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2015年12月 3日 (木)

またまたひどい話

インドの人が、署名キャンペーンをやっている。

でも最近神様は、「観光」という人類最悪の愚行のひとつを、罰しつつある、という感触もおぼえる。

「あとから来襲する他者」の、ひとつの現れとして。

ヒトを粗放な孤独に放置しがちな、放射状の雨的な、完全ブロードキャストタイプのマスメディアという愚行の罰は、どういう形で下るのか、これも、考えるとおそろしい。

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コメント

象はやさしい目をしている・

投稿: 梅さん | 2015年12月 4日 (金) 07時50分

消費行為としての旅行

使い捨てる生命

今も続く植民地時代

投稿: 南 | 2015年12月 4日 (金) 08時33分

「観光」
 光の眩しさに目を瞑って歩くので結局何も見えない、観ていない行為。
 本来そこにあるのは光などといううわついたものではないのだが。

投稿: 市川智 | 2015年12月 4日 (金) 12時32分

なんかな~。また思ってしまったけど、我々もこの世で生を受けても、”生きられる”ということが前提になっていない。まず、生きるために貨幣経済の中で戦わなくてはならない。生きていくカネを稼ぐために。そしてもっといい生活をするために。
そりゃ普通に生きていくために、それを支えてくれる仕事もあるだろう。しかしお米をつくってくれる農家の人たちも、農業だけでは食べていけない仕組みだ。

生を受けても、ふつうに生きられることが前提になっていない社会で、どう生きろというのだろうか。(シリアでも)赤ん坊は祝福されて生まれてこない。なっている社会を目指すために生きろというのだろうか。なんだかな~。

投稿: s,n | 2015年12月 5日 (土) 07時46分

情報っていうのは、一方的に送られるのでは無く、フィードバックさせないと意味が無い。

投稿: こうじ | 2015年12月 5日 (土) 20時31分

なんかな~と思うのは、生を受けても「生きるか、死ぬか」というレベルで生きている限り、その上の「自由、平等」なんてのは雲の上のはなしだと思うのです。(“生きられる”というのはいろんなことを協力して負担することだと思う)
基本的な安心も全くないのに、さらにその上の話をしてもどうしようもないと思うのだが。それともその話は、二つ同時にセットで取り組むものなのか。それとも二つとも人類には絵に描いた餅なのか、どうなんだろう。
とりあえず、人間にとって「生きる、死ぬ」とはどういう意味なのか考えなおしてみるのが、第一歩ではないでしょうか。

投稿: s、n | 2015年12月 8日 (火) 00時38分

なんだ、あの“一億総活躍社会”てのは。ほんとに戦中の標語みたい。一億総懺悔とか。おんなじニオイ。
“死ぬまで働け社会”と言ってることが同じ。乳飲み子から老人まで、病人からケガ人まで、総活躍しろと。 ありゃ、ヤバいで。

投稿: s、n | 2015年12月24日 (木) 00時32分

一億総活躍社会=一億総トレード化社会=一億総支配下社会

今日会社でショックなことがありました。2週間ほど前、年末に人手が足りないということで人員を募集していたところ、33才の男の人が入ってきた。(契約)社員にしようかと言うとパート契約でいいと言う。おとなしく、決して向こうから笑いかけてくるようなタイプではない。内に閉ざし、なにか焦らせているようで、ゆとりというものを感じさせないタイプである。時は年末である。多くの仕事を時間内に収めようと、細かい指図を彼に対して一々出してしまった。

まぁ、何が言いたいかというと、労働条件の貧困化は、その働く人の精神までも貧困化させるということです。派遣法が変わり、企業や派遣会社には都合がよくなり、労働者にはますます追い詰められた状況になったように聞く。経済や環境の貧困とともに、精神・心の貧困化も支配者が我々に押し付けてきているように思うのである。その先にあるのは惨劇・復讐である。
ひらかれた精神を望む。

投稿: | 2015年12月25日 (金) 00時46分

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