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2016年1月18日 (月)

論理裁定の必要性

世界司法(+強力な法執行能力)は迅速に必要であり、国連でもどこでもよいが、有効性の点で発起者にいちばんふさわしいところがなるべく早期に発起してほしい。実現までは長期のすったもんだがあると思われるが、実現の必要性という点に関してコンセンサスを形成する努力がまず必要だ(あくまでも法より力!と信じて乱暴狼藉を働いている連中を平定するためにも、世界司法とその法執行機関は必要だ)。

ちっちゃな無人島の領有権問題などで、未来の戦争を恐れるなんて、そんな、あほなー。
(世界司法は、特定一国に属さない地片を前向き法定すべきである。)

そして、上のような広域圏の司法と並行して必要なのが、非常な狭域圏のための司法equivalentだ。

それが、「論理裁定」である。

いじめ、なんとかハラ、かんとかハラ、モンスターなになに、それらに近い非論理のゴリ押しを防止し、いわれなきストレス源をなくし、癌死亡率を減らす。

前回は某国総理大臣の論理性欠如を指摘したが、いまや、まともな対話の成り立たない非論理ゴリ押し人種は多い。このブログにもときどき、どーしょーもない無残でみっともないお馬鹿さんが登場するが、仕事関係のコミュニケーションでも、たいへん疲れるお馬鹿暴弾に遭遇することがある(いずれも100%オトコ)。論理を無視しているのではなくて、脳内に、論理というものが最初から欠落しているのだ。伝統的に、戦争の使い捨て兵器でしかなかったオトコは。

知人で某有名大企業のカスタマサービスをやってる人によると、「単純な、子どもでも分かるような理屈が分からず、一方的に自分の要求や主張を押し通そうとする人が最近多い。全員、若いオトコだ」そうだ。

だから、今では、論理も“社会化”されなければならず、それを担うのが「論理裁定」サービスだ。議会の議事堂だけでない、社会のあらゆる細部に、それは必要だ。

脳内に論理性のない人とは、対話しようにも対話が成り立たない。相手は、同じことを何度も繰り返しつつ、がみがみと怒鳴るだけだ。たとえばこないだの例では、

(1)それまでの議論で証拠(論拠)としては棄却されたものを、またすぐに繰り返してくる;

(2)それはコミュニケーションのルール違反*だ、と言っても、またそれまでと同じことを言ってくる;

*: この場合は、ひとの言葉をいきなり自分の語感(観)で勝手に判断解釈評価し、その判断等を正当視すること。

(3)こっちが言ってない(書いてない)ことを、言った(書いた)と主張する(←このムチャクチャの例は意外と多い!)。

こういう、非常に無意味に疲れる場面では、当人では無限にらちがあかないから、第三者としての論理裁定サービスの登場が待たれるのである。「ほら、ここの談話の論理構造は〜〜〜これこれだから、あなたのXXXはまったくそれに合ってないよね」、と言ってくれる人が。

もちろん、第三者の言すら無視して無論理の暴虐を続ける人はいると思うが、もうそうなると、こっちは、無視・沈黙・逃げるしかないね。

でもこの超ローカルな司法相当にも、いずれは強力な法執行力が要請され、芽生え、育つだろう。わしなんか、馬鹿を半分ぐらいは楽しんでしまう方だが、なんとかハラやいじめの被害者には、たぶんそんな余裕はない。


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2016年1月11日 (月)

David Bowie逝く

69歳はアーチストとしては中途半端な享年だけど、やっぱ、ワンパターンでミュージシャン稼業ばっかりやるのがあかん。稼いだもの(金ばかりでない)を基盤として、もっと地味で難しい、国際的または地域的な社会活動に取り組んでいたら心身の健康は充実を維持し、癌化を防げたであろう。

もちろん、医学しろうとの直観にすぎないが、そう感じてしまうのである。

くだらんことやってる人が、よく癌になってるような気がするが。なにかに献身している人は、その献身のエネルギーが病気や老化をシャットアウトしている。

でもま、お若いころ、偉大なるアートを提供していただいたんだから、偉大なる人生だよ。

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●日本に多い、愚かなる(頭の悪い、心の優しさもない)クレーマー・トロル対策:
  ここで言う癌は、あくまでも、大人の癌のことである。


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旧共同体の空洞化と新・社会的共同体の生成

北欧諸国をモデルとする、高負担高福祉社会(消費税20%)を日本も追おうとしているようだが、これは言うまでもなく、旧共同体の崩壊と空洞化を補う施策だ。

旧共同体では、女性が嫁として奴隷的に酷使され、高齢者の世話も担当していた。金とか収入とか外での仕事とかに言及しなくても、女性が家に縛り付けられ奴隷労働を負荷される状態は、なくなった方がよい。

そういう一連のタスクは、脱共同体して、社会化していく。それが、たとえば、介護労働の意味だ。

再びそれを、地域や家庭に戻そうとするのは、非現実的な思想だ。いや、場所は地域や家庭でもよいが、形と雰囲気は、からっと社会化されていなければならない。

ところで、私はときどき買い物で外出したとき、昼食は外食で済ませた方が便利だ、と感じる機会が多い。でも、実際に外食をすることは、めったにない。

日本の外食は伝統的に、今でも、<動物性蛋白質+白いご飯>(のみ!)という形が圧倒的に多い。日本人の食生活は世界でいちばん健康的、と言われるが、それは決して、このような外食のことではなく、庶民の、雑多な内容構成の日常食だ。白いご飯を、パンとかパスタなどに変えれば、これまでの外食について、ほぼ万国に共通する現象かもしれないが。

とはいえ、庶民の日常食も安価で良質な蛋白質が、ある程度豊富であるべきだ。そうすれば、高価な、ハレ(ハレとケのハレ)の外食に憧れずにすむ。今はコールドチェーンと多様な食品産業の発達普及で、それは遠隔地でも十分に可能だ。

ハレの外食はすでに社会化されている食事だが、新・社会共同体における外食は、ケの食事の社会化でなければならない※。

※: 新宿西口などにあったいわゆる定食屋さんは、その姿に近いと思う。高価な「ごちそう」を食べる店ではないが、いろんな庶民的おかずが揃っている。

今日(1月11日)は、洗濯機用の洗剤を買いに出たついでに、やはり外食をあきらめて、おにぎり一個とスーパーのお惣菜のカキフライと、カップ麺の日本そばを買って帰って食べた。ついでにタクワンも。

日本そばのカップ麺は、セブンイレブンのが、お汁が比較的上品でよろしい。

外食だけでなく、加工食品もケの食事の社会化を真剣に考えるべきだ。まず、即席ラーメンの栄養バランスの向上を(味も良く)。冷凍食品も、たとえば大根おろしの冷凍などがほしいね。味噌汁は、最近のインスタント品は質が良くなっている。ファミリーマートのが、おいしい。

重要なのは、パラダイムの転換。ハレの外食から、ケの新・社会化へ。

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2016年1月 9日 (土)

インターネット憲法第n+1条

誠実な対話性を欠く一方的な発信のみのためにインターネットを利用してはならない。ISPやPaaS, IaaSプロバイダ等はそのような発信源を知り次第、遮断しなければならない。

※: この条項には付則や施行規則がたくさん付くだろう。Twitterみたいな特殊な物理的要件のある対話性はnoだし、一方、ブログにおけるトロル遮断はむしろ前向きに認めなければならない。などなど。(トロル発言はそもそも、対話を意図していない。)

※: 対話性のない一方的な発言を禁ずることがこの条項の目的だが、ただしもちろん、その対話性は、誠実で真の対応性のあるものでなければならない。どこかのソーリの国会答弁のような、傲慢横柄な、慇懃無礼な、人をなめたような、“対話になってない対話”はノーである。

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2016年1月 7日 (木)

安全宣言は?

すぐ隣の国で核爆発の実験をやった(らしい)というのに、どのマスコミのニュースにも安全(or不安全)宣言がない。事の直後に官房長官が安全宣言を述べたらしいが、その後(今1月7日午後8時半)まったく何もない。しばらくは、毎日やるべきことだろう。猫たちを、外のデッキで日光浴させても大丈夫か?

あらためて気づくのは、国境が直線なんて、植民地時代(搾取時代)のアフリカや中東ぐらいのもんだ。それが、あそこらの騒乱の原因の一つでもある。直線の国境の別名は、大規模長期不幸、だ。しかもこちらは、スターリンという大悪党がゴリ押しでやったこと。この大きな歴史の傷を、荒療治でなく癒していかなければ…。そのほかの個別の問題も、解決しない。

フクシマだけでもたいへんなのに、核爆弾とは。なんという世紀。

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馬鹿ほどこわいものはない

野党質問者「国民への説明を逃げてばかりいる」。
あの人「やるべき重要なことから逃げてばかりいると、国民の付託にそむくことになる」。

---原文(?)(Yahooニュースより(原典: NNN))---

 民主党・岡田代表「ここにいたるまで、安倍総理は国民に対して説明を行うことから逃げて逃げて逃げ回ってきたことを、まず指摘しなければなりません」「私たちは憲法違反の法律を絶対に認めるわけにはいきません」

 安倍首相「日本をとりまく現実を直視し、その解決のための政策を国民に提案することから逃げて逃げて逃げ回っているようでは、国民の負託にこたえることはできません」

あの人の対話には、論理の文脈を勝手に逸らす癖(へき)がある。このブログで、前にもその例をひとつ取り挙げたことがある。

質問者は、国民への説明から逃げることを話題にしている。

あの人は、そのメイントピックを無視し、勝手に別の話題を持ちだしている。

(結果的には、「国民の理解納得がなくても、権力者としてやりたいことはやる」と聞こえ、まさしく典型的かつ古典的な独裁者の論理になっている。ものすごい、傲慢野卑。)

馬鹿は、正しいことや善いことが分からないから、今後が本当にこわい。
まわりが、そのことに気づいていないらしいことが、さらにこわい。

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2016年1月 4日 (月)

フード値上げ

かつて80円だったドルが今は120円を超えているから、すごい短期間の、すごい暴騰(というか円暴落)だ。短期に50%値上げなんて狂気は、まともな社会にはありえない。動乱の国ならともかく。

人間の食糧もあれこれ値上がりしたが、犬猫のフードは輸入原料を多く使っているから上がり幅も大きい。値上げのタイプには、量を減らして値段据え置きとか、品質を下げて値段据え置き、単純に値上げもある。品質を下げられて猫がそっぽを向くようになったのは、より高価なフードを買うことになるので実質的値上げ幅は大きい。

高額所得者ではなく低額所得者である私らには、もろ痛い。でも犬猫で悩んでいるなんか、まだましな方だろう。もっと深刻に貧困化している人たちも多いようだ。

昔も今も、なぜ一部の人たちしかアベノミクスを批判しないのか。なぜそれらの批判は、まったく効果がないのか。ここにも、1920〜30年代のヤバイ日本が回帰してきたという、気持ち悪さを感じてならない。

ま、しょうがない、有権者の多くが馬鹿な国は、なるようにしかならない。喉元すぎれば馬鹿再び。

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インターネット憲法第n条

他者の発話を自己の言語観で解釈ないし感取し、それをもってその他者を評価(批判、非難、処罰、称賛など)してはならない。評価には、発話に込められた真の意味や意図を知るための、その他者との十分な対話コミュニケーションが、先立たなければならない。十分なコミュニケーションなく行われた評価には、そうであることの注記が伴わなければならない。

例: 私はこう感じたんだけど、発話者の真意は違うかもしれない…。

※注記: 言語の意味体系は唯一無二であり、それを自分もすべての他も共有している、という暗黙の強固な思い込みも、共同体性の残滓である。


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いじめ自殺を過去のものに

生物の進化史を漠然と想像してみると、新しく登場した種は最初のうちは、既存種によって、ばかすか殺されたと思うよね。でもだんだん知恵をつけて、既存種にやられないようになり、新しい種としての生活圏を確立していく。

「個」というものを比喩的に一つの新しい種と考えると、大きな過渡期のうんとうんと初期である今は、古い既存種、すなわち共同体性の残滓のだま的結晶であるいじめグループに、やられる機会が多い。新しい種は初期には孤独で弱い。どんどんやられる。

でも、そろそろ、親たちの世代が変わるとともに、転機が訪れてもよい。いじめグループと断固として戦う、のは時間とエネルギーの無駄遣いだから、基本戦略は『無視』と『逃げること』だ。そして毎日、自分が本当にやりたいことに、没頭してればよい。それがあれば、いじめの憂鬱さ、悲しさ、腹立たしさに、人格を直接やられずにすむ。そこから、新しい、充実した中身を持つ「個」ができていく。

親やまわりの大人は、それを示唆誘導しなければならない。

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この国

今この国では、老若男女多くの人が「戦争はいやだ」と言う。

では、戦争にならんためには何をすべきか、何をすべきでないか、がみんなの脳裏に明示的に対象化されていない。

さきの、とんでもない悲惨な戦争も、それを招いた張本人は人民の愚である。

共同体性の残滓が遺伝子的に脳を支配し、地方小選挙区制という不健康な選挙制度が続くかぎり、だれそれさんの孫や、だれそれさんの子(娘、息子)など、無脳な政治家が選ばれ続けるだろう。それがもたらす危機の第一歩は、残念ながら、すでに踏み出されている。

繰り返す。さきの、とんでもない悲惨な戦争も、それを招いた張本人は人民の愚である。

なお、今回のそのやばさは、超大国であるあの国の将来と密接に関連している。

私が一人でごちゃごちゃ言うとるんやなくて、議論の波及的な広がりを期待する。

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あの国

誰も言わんし、とくに世界で影響力や決定力の大きな部分で話題になっていないようだけど、あの国の民主化革命を急がず、経済力だけでちやほやしてたら、しまいには、手に負えない、手遅れの、恐ろしい状況になりまっせ。

FBIがシカゴギャング(+地元警察との癒着)を一掃するのに、何年かかり、犠牲者は何人出たか。(自称)イスラムテロリストの一掃も、相当長くかかるにしても、そのうちケリはつく。

しかし、あの国はそう簡単ではない。でかすぎるし、腐敗が深すぎる。

こんな、視聴率の超低いブログメディアでごちゃごちゃ言うとってもしゃーないが、とにかく言っておく。議論の、波及的広がりを期待したい。

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2016年1月 2日 (土)

旧共同体行事

「結婚」についてはかなり前に大批判を展開したから、今さら蒸し返さなくてもよいだろう。このブログになってからも、一度二度は蒸し返したと思うけど。

「お正月」も、「結婚」同様、今や虚しい旧共同体行事だけど、その実体が今やほぼ完全に空洞化しているから、批判のとっかかりすらない。どこかの共同体の残滓から、参加を強制されるわけでもないし。近所のお店がのきなみ、2〜3日休業になるのは不便だが、コンビニやドラグストアはやってるからね。

私の日常は休日のない動物飼育係のようなもので、暮れも正月も関係ない。インターネット上の仕事も、やはり休日というものはない(インターネットにメンテナンス休業などはない)。旧共同体性を消し去るグローバル空間って、誰でもこんなもんだろ。例: Amazonにもお正月休業はない。

子どもの夏休みなどに合わせて自主的に有給取れば、お正月休日のありがたみもさほどないだろう。

農業共同体も崩壊していくが、農業は都市の若者などがやる「客観的農業」(脱共同体的農業)が、今後徐々に主流になるからね。その方が、すっきりするよ。

共同体性は薄れて、対等互角な「個」の集まりになっていく。そこにやっと、コミュニケーションの可能性も、個人情報産業情報化産業の機会も、生まれ、拡大していく。勉強は、もちろん必要・重要だけど。

※結婚(婚姻という制度、儀典)や貨幣(トレード、価値交換)などは、いずれも共同体起源のものであり、それらが問答無用に無根拠にまるで当然のように、個に無理やりありがたがらされているところに、現代人の不幸の強力な原因のひとつがある。暦日祝日も、それを祝う主体(共同体)が健在なら大いに有意味だけど、言うまでもなく今その主体は、かぎりなくnullに近い。しかし個とその集団は、共同体起源の古物を捨て去れるだけの、生き方の新しいオルターナティブを十分に広くは普及させえていない。その意味で今は、大きな過渡期の、うんとうんと初期だ。まだまだ共同体性は、多くの個の脳を遺伝子的に支配している(結婚をありがたがったり……)。

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