集団殺人犯の検挙と空爆
はミスマッチである。私は2〜3歳の幼少時に防空壕というものに家族と共に入っていた経験があるが、空からの爆撃というものは事前に遠方の機影や音を察知できるから、条件と環境さえ整っていれば生き延びることができる(if you have a good shelter, etc.)。また、いきなり殺してしまうことは、検挙努力とは言えない。一般市民の犠牲も、すごく多いだろう。
どこかのバカヅラ大統領が「これは戦争だ!」とわめいておったが、断じて戦争ではない。あくまでも、国際的な治安努力である。現状では司法のグローバル化がいたって未整備なので、おかしなことになってるだけだ。
上に述べたように、空爆は生存者が多いことが見込まれるので、彼らは今後さらに分散化し、国際司法の努力はなお一層困難になるだろう。では、どうすべきか? 私は集団犯検挙技術の専門家ではないが、シロウトの直観として言うなら、divide and conquerがベースとなるべきではないか。
人が狂信的殺人者に育たないための社会環境作りは、また別の課題だが、そのソリューションの一端は、すでにマララちゃんが言うておったはずだ。
なおこの記事は、歴史視野が時間面でも空間面でもやや狭い気がするが、本当の、強力な、ソリューションに向けての参考になると思う。
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コメント
空爆を続ければ続けるほど、テロリスト達はほくそえんでいるような気がします。冗談じゃなくて、花束でも投下した方が奴らには「効く」んじゃなかろうか?
投稿: musataro | 2015年11月20日 (金) 06時59分
大統領も国民も「かりそめの安心」を得たいのでしょう。
それが幻だと分かっていても、それを得ないと先へ進めない。
そのことが単なる問題の先送りだと分かっていても他の選択肢を知らない。
投稿: 南 | 2015年11月20日 (金) 08時32分
なんと言いましょうか、この世の乱痴気騒ぎを未然に防止する策として、子供の時から「人は生まれた時から、その先には必ず死が待ちかまえているんだぞ」ということを耳ダコになるくらいに言い聞かせるというのはどうでしょう。どんなにがんばっても、いい暮らしを目指しても、最後には全部それを手放してあの世に一人ハダカで帰って行くのである。そのごく自然な理屈を諭していけば、この世で利己のために他に暴利を働くことのむなしさ、バカらしさに気づくことができ、その抑止力となるのではないでしょうか。
(なんか権力者というのは、この世だけの名声欲・支配欲に取りつかれているような。)そうではなく、どうせ全てを手放していく人生なら、物に執着してもしょうがないじゃないか。それよりも周りの人と気持ちのいい感じを、多くのこした方が得なんじゃないかと価値を転換できるのじゃないだろうか。
人は、ジタバタしてもしなくても、必ず死ぬのである。
(ものごとに執着してもしょうがないのである。
すがすがしい思いだけが、魂の栄養である。)
投稿: s、n | 2015年11月22日 (日) 02時30分
訂正
帰って行くのである。→還って行くのである。
投稿: | 2015年11月22日 (日) 02時45分
シリアじゃ毎日起きてる事がフランスで一回起きると戦争だと大騒ぎ。何じゃ後になって致命的ジェノサイドに双方に成っても知ーらないっと。
投稿: bad | 2015年11月22日 (日) 03時40分
まあジェノサイドには至らないだろうけど。シリア、パリの人達には僕は何にもしてあげらません。ただ祈るのみです。
投稿: bad | 2015年11月23日 (月) 00時13分
2001年の同時多発テロの時浅田彰が「国際法に照らして戦争ではなく犯罪である。」と話していました。今回も戦争ではなく犯罪ですよね。それから良く分からないんだけれど、空爆って国際法違反じゃないんですか?それとも国際法自体が形骸化しているということでしょうか。
投稿: こうじ | 2015年11月24日 (火) 22時39分