2008年2月12日
もう、物を食べられないし、お母さんが昨日今日と点滴に行った
から生きているようなもの。
あと数日かな。
人間でいえば、100歳ぐらいだから、死は正常な自然現象だね。
トマスは、12月に急逝された国立ダクタリ動物病院の森田院長
先生が「ライオンみたいに立派な猫だ。とくに、耳の先端のとが
った毛は、ほれぼれする」と言っていた。そのわりには、気の弱
い猫だけど。
今はストーブの真ん前に小さなケージを置いて、強制的に暖めて
いるが、本人はずっと鳴いている(からだの不快感を訴えている
のだと思う)。
2月14日
昨日の鶏の唐揚げのときも、今日のまぐろブツのときも、
寝ていた体を起こして顔を食べ物に近づけて、興味は示す
のだけど、なにしろ何も食べられない。水を飲もうとしても、
もう水も飲めない。もうすぐトマちゃんは、トマスから「トマ
スという猫がが住んでいた肉と毛皮の家、今は空き家」、
「生命体から単なる物へ」変わるだろう。「おい、トマス、
今はどこにいるんだい?」と声をかけてあげよう。
2月16日
トマスは今朝8時30分に、最後の大きな呼吸をした。
8時20分ごろ、寝ていたあんか入りの段ボールつぐらから
出てきて、部屋のドア近くまで来て、大きな声でわれわれを
呼んだ。床に、最後のおしっこをした。それから10分間、
われわれの目の下で、横たわったまま、からだを動かしたり、
口を大きく開けて何かを話そうとした。徐々に、動きの間隔が
長くなり、最後には動かなくなった。
つぐらから出て、ドアまで行き、別れのためにわれわれを呼ぶ
など、トマスはその最期すら、とびきり優秀な心と頭の猫だね。
偉い。
最初に保護したときは、風邪で鼻づまりで物を食べられなくなっていた。頭が良いので、状況と意味(この人たちが自分に医療行為をしてくれる)を理解して、自分からキャリーケースに入った。ふつうの、野良猫の子にはありえない、利口な態度だった。そのトマの治療をしてくれたのが、12月に亡くなった森田院長先生だった。 若葉団地の5階のベランダでネットの外側を歩いていたときは、こっちは一瞬、心臓が凍ったが、トマはゆうゆうとネットのややたるんだ部分を歩いて、端まで到着し、内側へと帰還した。なにごともなかったような顔をしていた。あのころ、ベランダで撮ったトマの写真は、まだ子猫の風貌があって、とてもかわいい。
2月17日
トマスの見事な最期---一般的には、老猫のもっとも標準的な死に方である腎不全では、老廃物を含んだ血液が脳まで行くので、意識が薄れ、眠るように静かに苦痛もなく死ぬと言われている。トマスはそのときすでに、口腔内も肉球もまっ黄っ黄(腎機能停止による黄疸)だった。それでもしかし、わざわざねぐらから出てきてわれわれを呼んだトマスの最後の10分間は、私たちとコミュニケーションし、なにかメッセージを伝え、精一杯、自己表現をするために、最後の呼吸停止直前までがんばった。からだを動かし、口を何度も大きく開けた(もう、声は出ない)。こんなに感動的な死に方は、人間にもなかなかない。私の余生も、そしてすべての人の人生が、このトマスのようでなければならないと真剣に思いました。
今日の午後3時ごろ、トマスがいなくなった「無き空」は火葬された。トマスは 決して大猫ではなかったが(雄の成猫としてふつう)、骨格はがっしりしていて、お骨が猫用の骨壺に入りきらなかった。今まで何度も猫を火葬しているが、こんなことはなかった。お母さんがパンを買ったときのパン屋のポリ袋に、残りのお骨を入れた。いかにもトマらしくて、笑ってしまった。あらゆる点でずばぬけている、名犬ならぬ超名猫だったんだな。わが家の人間たちの、がんばる元気の源泉だったとも言える。死んでからでも、私たちの心の宝物であり続ける。
以上、主に「トマスと一緒」より。
トマちゃん、あなたほどすばらしい猫はいない。
人間よりすばらしい、と言っても、過言ではない。
おおまかに言って人間は、あなたのように美しくなく、賢くもない。…醜く、そして馬鹿だ。
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