インターネット憲法第n+1条
誠実な対話性を欠く一方的な発信のみのためにインターネットを利用してはならない。ISPやPaaS, IaaSプロバイダ等はそのような発信源を知り次第、遮断しなければならない。
※: この条項には付則や施行規則がたくさん付くだろう。Twitterみたいな特殊な物理的要件のある対話性はnoだし、一方、ブログにおけるトロル遮断はむしろ前向きに認めなければならない。などなど。(トロル発言はそもそも、対話を意図していない。)
※: 対話性のない一方的な発言を禁ずることがこの条項の目的だが、ただしもちろん、その対話性は、誠実で真の対応性のあるものでなければならない。どこかのソーリの国会答弁のような、傲慢横柄な、慇懃無礼な、人をなめたような、“対話になってない対話”はノーである。
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コメント
また余白を利用して書かせてもらいます。
女と男の違いとは。女のつながり脳(きずな脳)に対して男はオタク脳であるとか。男は正否や成否にこだわるのに対して、女は体感的なつながりを大事にする。男は原因追求やプライドにこだわるのに対して、女はおしゃべりとか情愛という感覚的な快・不快にこだわる。
女に母性本能という言葉があるが、男には父性本能という言葉がない。母性本能とは精子を受け子を産み育てるのを快とする。男の播種本能とは、単にいろんな雌に精子を発射させるのを快とする。どちらがいい・悪いをいうのではない。どちらも自然のなせるわざなら、どちらも”愛”である。またそれらは補完的な関係である。そして男はどうやら本質的に家庭的には生まれついてないように思う。
母性本能が産み育てるという本能なら、それは今と未来をつなぐ本能と言えるのではないか。男の播種本能とは射精における、今という単発な時間を大事にする本能ではないか。だから女は時間をもつなぐ存在だから、過去や未来にもこだわる。男は今に重きを置く存在だから、割と過去のことは水に流しやすいのではないか。「今がすべて」とは男には言いやすいが、女にとっては「なんじゃそれ」という理解不能・反発を起こす概念じゃなかろうか。
投稿: s、n | 2016年1月28日 (木) 04時27分
女の「私だけを愛して。浮気は許さない」という願望は、女の勝手な願望であり、それに男をそわそうというのは傲慢でしかない。男の「いろんな女とやりたい」という願望を、女に納得させようというのも傲慢な考えなのだろう。ゆえにコミュニケーションが大事なのである。
コミュニケーションとは、相反する感情をなんとか調和させることではないだろうか。しかしどうやらこの問題は、永遠に解決できないようにも思えるのである。(なんとか両者が納得できる近似値をさがすというか、そんな形でしか)
投稿: s、n | 2016年1月28日 (木) 05時35分