システムを自分で作る、その前提として論理的思考力を持つことが、社会的なベースとしてどうしても必要だ。

●コンピュータ科学とプログラミングが小中高の必須教科になる(参考記事)。

●大学は必ず、全学生にプログラミングのブートキャンプをやる(参考記事日本語)、参考写真集)。

●いわゆるデベロッパー企業とかテクノロジー企業だけでなく、人は、どこでどんな仕事をしていてもシステムを作る能力が日常的に必要になる(参考記事)。

◎こうして、いじめも、(今のような)ネット上の多量の愚者たちも、完全に過去のものになる。生活にも社会にも、まったく新しい厳しさがやってくる。作ることの楽しさの共有も。

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